外は相変わらず星のない曇天が垂れこめていた。
 空に向かって吐き出した煙が、天に昇る途中でとけてはじめから何もなかったように消えていく。

「もし俺が肺癌になったら、ぜったい慧太のせいだかんね」

 と、唐突に意味不明かつ物騒な発言を寄越してくる秋吉へ、怪訝な目を向ける。

「は? なんで」
「知んないの? 副流煙つって」
「あー……」

 薄れがちになっていた知識が、それこそ紫煙のようにぼんやりと脳裏に浮かぶ。
 だからといって、そんなの俺だけのせいでないことはたしかだ。ヘビースモーカーというわけじゃないし、秋吉と付き合いの長い唯太のほうが俺なんかよりもずっと吸っている。しかもニコチン高いやつ。
 思いついたことをそのまま秋吉に言えば、「ま、そりゃそうだ」と張り合いのない言葉が返ってくる。

「でもさー、なんかなったらなったで、それでもいっかなーって思ったりもするのよ」
「なんの話だよ」
「だからあ、肺癌の話」

 軽い口調で恐ろしいことを言う。
 秋吉はたまにそういうところがある。人並みに空気は読めるくせに、ぺろっと、そういうことを言う。
 なんつって、といたずらっぽく八重歯を覗かせて笑う顔に無性にむかついた。なにが「それでもいっかなー」だよ。なにひとつよくねえだろ。

「はは、まだちょっと腫れてんね?」

 人をちょっとへんな気持ちにさせておいて、煙草を仕舞う俺を愉快げに覗き込んでくる。反射的にデコピンを食らわすと、秋吉は大袈裟な声をあげて俺から後退した。

「痛ぇぇぁぁぁ! ちょっとー! 慧太、こんなん海未ちゃんにもやってんの!? アホじゃないの!?」
「なんでそんなことおまえが知ってんだよ」
「夏祭りんとき聞いたし! 海未ちゃん『ちょう痛いよ』って言ってたんだからね!」
「……ああそう」

 八月の終わりに、海未と秋吉と唯太と、四人で行った夏祭り。すでに遠い昔のことのように感じる。
 祭りのあとには秋吉の提案で、河川敷で花火をやった。中学生か、と思いながら、けれど隣を見れば、俺の名前を舌足らずに何度も呼んで子どものように笑っている顔に、悪くないか、と思った。

「……知らないことなんかさ」

 横目に見ると、秋吉は、無意味そうに白い息を吐き出しながら空を見ていた。

「知らないことなんか、いっぱいあるでしょ。いっしょに暮らしてたって。長く友だちやってる俺らにだって。結局は他人同士なんだし、人間完全にはわかりあえないよね」
「……」
「でもさ、他人でも、完全にわかりあえなくても、それでも……って、そういう思いがないのとあるのじゃ違うと思うんだよね。簡単に割り切っちゃうのも、やっぱちょっと寂しいじゃん」

 秋吉の声を聞きながら、なんとなく俺も同じように視線を上へやった。吸い込まれそうな、少しずつ深みを増しているような藍色の曇天。隣で秋吉が、雪でも降りそう、と言う。

「……慧太ってさー」

 間延びした声に、なに、とだけ返す。

「歌うの好きだよね?」

 べつに何か予想していたわけではないが、そんな斜め上の言葉に思わず、ばっとそちらへ顔を向けた。秋吉は変わらず笑っている。

「って、いつぞや唯太が言ってた」
「……なんで」
「えっ、そんな驚く? 慧太、たまにハミング? してるじゃん。俺も唯太も何回か聞いたことあるし。最近はあんまないけど、高校んときはわりと遭遇したね。慧太イヤホンしててさ、俺らがいるの気づかないの」
「……マジで?」
「マジだよ。俺、あのハミングけっこう好きだったなー。バンドやってるって聞いたときも、てっきり慧太がギタボかと思……って、ブハッ! 慧太クッソまぬけ面……痛ぁっ!」

 人の顔見るなり勢いよく噴き出した秋吉の頭を反射的にひっぱたくと、すげえいい音がした。この頭で某有名大学の医学部とか笑える。
 「家が診療所だから」と、無邪気に八重歯を覗かせながら、今とちっとも変わらない笑顔で言ったのは、秋吉と知り合って月日がそう経ってない頃だった。高二の春頃だったと思う。でもきっとそれよりも前から、もしかしたらはじめから、自分の道を決めていたのかもしれない。
 いつも誰よりも楽しそうに笑っているくせに、怒るときはすぐに怒る。発言を躊躇しない。だから、喧嘩は数え切れないほどにした。
 何度もくだらない喧嘩をして、喧嘩をしながら、こんなふうになれたら、と俺は何度思っただろう。

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