風がとてつもなく冷たい。強く吹くたび頬を無数の針で刺されるように痛かった。
 身を縮こませながらベンチに座る。視界の先には、夕暮れの空をうつしたオレンジ色に輝く海が見える。

 「……海」

 これが海。
 この独特のにおいが、潮のにおいとゆうやつ。……ちょっと生臭い。でも、悪くない。

 ずっと海もない田舎町に住んでいた。だから海なんて、とてつもなく遠い場所にあると思っていたのに、案外かんたんに来れてしまった。
 半日かけて電車を乗り継いで、辿り着いた臨海公園。駅前のコンビニで購入したペットボトルのホットカフェオレを飲みながら、なんだかロマンチックな気分でメロディーをハミングする。
 耳に挿しっぱなしのイヤホンからは、ずっとYUKIの曲が流れていた。甘い軽やかな声はどうしてこんなに流れる景色にマッチするんだろう。海を眺めながら、そんな感心をただぼんやりとしていた。
 視界の先の海が、このまま色を変えなければいいのに……。

「――あっ」

 そのとき、プレーヤーから流れていた『ハミングバード』が終わるか終わらないかというところで、いきなりピーッと甲高い音が鳴り響き、曲が中断した。それきり、無音になってしまった。
 えっ、なになに?
 ものすごく不穏な気持ちで、あたしはプレーヤーの画面を見た。画面には、no batteryという英字が赤い電池マークとともに表示されていたので、一瞬思考が固まる。

「……」

 十秒程、あたしは無慈悲なデジタルの文字を見つめてみたけれど、そんなもんでプレーヤーが蘇生などしない現実しかないことを思い知るだけだった。

「……おだぶつ」

 力無く、イヤホンを耳から外した。
 真っ白に燃え尽きたミュージックプレーヤー。なむさん。約二年間、あたしのさみしい時間をキラキラのメロディーで埋めてくれていたのに、こんな唐突にお別れだなんて酷すぎる。世知辛い、と残り少なかったカフェオレを一気に呷った。
 そんなこんなでメロディーを失くしたあたしの耳には、とうとう現実の音しか聞こえない。ロマンチックだった臨海公園は、実際は閑散としていて寂しく、さざ波の音だけがむなしく耳に届いてくる。
 呼吸が苦しい。衝動的に耳を塞ぎたくなる。
 ああ、甘い声、もう一度聴きたいのに。現実逃避だってなんだっていい。むなしくなくなるのなら、なんだって――。
 海も見れずに一人うつむいていたあたしは、ふと、顔を上げた。

「……ハミングバード……」

 その場から思わず立ち上がってしまった。
 だって、さっきまで聴いていたそのメロディーが、かすかなそれで聞こえてくるのだ。
 せつないメロディーを一つ一つたしかめるようにハミングする声が、聞こえる。
 辺りを見回し、それはすぐに見つけられた。
 ここから少し離れたもう一つのベンチに、人影が見えた。

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