深夜二時の着信だった。

『開けて』

 寝ぼけたまま耳に当てたケータイから聞こえてきた声は、まるで記号のように温度がなかった。
 知っているはずの声なのに、それはなぜだか知らない声のようで。

「……え、慧太? なに? 開けてって、今どこいんの? ていうか今何時だと思ってんの?」

 あ、なんかデジャブ。
 自分の発言にそう感じたところで、通話の相手はふっと息を漏らした。

『今、おまえんちの前。とりあえず開けて』

 ほんの少し笑みが交じった声で、慧太が言った。やっと俺の知っている声になった気がして、無意識に安堵する自分がいた。

 鍵を開け、扉を開けると、部屋の前にはケータイを片手に慧太が立っていた。その姿を寝起きの目で捉えてから、俺はわざとらしく呆れた顔を作ってみせる。

「勘弁してよ。オカン起こしたらボコられんの俺なんだからね」
「その茶番もういいから」

 疲れた顔であっさりと流された。
 なんだよ、さっきはちょっと乗ってくれたくせに。まあノリのいい慧太もそれはそれで気持ち悪いけど。

「ライブお疲れ〜」

 ワンルームの部屋の奥へ進んでいく背中に声をかける。今日(日付的には昨日)は、慧太のバンドのライブがあったのだ。唯太がチケットを買ったというので、せっかくなので海未ちゃんも誘い、三人でライブハウスへ足を運んだ。
 大学の課題やら試験やらで、最近全然ライブに行けてなかったけれど、久しぶりに聴いた慧太のギターは、素直にかっこよかった。俺は音楽に関しては知識ゼロだけど、安心して聴いていられるギターサウンドに、慧太ってやっぱり上手いんだな、と改めて感心してしまった。

「今まで打ち上げ? ……あれ、そういや、ギターどうしたの?」

 慧太は、ベッドを背もたれにして床に座っていた。その格好に今さら違和感を感じた。ライブを終えて今までその打ち上げで、終電を逃してここに来たのだと思ったけれど……。
 べつになんてことない、細身のジーンズにTシャツ、その上にパーカーを着た、近所のコンビニにでも行くような軽装だ。それが特におかしいこともないのだが、なんとなく違和感があった。ギターケースもないし。

「慧太、どしたの」

 思わず訊ねてはみたが、返答はなかった。
 慧太はどことなく疲れた横顔だった。アッシュブラウンの髪はいつものようにセットされておらず、洗いざらしのように無造作に乱れている。

「ねえ、もしかして一回帰った?」
「……秋吉、煙草ちょうだい」
「ちょいちょいちょい」

 人の話聞こうよ。伸ばされた手に、バチッと平手打ちを食らわせる。
 だいたい煙草ちょうだいって、そんなもんないわ。俺が吸わないの知ってんじゃん。

「一回帰ったなら、なんでわざわざ俺んとこくんの? 唯太のアパートのが全然近いじゃん」
「あいつカノジョいるじゃん。もし鉢合わせたら気まずいし」
「ちょいちょいちょいちょい」

 なにこの人、まさか俺にカノジョいないからっていう理由で俺んとこ来たの?

「マジで何しに来たわけ? 言っとくけど、俺わりと忙しいんだかんね。医学部なめんな」
「なんか理由ないと来ちゃだめなの?」
「うわっ、キモッ! ……あっ、鳥肌立った」

 床に寝転がって、流し目でそんなセリフ吐いたって、俺相手じゃ何一つときめかないからね。鳥肌しか立たないわ。

「はは、キモイとかはじめて言われた」

 自分は普段散々人のことをキモイだのバカだのアホだのぬかすくせに、深夜二時に人んち来てイケメン自慢か。なんだこいつは。くそっ、部屋に入れるんじゃなかった。
 呆れすぎて真顔になっている俺をよそに、慧太は笑っている。そんな姿にまた違和感をおぼえる。ネジが緩んでいるような、酔っているのかなんなのか知らないが、とにかくあきらかに様子がおかしい。

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