二
「ラウといっしょに日本にきて、熊猫飯店で働き始めたばかりの頃よ。出前に伺ったお家で、男の子が出迎えてくれて……」
「そいつが、俺に?」
頷いた白桃ちゃんの顔が、当時のことを思い出しているのか、懐かしそうにやさしげなものになる。
「中学生くらいだったと思うんだけど、とても背が高くて、喧嘩でもしたのか手の甲に絆創膏を貼っていてね。なんとなく……ラウに似ている気がした。もちろんドッペルゲンガーなんかじゃなかったのよ。ぜんぜん別人だった」
でも、と、言葉を切った白桃ちゃんの視線がふと下がり、両手でもった食べかけの熊猫まんの辺りをさまよう。なにかを深く、強く考えているような、心ここにあらずというような目だ。
「でも、ラウがもし私のキョンシーじゃなかったら……あんなふうだったのかなって、」
「白桃ちゃんのキョンシーじゃない俺は俺じゃないよ」
ものすごくはっきりとした声が、俺の口から飛び出てきた。驚いたように白桃ちゃんが顔を上げ、その目にうつる俺の顔も、驚いているようだった。
今、なにも考えずに言葉が出た。
反射? いや、衝動、というやつだろうか。キョンシーで、白桃ちゃんの従者である俺が「衝動的に」だなんて、なんだか噛み合わない。それに今までこんなことはなかったはずだ。
けれど、嫌だ、と感じた。
白桃ちゃんが、まるで独白のように「ラウが私のキョンシーじゃなかったら」と口にしたときに、たしかに。
「……そうね」
やがて、白桃ちゃんがゆったりとほほえみを浮かべた。それを見て、俺の心はようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「ああ、そうだ。白桃ちゃんこれ」
そういえば、とポケットに入れたままにしていた財布を返す。
白桃ちゃんはその中身をたしかめて、おつりで何も買わなかったのね、と少し不思議そうにした。
「ほんとうは買いたかったお菓子があったんだけど、なかったんだ」
「何のお菓子を買いたかったの?」
「はぎのつき」
白桃ちゃんがきょとんとする。ややあって、ふふっと声をあげて笑い出したので、俺は首をかしげた。
「萩の月は仙台のお菓子だから、ここら辺のスーパーにはおいてないのよ」
「え、そうなのか……」
店員さんに苦笑いされながら「ないですね〜」と言われたときもガッカリしたけど、そもそも簡単に買えるお菓子ではなかったのか……。
白桃ちゃんはよほど可笑しいのか、クスクスと鈴が転がるように笑い続けている。その様子を眺めながら俺は、「せんだい」とは何処にあるのか、どんな場所なのか思いを馳せた。
ここら辺においてないということは、この前の浜辺のときのように、電車にゆられて行くような場所なのだろうか。「はぎのつき」という名前のお菓子があるのだから、きっと月がきれいに見える場所なのだろう。
日本は、俺たちの故郷と同じくらい小さくて狭い国だと思っていたけれど、案外そうでもないらしい。
生まれた国が違うというのに、自分たちと似ている人たちもいるし。
「いつかいっしょに行けたらいいわね」
笑いかける白桃ちゃんに、頷いた。そして、行こう、とはっきり口にした。
今度は「衝動的に」ではなかったけれど、きっと必ずかたちになるように、想いを込めて。
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