――拾ったから、飼ってる。
――かわいいよ。
酔っ払った真夜中に、飼っているという猫を見に訪れた慧太の部屋には、見知らぬ女の子がいた。
海未ちゃんとはじめて会った日に、慧太が俺に口にしたなんの重みも持たない言葉たちが、その身軽さをもって俺の脳裏によみがえった。
慧太は、愛想こそないけれど顔の造りだけは腹立たしいほど整っているので、決して女の子には困っていないはずだ。なにせ出会ったときから“そう”だったのだ。慧太を一目見て頬染める女の子は、たくさんいた。
けれど、慧太が「誰か一人を選び、いっしょにいる」という選択をすることは、俺の知る限りでは今まで一度もなかったのだ。
誘われれば断らない。でも、後には引かない身軽さ。やることはやる。だけど、その先はない。
友人として、慧太のそういうところは不健全だなとは思うし、ちょっと落ちついたら? と呆れ半分に口出ししたこともあったけれど、慧太がそれでいいのなら俺はべつに、それでかまわなかった。
友だちだってなんだって自分以外は結局他人で、すべてわかり合う必要はないし、そもそも「すべて」わかり合えるなんて思っていない。
だから、友だちだけど、慧太のそういうところは俺には一生わからないものなのだろうな、と。俺はそう割り切ってきたのだった。
「……楽しくはないよ」
「ぶっ」
海未ちゃんが一瞬俺に目を向けて、そして返ってきた答えに思わず吹き出した。ビール飲んでなくてよかった。
「楽しくないよ。けーた、よくわかんないし。デコピンするし」
「はは、デコピンすんの?」
「ちょう痛いよ」
「女の子に最悪だな〜」
俺が苦笑うと、海未ちゃんもちょっと笑ってくれた。しかしすぐに、表情に寂しさが戻ってくる。
海未ちゃんのそういう顔見ていると、目の当たりにしている俺のほうがどうしようもなく切なくなってしまう。やりきれない、というかなんというか。
そこで、俺は気づく。
唯太が、らしくもなく率先して慧太を探しに行った理由。それをこの期に及んで思い知った。ううん、もしかして俺って、ちょっと鈍感なのかな。
「……ずっといっしょにはいれないって、わかってるんだけど」
ポツンと、缶から水滴が伝って、地面へ落ちた。
海未ちゃんがふいに話し出した。俺に、というより、自分自身に言い聞かせるような、どこか諦めたような口調だった。そしてその目は、相変わらず人波を見つめたままで。
「楽しくないよ。デコピン痛いし。なんかいつも不機嫌だし。あたしのこと、猫扱いだし……」
数え切れない人が、波となって流れていく。
笑顔を浮かべるそのほとんどが「誰かといっしょにいる」のだろう。
家族。友だち。恋人。名前のある関係はいい。それだけでなんだか安心する。まるで自分と相手が在る証のように。
「でも、それでもいいよ」
――いっしょにいたいよ。
それは潰れてしまいそうに小さくて、抑え込んだ声だった。
変わらずそこにある横顔を見て、泣いてくれたら慰めることができるのにな、と思う。
名前のない二人の関係は、不安定で、夢と現実の境目のように曖昧だ。――いや、境目を浮き彫りにしないように、そして曖昧なそれを決して越えないように、それで二人は成り立っているのだ。
慧太がいいのなら、それでいいのだと思う。俺にはわからない彼の価値観がある。
そう思ってきた、今までは。
慧太の言動はいちいち腹が立つし、正直趣味だってそんなに合うわけでもない。それでも俺は、今まで何度喧嘩しながらも友だちでいるのは、慧太が好きだからだ。そりゃ愛想はないしおまけに口も悪いけれど、慧太のやさしい部分を、ちゃんと知っているからだ。
(なにやってんだよ……)
なにしてんだよ、慧太。
どこほっつき歩いてんだよ。せっかくの夏祭りなんだから、タコ焼きとか綿菓子とか、食わせてやんなきゃじゃん……。
すべてわかり合えないことをなんて、わかっている。だからこそ歯痒かった。はじめて、心底そう感じた。
流れる人波を見つめる横顔。その手元でまたひとつ、水滴がキラリと光って、弾けた。
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