日が沈みきった空には星が見えない。
 さっきまで晴れていた空は、今は藍色の曇天だった。空気が冷たく湿っぽいので、もしかしたら雪が降るのかもしれない。
 築うん十年かって見た目そのままのボロアパートに来るのは久しぶりだった。どこからかカレーの匂いがする。昭和っぽい雰囲気が気に入っていると、はじめて訪れたときに唯太が言っていた気がする。平成生まれのくせに。
 二階のある一室の前で足を止め、くわえていた煙草を仕舞う。インターホンを押すと、音が二重になって響いた。しかも謎の不協和音。大丈夫かこれ。

「お疲れ」
「……」

 扉がぎいっと開き、隙間から無表情が顔を出した。なんだよ、開口一番「お疲れ」って。相変わらずの通常運転に脱力する。
 部屋に上がる前につまみの入ったコンビニ袋を押しつけると、唯太は中身を覗きながら、あーこれ俺の好きなやつ、などとゆるい調子で言う。

「あ、スモークタン。……ん、あれ、慧太メガネ? コンタクトは?」
「……寝不足なんだよ」

 苦々しく答えると、唯太はなぜか小さく笑った。そして、まだちょっと腫れてる? と、自分の頬を指さす。

「……もうヘーキだから」

 それだけ言って、勝手に部屋の奥へ向かって歩き出した。俺の背後でまた笑ったような気配を無視して。

「あ、来た来た〜」
「…………なんでお前がいんだよ」

 炬燵テーブルが部屋のど真ん中を陣取る六畳間。
 たどり着くなり思わず顔をしかめたのは、すでに俺以外の来客が当たり前のように腰を据えていたからだ。当たり前のように炬燵で温まっている秋吉。
 背後を振り返る。視線で理解したのか、俺が何も言わなくても唯太が、ああ、と口を開いた。

「俺が呼んだ。秋吉、大学冬休み入ったっていうから」
「は? 実家帰れよ」
「そのセリフそのまま返すわ! 正月には帰るし! てか慧太さー、なんで俺にはそんなうざそうにすんの? ひどない?」
「ほんとはうれしいんだよ。ほら、慧太くんはツンデレだから」

 意味がわからない唯太のセリフに、噛みつく勢いで睨みつける。しかしそれをやんわりとスルーして腰を下ろした唯太は、いそいそと炬燵に入った。そして、入れば、と視線で促される。
 不満に眉間にしわが寄るが、ひとり突っ立ったままでいるのも馬鹿らしいので、結局俺もおとなしく炬燵に入る。してやられた感が半端ない。
 ……あーでも、炬燵やばい。なんだこれ、すげえあったかいんだけど。

「ああ〜炬燵最高〜。唯太ぁ、俺今日からここに住むー」
「いいけど、家賃と電気代払ってね」
「てか狭いんだけど。秋吉、お前の足邪魔」
「慧太くん、それはぼくの足だよ」
「慧太なんでもかんでも俺のせいにしないでよね!」

 男三人で炬燵に入るという構図はおそろしく狭苦しく、ついでにむさ苦しい。なにやってんだ、とこの状況に呆れつつも、そんな冷静な思考すらどうだってよくなってくる。
 テーブルの上にはすでに用意されていた缶ビール。唯太と秋吉もそれぞれ勝手に開けるのを見て、かたちばかりの乾杯。

「じゃあ、どうぞ」

 唐突極まりないそんな声のあとに、二人分の視線が俺に向けられる。

「聞くよ」

 唯太がつまみの袋を開けながら言う。今までより寸分落ち着いた声のトーンで。

「聞いてほしいことってなに?」

 改めて訊かれて、言葉に詰まった。聞いてほしいと話を持ちかけたのは俺なのに。
 やっぱり、苦手だ。誰かに自分のことを話すのは。二十歳も越えて、今さら自分の感覚なんて簡単には変えられない。
 だけど、悪くはないと思う。はじめて自分と向き合うような感覚も、話せる誰かがいるのだということも。
 二人といる空間がなんだか、ひどく懐かしかった。

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