さっきまでおにいさんが座っていたベンチに、あたしは座っていた。
 海はすっかり色を変えていた。
 ケータイはもともと持っていないし、時計もないから正確な時刻がわからない。とにかく辺りはすっかり夜である。夜の臨海公園は当たり前のように人気がない。

「さむい……」

 言葉が白い息となって吐き出され、するするとほどけるように空気にとけてゆくのをただ見つめた。
 なにしてんだ、と思う。思いはすれども、体はどうにも鉛のように重たくて、少しも動かなくなってしまった。
 さざ波の音は夕方に聞いていたのとはずいぶん違って聞こえる。迫ってくるようで、色も相まってなんだかこわかった。

「……さむい」

 とうとうあたしは、ベンチの上で膝を抱えた。
 自分の行き場のなさに笑える。こんなはずじゃなかったのにな。どこまでもあたしはむなしいままだ。
 現実逃避だったのだ。
 高校を卒業したら家を出て、海を見にいこうと思った。とにかく遠くまで行きたかった。だから、そうした。そうしたら、ちょっとはマシになれるはずと思ったのだ。
 ボロいアパートの狭い一室で、たった一人の母親に置いていかれた、惨めなあたしじゃなくなるような気がした。
 後先を考えない行動が多いと、そんな注意をどこかでされた覚えがあった。なんだっけ、通知表だったかな。ちくしょう、その通りじゃんか。しょっぱな音楽プレーヤーおだぶつにするし。

「……なにしてんだろ……」

 こんなはずじゃなかったのに。
 こんなに寒い場所でひとりぼっちになるために、あたしは捨ててきたんじゃなかったのに。
 どうすればよかったのかな。考えたって、正解なんてちっともわからない。あたし、バカだし。
 こんなはずじゃなかったのに。
 音楽を聴きながらハミングしているときは、たしかにどこへでも行ける気がしていたのに。今はもう動く気力も、涙も出ない。
 このまま、じっと動かないままでも、夜はどんどん更けてやがて朝になって。そんなふうに日々は新しく変わってゆく。けれど、あたしはきっとこのまま何一つも変わらないのだろう。そんなあたしなんか、干からびて砂になって、海にとけてなくなればいい。
 ああ、そうしたら、あたしは名前の通り「海」になれるよ。

「……、……」

 膝を抱えながら、緩慢に唇を動かしてみる。歌詞がうまく思い出せなかった。あんなにずっと聴いてきた曲だったのに。甘くて軽やかなボーカルの声も、なんだかとても遠い。
 それなのに、あたしの胸のなかでは、さっきのおにいさんの声がぐるぐる回っていた。
 すきな声だったのだ、とても。
 胸が高鳴るくらい、泣きそうに息が苦しくなるくらい、ずっと聴いていたかった――。

「誰か待ってんの?」

 突然頭の上からふってきた声を、あたしはすぐに理解できなかった。
 幻聴かと疑う。膝に埋めていた顔をゆっくりと上げたら、ギターケースを背負ったおにいさんがそこにいた。街灯に照らされながら、おにいさんがあたしを見下ろしていた。
 あたしは、ゆっくりと理解する。
 幻聴じゃ、なかった。

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