小説(刀剣) | ナノ
18.黒く染まった白い刀



手入れ部屋を出た後、三振りと一人は執務室へ向かった。本丸内の地理がわかる歌仙に先導してもらい、廊下を走り抜ける。かなり遠回りではあるが、先程感じた視線が気のせいだとは思えなかった。

「次を曲がればすぐだよ」

先を行く歌仙の言葉に審神者は身を固くした。しかし、件の角に差し掛かったところで、

「っと、」

歌仙が踵を滑らせた。持ち前の反射神経で踏み止まったおかげで転倒はしなかったが、全員が彼の足元を見て息を飲む。そこにあったのはから先がない刀の残骸──歌仙が踏んでしまったものだけではない。全部で三振り分の柄があった。

「短刀か……」

辺りは乾いた血の跡や刀傷でだいぶ荒れていた。審神者は鶴丸の腕から降りてそれ等の亡骸を懐から出した手拭いに包んだ。またこの場を通る際に踏まないよう端に寄せて。合わせて膝を折った歌仙は彼女に頭を下げた。

「……すまない」
「いえ。執務室は、」
「ここだよ」

すっと立ち上がった歌仙は痛いほどの殺気を迸らせ、入口を睨んだ。長谷部が障子に手を掛けている。審神者は彼に頷いて見せた。

部屋の中は一見真っ暗だった。闇の暗さではないことに気付いたのは鼻をさした異臭のせいだ。血の乾いた錆びた臭いと腐臭が混じっておぞましい臭気を放っている。一面が血で染まった執務室内は凄惨の一言に尽きる。しかし、ぐるりと中を一通り見渡して、とある一点が目に付いた。そこには布団が敷かれていて、こんもりと盛り上がっている。歌仙は一直線にその膨らみの元へ駆け寄った。

「五虎退!?」

汚れきった布団に包まっていたのは短刀の一振だった。白い髪や肌も全てが真っ黒く染まりきって平常時の面影はない。更に異様だったのは、歌仙によって抱き起こされた彼の右肩から先が無くなっていたことだ。
審神者も歌仙の後に続いて執務室へ入った。

「う……だれ、ですか……」
「僕だ、歌仙兼定だ。遅くなってすまない……」
「……かせん、さん……」

審神者は歌仙の横で膝を付いた。既に五虎退は目の焦点が合っていない。刀剣男士としての御魂の気配も希薄で、穢れの温床たるこの部屋の中に長く居て魂が堕ちていないことの方が奇跡と思えた。

「ごめ、なさ……ぼく、」
「もういい、話さなくていい。審神者殿、どうか」
「……? だれか、他にも…?」
「ああ、他所の本丸の審神者殿だ。偶然ここに辿り着いたそうだが、手を貸してくれたんだ」
「……さにわ、さま……」
「……ああ、そうだ。今手入れを」
「ぼくより、先にあるじさまを……」

限界が近いのだろう、声がどんどんか細くなっていく。布団から這い出て伸ばされた細い手。その手には彼の本体である短刀があった。審神者は短刀ごとその手を握った。

「五虎退。どうか教えてください。どうして彼女はあのようなことになったのですか」
「ぼくらの……せいなんです……あるじさまに生きてほしくて、それで……」
「…………」
「……あるじさまも、死にたくないって……それを叶えてあげたかった……」

息も絶え絶えの彼の話を誰もが固唾を飲んで聴いた。

「呪いで、箱のせいであるじさまのちからが絶たれて……」
「…………」
「霊力をわけるには……これしかないって……」
「まさか……」
「……はい、あるじさまに血を、わけました……」
「……そう、ですか……」

刀剣男士の血肉を摂取するなど、人の身に耐えられるものではない。予期せぬ事態により瀕死に追い込まれた審神者を生き長らえさせるためだとしても。

冷えきって氷のような手から力が抜けた。握り返されることもない。魂の気配がどんどん遠ざかっていく。

「わかりました。もう大丈夫。貴方達の主は必ず私がどうにかします。だからもう、」
「あ…待ってください、あるじさまだけじゃないんです……乱にいさまも……」
「乱?」
「乱にいさまは一人でずっと……ぼくたちの分まで……だから……」

