昇降口は、急に静まり返った。
 静寂のなかに息を押し殺すような張り詰めた空気が伝わってくる。
 俺は、下駄箱の陰からそっと顔を出して様子を窺った。そこには、気まずそうに突っ立った(きっとさっきまで陰口で盛り上がっていたはずの)三人の男子と、彼らと対峙するように立つ、もう一人の男子がいた。

「あ、あのさ、来栖……」

 三人のうちの一人が沈黙を破った。
 愛想笑いのような笑みを浮かべてるけれど、口元が明らかに引き攣っているのがこちらからでもよくわかった。

「さっきの、聞こえちゃった? なんつーか、その……冗談! 冗談だから! なあ?」

 そいつは同意を求めて他の二人を見やると、彼らもウンウンと首を縦に振った。

「冗談ってことぐらいわかってると思うけど! ……あ、俺らこれからどっか寄ってこうって話だったんだけどさ、おまえも、」

 ――バタン!
 おいおい今さらそれはねえだろ、と内心辟易していれば、反吐が出るような愛想にまみれた声は唐突に途切れた。
 靴箱の扉が閉められた音が、それは決して乱暴に閉められたわけでもないのに、やけにこの場所に響いて聞こえた。
 靴箱からローファーを取り出したそいつが屈んでいた体勢から姿勢を戻したとき、その横顔が見えた。この場所にいる誰のことも見ていない横顔は、当然晴れていなければ、しかし、自分の陰口を目の当たりにして鬱屈ともしていなかった。

「どうでもいいよ」

 凛と響く声で、そんなたった一言を残して、ローファーを履いて校舎の外へ出ていく。
 流れ作業のようなその姿を、立ち尽くす三人も、俺も、ただただ見送っていた。

(――あ)

 そのとき、俺の脳裏に一昨年のバスケ部の試合でのことが唐突に思い出された。
 中学生県大会のトーナメント戦。俺の学校と当たった北中に、一人、抜きん出たプレイをする選手がいたことを。
 そいつは、細くて小柄で、女の子みたいな顔の儚げな印象の選手だった。しかしいざ試合になると、その選手はやたら動きがよくて驚いた。どんな状況でもがむしゃらに、食らいつくようにこちらのボール奪ってくる。
 しかし、そいつの勢いはたしかにすごかったけれど、正直北中はそいつの独走状態で、所詮バスケはチームプレイだ。試合終了間際、六点差で俺の学校が勝っていた。北中のバスケ部員にはすでに諦めムードが漂っているのがわかった。
 息を呑んだのは、試合終了ラスト一分を切ったところだった。
 信じられない鮮やかさだった。例のそいつが、当時部内のエースだった俺の手からボールを奪って、ロングシュートを決めたのだ。
 まるで無声映画のように当時の記憶がよみがえる。
 結局それで点差がひっくり返ったわけじゃない。けれど十分だった。俺に底なしの敗北感を味わわせるのには。
 見事に全部もっていかれた気がした。試合は勝ったのに、負けた。俺は負けたのだ、あいつに。
 あー! マジ、悔しい!

「ああああ! すっげー悔しい!」
「秋吉うるせーよ! 整列だよバカ!」
「先輩サーセン!」

 その後、北中はさっさと帰ってしまったので直で聞くことはできなかったが、ラスト一分のプレイは近隣のバスケ部界隈ではかなり話題になった。
 彼の名前も、自然と耳に入った。
 あんなプレイをしておきながら、あの試合の直後にバスケ部を辞めてしまったらしいことも。

「来栖慧太……」

 俺は、ようやく思い出せたその名前を思わず口にしていた。来栖がふり向くわけもなかったけれど。
 遠くなっていく背中はあのときよりもずっと大きく、きっと10cmは身長が高くなっていた。

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