「けーた」
夢とうつつの狭間に落ちてきた、ソプラノトーンの声。
鈍る思考で一瞬、だれ、と考える。一瞬だけ。すぐにその声、呼び方を理解して、無視する。聞こえなかったことにする。瞼は開けないまま、俺は睡眠に勤しむ。
なのにこいつは、空気を読んでくれない。
「けーた、けーたってば。けーた寝てるの? また昼過ぎまで寝るの? そうなの?」
「あー……うっさ……」
「起きてるじゃん」
「……おまえに起こされたんだけど」
顔にのせていた腕を少しずらして薄く目を開けると、ずいぶん近い距離から覗き込まれていたので、ちょっと息を呑んだ。
暗いところで見る猫の目のように、まるくて大きな焦げ茶の瞳がまじまじと俺を見つめている。俺は反射的に、目の前の白いなめらかな額にデコピンを食らわせた。バチッといい音がして、小柄な体が怯んだように退いた。
「いたい」
「痛くしたから」
「けーたのばか」
そんな悪態をつく海未は、怒ったような、むっとした目で俺を見上げた。
「海未」と書いて、「うみ」と読む。うちの猫の名前だ。
海未は、「けーた」といつも舌足らずに俺の名前を呼ぶ。胸につくほどの長さの茶髪、まんまるの大きな焦げ茶色の瞳。ほとんど引きこもりだからか肌は白い。
「……海未」
「なに?」
「ツナ缶」
「うん」
「食ったら、缶の中洗っとけって。部屋が生臭くなる」
「うん」
うんって。ほんとにわかってんの、この猫。
猫っつうか、女の子だけど。
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