一気に気持ちを吐き出すと、急に泣いてしまいそうになった。気を緩めたらあっというまに涙がこぼれてしまいそうだった。
もし、いまあたしが泣き出してしまったら、日向くんはこの前みたいにあたしを抱きしめてくれるかもしれない。泣かないで、とやさしい声で言ってくれるかもしれない。だからあたしは泣いたらだめだった。ぎゅっと唇を引き結んで、日向くんをまっすぐに見た。
「……そっか」
静かにあたしを見据えていた日向くんは、やがて小さな声でそう言った。
また少し黙ってから、岡部さん、とあたしを呼んだ。
「俺ね、ずっと岡部さんと話したかったんです」
日向くんが笑いかけたとき、夜風が吹いて、日向くんの髪をふわりと揺らした。
春風をはらんだようなやわらかそうな髪。ふれてみたいと思ったこともあったけれど、それだけだった。きっとこれからも、あたしがあの髪にふれることはないのだろう。
「岡部さんがコンビニのバイトをはじめる前から、名前も、全然なにも知らないときから、ずっとこんなふうに話がしたかった。だから、うれしい。すごく」
「……うん」
「話してくれて、ありがとう」
「……う、ん」
あたしはふいに、木漏れ日のなかにやさしい姿で佇んでいた、動物園のキリンを思い出した。
日向くんに似てる、とあたしが言ったら、日向くんはとても微妙な顔をしたのだった。
「……日向くん」
泣かないように、声がふるえてしまわないように、懸命に伝える。
「あたしのこと、すきだって言ってくれてありがとう。すごく、すごくうれしかったよ。動物園も、ほんとうに楽しかったよ。忘れないよ」
口にすればするほど、なんだかおわかれの言葉のようだった。だからこんなに泣けてくるのかもしれない。
コートの裾をぎゅっと掴んで、あたしは続けた。
「……これからも、友だちでいたいよ」
結局、声はふるえて、かすれてしまった。
ふたりで動物園に行ったり、日向くんの水色の自転車の後ろに乗って、アパートの近くまで送ってもらうことも、もうないけれど。
「……うん」
日向くんはやさしい顔のまま、頷いた。
「俺も、おなじ。岡部さんと友だちでいたいです。これからも」
これからも。
泣くのを堪えてぎゅっと結んでいた唇が、ふっとゆるんだ。あたしと日向くんはお互い見つめ合い、それから、自然なかたちで笑顔になった。
おわかれなんかじゃないんだ。
今までとまったく同じではないけれど、これからも、あたしは日向くんとの関係を大事にしたい。
「岡部さん、がんばって」
笑顔の日向くんに、応援してます、と言われて、あたしはちょっと返事に困った。
どうがんばったらいいのかは、正直全然わからない。でも、聞いてほしいことがある。聞きたいことも、たくさんあるから。
「それじゃあ、また」
「うん」
またね。
帰り際、日向くんとあたしは、そんないつもと変わらない挨拶をした。
あたしは、水色の自転車に乗って遠ざかってゆく日向くんの背中を見ていた。風でやわらかくゆれる髪を、見ていた。
長い脚がペダルを漕いで、一度もこちらを振り返らないまま自転車は角を曲がり、やがて日向くんの姿は見えなくなった。
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