けもののにおいがする。
 入園して、あたしがそう言ったら、日向くんは笑った。

「本物のパンダ……!」
「うわっ、笹食べてる! 本とかアニメの話だと思ってたけど、パンダってほんとに笹食べるんですね!」

 大きなガラスの向こう側、写真や映像でしか見たことのなかったパンダが、今あたしの視界にいる。
 パンダはなかなかの巨体であった。敷地内の石の上にどっしりと座って、パンダらしく笹を食べている。
 感動するあたしの隣では、日向くんがそれ以上に感動していた。日向くんの「ほんとに笹食べるんですね」発言に、あたしたちの横にいる親子の母親がクスクス笑っているけれど、本人はそれどころではない模様。というか気づいてすらいない。

「パンダって、けっこうでっかいんですね……。でもかわいい。触りたいな……あっ!? 今こっち見ませんでした!? って、あれ? 気のせいかな? 目が黒いからわからない……。岡部さん岡部さん、今パンダこっち見……」
「むふふ……」
「……すいません」

 笑っているあたしに気がつくと、日向くんは途端に声のボリュームをかなり落として謝罪した。みるみる間に顔を真っ赤に染めて。

「あの、ごめんなさい、俺興奮しちゃって……」
「いいよ、パンダかわいいよね。むふふふ」
「あーもう、俺カッコ悪い……」

 独り言のように呟いて、しょんぼりと肩を落とす日向くん。カッコ悪いだなんて、そんなことないのに。

 パンダのいる屋内施設を出ると、外は冬らしく寒かった。でも晴れた空はまぶしくて、降り注ぐ白い光にあたしは思わず目を細めた。園内を歩きながら冷たく澄んだ空気を吸い込むと、けもののにおいがして、懐かしい気持ちになる。

「今日、晴れてよかったですね」

 日向くんの言葉に、そうだね、とあたしは相槌を打つ。

「俺、動物園なんてちっちゃいときに家族と来た以来です。だからすごい懐かしくて」
「……うん」

 あたしも、と心のなかで頷く。
 それは、忘れてもいいくらい昔の記憶だった。
 あの頃に行った動物園に、パンダはいなかった。それでも楽しかった。
 帰り道、「また行こうね」と、あたしに笑いかけたやさしい笑顔も、つないだあたたかい手も、なくなってしまった今もちゃんと憶えている。

「岡部さん、次なに見たいですか?」
「うさぎ触りたいな」

 いい? と、日向くんを見上げれば、もちろん、とやさしい笑顔が返ってくる。あたしたちはゆっくりと歩き出す。
 ここはあのときの場所とは違うのに、けもののにおいは同じ。懐かしくて、胸がちょっとだけ痛い。あたしはそれを日向くんには言えなかった。

 「ふれあい広場」には、うさぎだけではなく羊やモルモットなんかもいた。ついでに子どももたくさんいた。みんな冬休みなんだな、と思う。
 茶色くてやわらかそうな毛並みのうさぎを、あたしはそっと撫でてみる。うさぎはまるで「好きにするがいい」とでも言うように、微動だにしない。愛らしい姿とは裏腹に謎の威厳を感じる。そんなところがなんだか、ゴマさんと重なった。

「うさぎ、かわいいね」
「かわいいですね……。うう、やばい。俺、つれて帰りたいです」
「日向くん、うさぎすき? だっこする?」
「ええ、そんなことしたら俺、ほんとにつれて帰っちゃいますよ」
「ふふふ。ならばあたしがだっこしよう」

 おとなしいうさぎを出来るだけやさしく抱き上げる。膝の上にのせると、日向くんの気持ちを改めて理解した。これはとてもつれて帰りたいもふもふである。

「うさぎかわいい。うさぎもふもふ」
「……うらやましい……」
「ん? なにかゆった?」

 日向くんは片頬杖をついて、あたしの膝の上にいるうさぎをぼんやりと眺めていた。何か呟いたような気がしたのだけど、日向くんは首をぶんぶん横に振ってみせた。なぜかまた顔が真っ赤になっていて、あたしは首を傾げた。

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