明るい場所で目が覚める。
目をこすりながらベッドの上で体を起こした。どのくらい寝ていたのだろう。どうやら熱は下がったらしく、体が軽い。気分も悪くなかった。それに、なんだろう、いい夢をみていた気がする。
冬眠から目覚めた動物のように、天井へ向かってぐぐっと腕を伸ばす。
朝ごはん、食べなきゃ。
「……あ」
ベッドを降りようとしたら、額からぺろっとなにかが剥がれて、フローリングの床に落ちた。
あ、冷えピタ。
お風呂に入ってから、スウェットに着替えた。サイズの違うおさがりのスウェット。寒かったので、今日はズボンもちゃんと穿く。やっぱりサイズ違いの、引きずる裾はまくって。
朝ごはんは、牛乳と、いちごジャムをぬったトースト。黙々と食べながらなんとなくテレビをつけると、画面に映ったのはお昼のワイドショーだった。芸能人夫婦の離婚報道……。
あれ、と思い、ケータイで時刻を確認してみたら、朝ごはんどころか昼ごはんさえちょっと遅めの時間であった。なんと十四時。すっかり朝だと思い込んでいたあたしは、トーストを喉に詰まらせそうになってひとりで焦って、なんとか牛乳でごくんと飲み込んだ。
「……」
ワイドショーを眺めながら、浦島太郎気分になる。
よくわからないごはんを済ませ、あたしはソファの上に寝転んだ。暖房がゆるく効いた室内で、使いなれた毛布でミノムシのようになりながら、メールを読んでいた。
メールは、三件きていた。
From:嘉穂ちゃん
Sub:大丈夫?
寝込んでるって聞いたよ!
インフルエンザ流行ってるし心配だよー(ToT)
ひどかったら病院行きなね!
シフトのことなんだけど、とりあえず明日も私が代わることになったから、ゆっくり休んでね。
それと今日、日向くんが海未ちゃんのこと心配しすぎてて超おかしかったよ(笑)
店長に「お見舞い行きたいので早退していいですか」とか言っててゲンコツ食らってた(笑)
彼にメールしてあげてね〜(^o^)/
元気になったら一緒にご飯でも食べに行こうね。
じゃあ、お大事に!
嘉穂より 嘉穂ちゃんは、バイトで仲よくなった女の子だ。あたしよりもひとつ年上の大学生で、明るいおねえさん、という感じ。
メールの日付は昨日だった。ということは昨日と今日と、あたしの代わりに嘉穂ちゃんが代わってくれたのだ。申し訳なさと、メールの内容がうれしいのとで、ちょっと泣けてくる。
二件目のメールを開く。
Font:日向くん
Sub:無題
店長から熱でダウンしたって聞いたんですけど大丈夫ですか!?
具合よくなたらでいいから連絡くれたら嬉しいです!
でも辛かったら無理しないで! 日付はやっぱり昨日だった。とても焦って書いたことがわかる文章に、申し訳ないけれどちょっと笑ってしまって、それから、やっぱり泣けてきてしまった。
日向くんはまっすぐだ。まっすぐで、やさしくて、だからあたしはほんとうにうれしかった。
今度はちゃんと返事を送れる。相変わらず成長しない亀のような速度で、返信を綴った。
To:日向くん
Sub:元気になったよ!
メールありがとう。
実はさっき起きたばっかりで、朝かと思ったら昼すぎでびっくりしたよ(>_<)
たくさん心配かけてごめんね。
動物園の帰り道、送ってくれてありがとう。
今日は嘉穂ちゃんが代わってくれたから、ゆっくり休むよ。明日はちゃんとバイトに行くよ。
日向くんありがとう。
明日、日向くんと話がしたいです。
今日はあたしの代わりにゴマさんを撫でてやってくださいm(__)m
海未 送信完了しました。
そんな愛想のない文章が画面に浮かんで、あたしは息をついた。
窓から差し込む光が少しずつ色を変えはじめていた。部屋の中が黄色く染まりつつある頃、三件目のメールを開いた。日付は今日、受信時刻は11:02。
From:けーた
Sub:無題
ちょっと出かける。
夕方ぐらいには帰るから。多分。
なんかあったら電話して。 それだけの文章を、しばらくじっと見つめていた。多分。たぶんって、テキトーだ。信用ならない。
「……なんかあったら」
電話して。
そっと最後の一文を声に出してみたら、そのセリフを口にして、けだるげに部屋を出ていく背中が脳裏に浮かんだ。あの重そうなギターケースを背負って。
「……聴きたいな……」
とそのとき、あたしの独り言に部屋のインターホンが重なった。
驚いて顔を上げると、ピンポーン、と同じ音がもう一度響く。
「……けーた?」
あたしはミノムシのように体に巻きつけていた毛布を退けて、立ち上がる。フローリングの床を裸足でペタペタと歩いて、玄関へ向かった。
かけてあった鍵をあける。ドア穴から確認もしないで扉をそっと開けると、そこから入り込んでくる冷たい外の空気と太陽の光。あたしはまぶしさに目をすがめる。
「……あれ?」
ドアの前に立っていた人影が、そう言った。けーたによく似ている声で。
眼前でピアスがキラリと光った。けーたのつけているピアスとは違う、新月のような黒いピアスが。
「こんにちは」
スーツを着た痩せた若い男の人が、あたしに笑いかけた。
その口角はいたずらな雰囲気で上がっていて、まるでチェシャ猫のようだった。
「慧太、いるかな?」
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