途切れ途切れながらも、必死に伝えようとする五虎退の言葉を一言も漏らすまいと聞き入った。このとき無意識のうちに彼に霊力を送り込んでいたことを審神者は知らない。

「その乱は今どこに?」
「本丸のどこかには……きっとまだたたかってるんです……ぼくも、いきたいのにいけなくて……」

布団の中でもぞりと動きがあった。よく見れば布団の膨らみが不自然であることに気付く。彼が小柄とは言え、明らかに下半身部分が短過ぎる。恐らく、既に足も右肩同様の状態なのだろう。

「わかりました。乱も必ず助けます。あなたも、ここまでよく頑張りました。もう大丈夫、だからゆっくりお休み」
「……はい……」

魂と容れ物たる刀を分離させる。刀解には痛みはない。ほんの一瞬の出来事である。その一瞬の間に五虎退はふわりと笑った。それは彼本来の優しく穏やかな笑み。
そうして後に残されたのは僅かな玉鋼の欠片だけだった。通常の刀解時よりも資材が少ないが、穢れの影響を受けた故だろう。その玉鋼を握り締める歌仙になんと声を掛けるべきか迷った。が、審神者が口を開くより先に歌仙の手が審神者の手を強引に取った。

「これは君が持っていてほしい」
「でも……良いのですか?」
「こうするのが一番良いんだよ」

歌仙の言い回しに僅かな引っ掛かりを覚えたが、深くは追及しなかった──否、出来なかった。
己の預かり知らぬ間に主が殺され、苦楽を共にした仲間は亡骸となり、更に変わり果てた姿の同胞をたった今喪った──最も辛い想いをしているのは間違いなく彼である。手入れで治せる段階をとうに過ぎていたとは言え、彼の了承を得ずに五虎退を刀解したのは事実で、詰られることは覚悟の上で行ったのに、一言も言及されなかったことに密かに安堵してしまった。その自覚があったからこそ、これ以上何も言えなかった。
審神者は何も言わない代わりに玉鋼を懐紙に包んで懐へ仕舞った。

歌仙はそれを見納めて立ち上がる。

「……さて。それじゃあ、この部屋を調べるかい?」
「はい。全体的に見させてもらいたいのですが」
「ああ、構わないよ」

部屋の左手には執務用と思しき机が立て掛けられているが、見事に真っ二つに割れている。その隣には本棚があり、書類がファイリングされているようだがその背表紙も黒く染まっていて内容はわからない。
長谷部には押入を、鶴丸には机のあたりを調べるよう頼み、自身は本棚へ手を伸ばした。

「あと、主が気にしてるのはこんのすけのことかい?」
「そうですね……でも、五虎退のおかげで私の推測が間違っていたこともわかりましたから」
「ここの審神者は呪いで死ねないんじゃなく、刀剣によって生かされていた、ってことか」

鶴丸に相槌を打ちつつ、ファイルの一つを適当に取り出し、軽く流し読みする。どうやらこれまでの戦績を記したもののようだった。隣に収められていたものは遠征の記録だ。最後の頁に歌仙達が発った記録がある。そこから遡って数頁読んだところで、押入を探索していた長谷部から声が上がった。

「主! いました!」

長谷部が持ってきたのは木箱に収められた真っ黒い塊だった。駆け寄った審神者の肩越しに覗き込んだ鶴丸と、その隣に立った歌仙も顔を顰めた。

「……こんのすけ……」

真っ黒い塊──トレードマークの顔の縁取りも、白い毛も全てが焼け焦げてしまった無惨な骸。押入を開けてすぐに饐えた臭いがし、元を辿ってこの木箱を見付けたのだと言う。

「これも呪いのせいでしょうか」
「わかりませんが、恐らくは。審神者の霊力を奪い、こんのすけをこんなふうにする呪いがあるなんて、信じ難いことですが……」

木箱は審神者が預かることにした。長谷部は呪いによる悪影響を懸念していたが、彼等に持たせて片手が塞がることは避けたかった。

その後もざっと室内を探ったが、それ以上の収穫はなかった。呪いの元となったはずの箱すら見付からない。せめてそれだけでも持ち帰れば呪いの全貌とはいかずとも、一端くらいは掴めるかもしれないと考えていただけに落胆は大きい。

「とりあえず、次はここの審神者と乱を探すかい?」
「そうですね」
「二手に別れますか?」
「いえ、五虎退はまだ乱が戦っていると言っていました。敵がいるなら別れるのは得策ではありません」
「遡行軍ならいいが、それ以外も有り得ると」
「はい」

この本丸の刀剣所持数から言って、残っている刀剣男士は乱藤四郎のみとなる。

ひとまず、更に本丸の奥へ進むため、執務室を出て右の角を曲がった。

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