二
見覚えのある人影のかたちだった。扉を開けてみると、店の前には杖をついた仙人爺さんが立っていた。
仙人爺さんは俺を見上げると、よう、とひょうきんに片手を上げた。なんとなく俺も、よう、と片手を上げる。
「坊主、今日休みかい? 朝飯食いに来たんだけども」
扉にかけた「本日休業」の札を杖で指して、仙人爺さんが訊ねる。
「ああ、悪い。今日は臨時休業なんだ。白桃ちゃんが熱出しちゃったから」
「あらま。お嬢ちゃんが?」
「昨日から熱が下がらないんだ」
仙人爺さんは、何かを考えているような仕草で立派な白髭をいじりつつ、さらに俺に訊ねてくる。
「坊主、おまえ看病できるのか?」
「うん。俺しかいないから、やらなきゃ。でも薬がないからこれから買いにいかなきゃならない」
「薬にも仰山種類があるぞ。ちゃんと買えるんか? ん?」
「……店員さんに聞く」
つい声が小さくなってしまった。すると、仙人爺さんは突然わっはっはと豪快に笑い出した。なんなんだ。
「爺さん、俺忙しいから……」
「どれ、診せてみなさい」
「なにを?」
「お嬢ちゃんに決まってんだろう」
軽快に杖をつきながら、仙人爺さんがきょとんとする俺の横を本物の仙人のようにすり抜けていった。
仙人爺さんをつれて、寝室に入る。白桃ちゃんは目を閉じていた。眠っているようだけど、呼吸が乱れているし、やっぱりつらそうだ。
仙人爺さんは、そんな白桃ちゃんの首筋に手をあててみたり、口をほんの少し開けて様子を少し見ただけで、心配ない、ただの風邪だ、と言った。
「ほんとに? なんでわかるんだ?」
「ワタシはこう見えて医者なんよ。今は日本での隠居ライフを満喫してるけど、自慢の診察眼はまだまだ現役よ」
仙人爺さんは、熊猫飯店の最も古参の常連客であることは先代の店主からも聞いていたが、そういえば彼とまともに口を利くのは今日がはじめてだ。まさか医者だったとは。白桃ちゃんは知っていたのだろうか。
「ん、日本でのって……爺さん、日本人じゃないのか?」
「なにを今更。今の今まで日本語で話していなかったろうが」
あ、と思う。あまりに自然に会話をしていたから、まったく気づかなかった。
「ワタシの故郷は、お嬢ちゃんや坊主と同じだよ。おまえさんたちよりずっと早くから日本に住んでるけどな。ついでに、おまえさんたちがふつうの人間じゃないことも知っているよ」
にやりと笑う仙人爺さんの言葉に、引っかかるものを感じた。俺“たち”がふつうの人間じゃない――?
「俺はそうだけど、白桃ちゃんは人間だよ」
「とくべつな人間、と言ったほうがよかったかな。お嬢ちゃんは」
「とくべつ?」
「坊主ほどのもんをつくれる人間は、とくべつなんだよ。超がつくほどのな」
俺は首をかしげる。
白桃ちゃんが、とくべつな人間。
言われてみればたしかに、そうなのかもしれない。ふつうの人間にキョンシーなんてつくれないだろうし。けれど、俺たちの故郷では、キョンシーをつくれる人間はけっこういたらしいのだ。それこそ百年ほど昔には、キョンシーは主に戦争の兵器として投入されていたと、以前本で読んだことがあった。
――ああ、そうだ。つくられてまもない頃、白桃ちゃんは俺に言ったっけ。俺は“とくべつ”なキョンシーだって……。
ぼんやり思考を巡らせていると、仙人爺さんが俺の脇腹を杖でツンツンとしてくる。
「それはともかく、だ。症状自体は心配することはないが、昨日から熱が下がらないんじゃ体力も消耗してるだろう。お嬢ちゃん小さいしなぁ……。坊主、薬がないんだったっけ?」
「うん」
「なら、家へ来い。風邪に速く良く効く薬があるから。す〜ぐ良くなるぞ。ちょっと苦いけど」
踵を返して寝室を出ていく仙人爺さんの後を追う。しかし途中で、はたと足を止めた。振り返った仙人爺さんが、どうした? と目で訊ねてくる。
「知らない人についていくなって、白桃ちゃんから言われてる」
仙人爺さんはきょとんと目をまるくして、それからまた豪快に笑った。
「知らない人じゃないだろう。ワタシはこの店の超がつくほどの常連客だぞ。それにこうやって話もした。な? キョンシー坊主」
「……」
「ええい、さっさとついてこい。お嬢ちゃんの熱が下がらなくていいんか?」
そう言われてしまったら、俺はおとなしくついていくしかなかった。
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