「秋吉」

 ふいに名前を呼ばれ、俺にしてはめずらしくネガティブな思考が一時中断する。
 体は起こさずに横目に見ると、相変わらずの姿勢で乱れた茶髪頭が視界の端に覗く。

「なにー?」
「……去年の」
「うん」
「誕生日のやつ」
「……うん?」

 あれ、ありがとう。
 と、最後に言った慧太の声は小さくて、少しかすれていた。
 声が聞き取れなかったわけではない。「ありがとう」が何のことだかわからず困惑したのだ。けれど、すぐに理解した。理解したけど……え? それ、今言う? なんで今?

「ちょっと! タイミングおかしいから!」

 俺は思わず小声で叫ぶが、返答はない。
 ええー、なんなの。

「唯太に電話しよ」
「おい、やめろバカ」
「慧太がデレた、と」
「メールもやめろ」
「ごめん、送っちゃった」

 【送信完了しました】のケータイ画面を見せつければ、いつのまにかこちらを向いていた慧太の恨めしい顔。そんな顔してもちっとも恐くないですう。

「慧太さー、あれだよね、俺と唯太には懐いてるよね」
「きしょいこと言うな」
「ウンウンわかったわかった。ツンデレでもヤリチンでも、俺らはズッ友だよ」
「……」

 あ、ふて寝した。
 ツンデレ、とタオルケットにくるまった背中越しに思う。
 やっぱり、馬鹿は俺だった。
 誕生日プレゼントを渡したときの照れた顔や、放課後に裏庭で1on1をしたときのけっこう真剣な顔や、冗談を言ったらたまに笑ってくれる顔を、そういうのを、今更のように思い出すのだから。
 そりゃむかつくほうが圧倒的に多いし、喧嘩ばっかりだし、正直なんで友だちやってるのか謎に思うことも多々あるけれど、結局俺は慧太のことが好きで、だからなんだかんだこれからもいっしょにいるのだろう。
 結局、そんなもんなんだろうな。
 でも、それでいいや。それで十分だ。

「あ、返信きた」

 ケータイのメール受信ランプがチカチカと光った。唯太からのメールを開く。

『今何時だと思ってんの?』

 あ、やべ。唯太怒ってる。
 しかしそこで終わりかと思われた文章は、まだ続いていた。指を動かして画面をスクロールしていく。

『明後日、夏祭り行く?』

 あ、よかった。怒ってない。
 俺はほっと安堵しながら、そういえば明後日は夏祭りだったっけ、と思い出す。
 電車で県外まで出なくてはならない距離だけど、ここらへんでは一番規模が大きく、毎年足を運んでいる夏祭りだった。去年も俺と唯太と慧太の三人で行ったのだった。今年もそうだろうけど、いちおう慧太にも訊いてみることにする。

「慧太ー、夏祭り行く? 明後日の……」

 返答はない。
 無視かと思うが、よくよく耳を澄ませば、安らかな寝息が聞こえてくる。そしてついでとばかりに聞こえてきたのは、鳥の囀り。
 ……あれ? なんか、いつのまにか部屋がうっすらと明るいんですけど。
 ケータイで時刻を確認する。午前五時。え、朝じゃん。

「……行く、と」

 一人さみしくメールを作成し、送信した。
 夏は夜明けが早い。カーテンの隙間からはまぶしい朝日が差し込んでいる。床には、タオルケットにくるまった野良猫――否、慧太。
 ふいに、慧太が寝返りを打って、その寝顔がこちらへ向けられた。

(いつか慧太に好きな子できたら、見せてやろっと)

 ケータイのカメラを設定して、ファインダーに寝顔をおさめた。
 八月の終わり。
 夏休みが、もうすぐ終わる。

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