あの子は、海を見たのだろうか。
◇
よくおぼえている。
高校三年の、五月。ブレザーもカーディガンも邪魔に思えるような夏日だった。
その日、全校生徒は正午には下校を言い渡されていた。理由は、なんだったっけ。朝のHRで担任が話していたような気がするけれど、最後の授業を終えて教室を出た俺の頭からはすでに抜け落ちていた。
校内の喧騒から離れ、ひとり別棟の二階へと駆け上がる。
「なんでっ、うち学校って、美術室が二階にあるんだよ……!」
運動音痴の俺は、毎度クラスから部室への無駄に長い距離を呪う。
とはいえ、あの場所でキャンバスに向ってしまえば、たいてい嫌なことは忘れてしまうんだけど――。
ようやくたどり着いた美術室は、担当教員の性格がゆるいせいなのか、いつでも開放されている。
この日も俺は、なんの疑問もなく施錠されていない戸を開けた。すると、窓が開け放たれていたのか、ぶわっと画材独特の匂いがする風を全身に浴びた。強い風に思わずぎゅっと目をつむり、ゆっくりあけると、まばゆい視界のなかで風に舞う長い髪に目を奪われた。
ブレザーもカーディガンも着ていない、白いシャツ。さざ波のようにゆれている青いひだスカート。
(誰かいる……?)
今日は部活動も全面的に休みだったはず。だからこそ俺は、この誰もいない自由な空間でこっそり作品を仕上げてしまおうと目論んでいたのだ。
それなのに、美術室に誰かがいる。
開け放たれた窓辺で、誰かが、イーゼルに立て掛けてある一枚の絵を見ている。
……あれ?
あの絵、あの絵は――。
「俺の絵……」
思わずこぼれた俺の声に、振り向いた顔がこちらを見た。
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