海のなかにいる夢をみていた。海面から差し込む朝陽で、視界は明るい。
俺の目の前にいる女の子の髪がゆらめいている。猫のような目が、じっとこっちを見ていた。その目は何か言いたげで、じれったい。
ちゃんと言えよ。わからないから。どこも行かないから。
髪をなでてやると、ちょっとむっとなった目で見上げてくる。ああ、その目が、ちょっとすきだ。
名前を呼んだ。だけどそれはちっとも声にならない。泡になる。呼吸がうまくできなくて、息苦しい。
呼吸が。息が。声が。泡になる。ああ。なんだこれ。じれったい。苦しい。
………。
「……なにしてんの」
ぼやけた視界で、まんまるの目がじっと俺のことを見ていた。
低い声で、なにしてんの、と言うと、俺の鼻を摘まんでいた指が離れていく。おはよ、とけろっとした顔で言われる。
おはよ、じゃねぇよ。え、つーかほんとになにしてんの? 訳がわからなくなりながらも、オハヨウと棒読みで返している。寝起きの頭は冴えない。つーか酸素が足らない。頭痛い。
「けーた」
舌足らずな呼び方で、俺を呼ぶ。
「朝だよ」
海未が言う。
言われなくても朝だとわかる。鳥の囀りが聞こえてくるし、清々しいくらい朝だった。
「朝だよ、けーた」
催促するように海未が同じことを繰り返す。おまえは目覚まし時計かよ。アラーム、セットしたおぼえないんだけど。
「……まだ朝じゃん」
「なんでまた寝る体勢に入ってるの? 二度寝なの? そうなの?」
「なんでおまえそんな元気なんだよ……」
「けーた、牛乳が飲みたいよ」
「勝手に飲めば」
「目玉焼きが食べたいよ」
「勝手に食べれば」
背を向けて淡々と返していると、やがて鳴き声がやんだ。静かになった部屋のなかで、つまらなそうに、シーツの擦れる音が聞こえてくる。
ベッドは、ひとりで寝ていたときよりも狭くて、ずっとあたたかい。ついでに呼吸がラクになったので、俺はたやすく眠りに落ちていく。
「……けーた」
やんだと思った声が、夢をみる一歩手前で、引き止めるように俺を呼んだ。
けーた、と、つまらなそうな声で呼ぶから、ため息が出そうになる。
「けーた、寝ちゃったの?」
ああもう、めんどくさい。
背を向けていた体勢を戻し、腕を伸ばして引き寄せた。そうすると、俺の腕のなかにすっぽり収まってしまう体は、やっぱり小さくて、頼りなくて、どういうわけかおかしくなる。
首筋に、口でふれる。痕になっているところを舌先でなぞってみると、子どもみたいな体がぴくりとする。だけど海未は黙っている。おとなしいな、と思う。ちょっとは抵抗するかと思った。
「……」
顔を覗き込むように見ると、そろそろと俺を見上げてきて、むっと怒ったような目になる。焦げ茶色の瞳に俺がいる。
乱れた前髪から覗いてる白い額にデコピンしてやろうかと思ったけど、なんとなく気が失せた。仕方がないから、そこにキスをした。
「……けーた」
照れくさそうな顔で、海未が言う。
「朝ごはん、いっしょに食べよ」
猫みたいにまるい目が、俺を見上げて笑う。してやられたような気持ちになって、ため息も出ない。
牛乳、賞味期限大丈夫だったっけ。
そんなことを考えて、短いキスをひとつした。
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