中学二年、バスケ部に入っていた。
 一年の頃クラスメイトに誘われて、他にめぼしい部もなかったので入部を決めた。部活に対する熱意なんて正直微塵もなかったけれど、バスケをすること自体は楽しかった。顧問と先輩がいない練習試合はそれなりに熱中したし、シュートがきれいに決まったときは快感だった。
 毎日、とくに大きな不満もなく活動していた。
 なあなあで入部を決めたわりには、このまま三年の引退試合まで部活を続けるのだろうと、思っていた。

「おまえ、生意気なんだよ」

 体育館裏はいつも薄暗く人気がない。
 呼び出しにはちょうどいいよな、ベタだけど、と、この場所につれてこられたときに先輩が愉快そうに笑ったのを思い出す。
 シャツの襟を強く握り締められて息苦しい。背中に当たるコンクリートの壁がひやりと冷たくて、その冷たさだけがいまの俺にとっては唯一現実的だった。
 俺は黙ったまま、ずっと視線を足元のほうへ投げていた。今年の春に買ってもうだいぶ汚れが目立つ俺のスニーカーと、夏に部活を引退した先輩の革靴。どちらにも同じように影が落ちている。
 遠くで野太い声が聞こえる。このかけ声は、たぶん野球部だ。校舎側からは吹奏楽部の楽器の演奏も聞こえてくる。
 こんな状況におかれても、聞き覚えのある旋律にはつい耳を傾けてしまう。
 これ、なんていう曲だったっけ……。

「黙ってないでなんとか言えよ」

 来栖、と苛立った声で名前を呼ばれ、襟をさらにきつく締め上げられる。ぐっと少し体が持ち上がって、それに比例するように下げ通しだった視線をようやく上げた。
 俺と目が合うと、先輩はあからさまに不快そうに舌打ちをした。

「なんだよ、ずいぶん余裕だな? 先輩のカノジョに手ぇ出しといて、謝罪のひとつもねえのかよ」
「……」
「もしかして黙ってれば何事もなく終わるとか思ってんの?」

 息がかかるほど至近距離で凄まれて、目線をわずかにずらした。
 先輩の背後で、離れたところに佇む例の先輩のカノジョが俺の視界に入った。一瞬目が合ったような気がしたけれど、カノジョはすぐにうつむいて、気まずそうにカーディガンの袖口を弄りだす。

 ――あたし、来栖くんのことずっとかっこいいなって思ってたんだよね。
 ――××とは別れるから。だから、ね? あたしと付き合ってほしいなあ。

 ちょうど一ヶ月前、同じようにこの場所に呼び出されて先輩のカノジョと交わした会話。
 誰かが、俺たちのことを陰から覗き見ていて、先輩に告げ口したのだろうか。……いや、単純に、交際を断った俺に対してカノジョが不満そうに口にした「一回だけ相手してくれたらあきらめる」を受け入れた俺が浅はか過ぎた。
 俺が先輩に涙ながらに土下座でもしたら、まるく収まるのだろうか。涙はとても出そうにないけれど――。

「……ま、でも、ちょうどよかったわ」

 すみませんでした、と謝罪の言葉を吐き出す直前、苛立っていた先輩が急に笑顔になった。俺をこの場所につれきたときに見せた、至極愉快そうな歪んだ笑み。

「俺、正直おまえのことずっと気に入らなかったんだよ。これで殴る理由ができたっつーか」

 ああ、なんだ。やっぱりそうか。
 ずっと、良くは思われていないのだろうな、と感じていた。だから、呼び出されたときから「何を言ったところで」という諦観のような気持ちがあって、それがいま先輩の言葉で明確なものになった。
 誰かが見ていなくても、先輩のカノジョがどうしようが、俺がこの場でどう答えようが。
 結果なんかきっと、同じだった。

 その後、先輩と揉めたことで同級のやつらとも気まずい日々が続いた。
 腫れ物を扱うような態度だったのが徐々にあからさまに避けられるようになり、挙句の果てには「もともと気に食わなかった」とか「殴られて清々した」だとか、先輩が俺に対して最後に吐いたような陰口が部内にも教室にも広まっていった。
 結局、俺は県大会の試合を最後に、部活を辞めた。

(最初から気に食わなかったんなら、いい顔して近づいてくんなよ)

 どうせ嫌って離れるなら、俺のことなんか最初から放っておいてくれ。

「……どいつもこいつも」

 今日も似たような笑い声が弾ける教室を出ていく。かけ声が飛び交う体育館を通り過ぎる。きゅっきゅっと床を擦るいくつものバッシュの音、激しく叩きつけられるボールの音が聞こえてくる。
 帰り道、いつのようにイヤホンを耳にはめて、音楽プレーヤーを再生させる。聴き慣れたエレキギターソロのイントロ。スラックスのポケットに突っ込んだ、利き手の指先が無意識に動いていた。

(どうだっていい、ぜんぶ)

 はやく帰って、ギターを弾きたい。

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