「……っ、いた、い」

 絞り出した声は、涙で情けなくふるえていた。
 でも、これはあたしの声なんだ。

「いたい、けーた、いたいよ」

 怯えた声で、馬鹿みたいに「いたい」と繰り返した。声だけではなく体までふるえていることに気づく。今のあたしは、きっと世界一情けない。
 ふと、けーたの動きが止まった。
 黙ってあたしを見下ろしているけーたの顔が見えない。視界が滲んでいる。頬をつたう熱いものが、ソファまで濡らしているのがわかる。

「…………」

 痛みが軽くなった。
 あたしの手を掴んでいたけーたの手から、ふっと力がゆるんだ。押し潰されそうなほどだった空気も、解けていく。
 けーたが、静かにあたしの上から退いた。

「……ごめん」

 ぽつりと、水滴が落ちるように声が降ってきた。
 涙の気配なんてなかった。それなのにまるで泣いているような声は、あたしの知らないけーたの声だった。
 たった一言の「ごめん」。
 それは、おわかれの言葉に似ていた。
 あたしはソファの上で体を起こした。滲む視界に、遠ざかってゆくけーたの背中があった。おわりなのだ、と思った。

「けーた」

 あたしは、精一杯声を出す。けーたに聞こえるように。
 なんにもない情けないあたしだけど。なにひとつも変われないあたしだけど、たったひとつだけ。

「けーた、あたし……」

 あたしから、おわりを言うよ。

「あたし、ここを出てく」

 振り向いたけーたがあたしを見ていた。その表情は、涙のせいでちっとも見えなかった。
 少しの沈黙のあとだった。けーたは小さく、わかった、と言った。
 寝室のドアが閉まる音を聞いた。
 月明かりだけの室内にひとり、残される。けーたがくれたあたしの居場所。白いソファの上。

 ――誰か待ってんの?

 誰でもよかった。むなしくならないのなら、誰だってよかったんだ。だから、けーたじゃなくてもよかった。
 けーたじゃなければよかった。

 ――じゃあ、名前なに。

 けーたじゃなければ。
 なんの根拠もない思いだった。でも、確信をもてるのだ。どうしようもないほどに。
 もう永遠に開く気配のないような寝室のドア。そこからぼんやりと視線を下げると、ポタッと滴が落ちた。ソファにまるいしみができる。

 ――海未。

 名前を呼ばれた気がした。興味も関心もない声で。でも、錯覚だとわかってる。だってもう、けーたはあたしの名前を呼ばない。

「……っふ、う」

 ぽろぽろと次から次に込み上げてくる。泣きたくなんかないのに、涙が止まらない。嗚咽が漏れてしまうほどに泣けてきてしまって、あたしは両手で自分の顔を覆った。
 これ以上惨めになりたくなかった。だから、あたしからおわりを告げた。なのに、どうしてこんなに泣いているのだろう。これは、なんの涙だ。胸がつぶれそうに痛いのだ。こんなに“いたい”のは、どうして。

「けーた……」

 名前を呼んだのは、無意識だった。
 だから、返ってこないのはわかってる。わかってる。涙だって、いつか涸れる。だいじょうぶ。
 だいじょうぶ。
 明日になったら、また――。

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