時刻は深夜零時前。終電に乗る客たちがそこはかとなく店から退散する時間帯だ。
 マユコちゃんも終電に乗るらしく、飼い猫の話を最後に店を後にした。

「はあ、つっかれた……」

 茶髪をがしがし掻きながら、すでにこの日の仕事をすべて終えたような声を出して、慧太がこちらへやって来た。そんなに疲れるほど接客業に勤しんでいたとは知らなかった。

「もう早退したい。眠くてカクテル作れない」
「いいけど、それ自分で店長に言ってね」
「慧太、グラス拭きながらマユコちゃんと喋ってただけじゃん」
「秋吉また来てんのかよ。医学部ってどんだけ暇なんだよ」
「売り上げに貢献してる常連に言うセリフ!?」

 そして全然暇じゃないわ。ああ、忘れていたのに、レポートに一文字たりとも手をつけていないことを思い出してしまった。まったく学生金なし、そして暇なしだっつーの。
 まあここで、俺も二人みたくフリーターになればよかったと愚痴をこぼしたところで、じゃあ大学辞めろよとか情緒の欠片もない返答をされるのがオチだから、言わないけども。

「てか慧太、猫飼ってんだ?」

 放置していたせいで冷めてしまったポテトフライを仕方なく口に入れながら、思い出したように言う。すると、慧太がなぜか、唯太をじろっと睨んだ。

「唯太、言ったのかよ」
「いや違いますよ、会話が聞こえてきたんだよ」
「えっ、ちょっとなになに?」

 ほら、やっぱり唯太なんか知ってるんじゃんか!
 それにしても、なんだこの微妙な空気は。俺またなんか失言しちゃった?

「……べつに、猫拾ったから飼ってんの」

 慧太が至極うざったそうに答えた。唯太は突然、ぼくそろそろ休憩行ってこようかな、などと言い残してカウンターを出て行った。え? 唯太、なんで逃げた?
 わからん。慧太が猫を飼っている話で、なぜこんなに微妙な空気になるのか。こんなに愛想のない男が家では猫をかわいがっているという図は、まあひどくシュールではあるけども。

「……慧太〜」
「なんだよ」
「かわいい? 猫」
「かわいいよ」

 また即答である。溺愛かよ。
 俺のなかで、じわじわと好奇心が湧いてくる。見たい。猫も見たいし、猫を溺愛しているシュールな慧太はもっと見たい。なんなら写真撮ってSNSに晒したい。
 腕時計が示す時刻はすでに深夜一時。当然もう終電はない。ならば慧太があがるのを待って、帰りに猫を見せてもらおう。
 密かにそんな算段をつけた俺は、それならもう一杯ぐらい飲もっかなと、意気揚々と慧太を見上げた。

「バーテンさーん、ウォッカトニックくださーい」
「おまえ金あんの?」
「終電も金もないから、今夜泊めて! そんで猫みしてよ、猫」
「営業妨害なんで帰って勉強してろよ」
「お土産に猫缶とヤンマガ買ってあげるぐらいの金はあるからさ〜」
「……」

 無言でウォッカトニックが出てきたので、どうやら自宅訪問オーケーの様子。

 しかし、このあと俺がコンビニで猫缶とヤンマガを購入し、いざ慧太のアパートへ向かったら、軽く――いやだいぶでかい衝撃を食らうことになろうとは、ウォッカトニックを呷る今の俺はまだ知る由もないのだった。


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