ぼくは今、目の前を歩く背中に必死について行っている。その背中は、今日のアルバイトの雇い主さんのものである。
この人は、凄く歩くのが早い人で、今やっと彼の家へたどり着いたのだけれど、ぼくはもうくたくたになっていた。
けれど、バイトはこれから始まる。
銭を稼ぐためには、疲れたなんて言ってはいられない。
立ち止まった雇い主さんの前へ回り込み、視線を合わせて、一杯の笑顔を捧げた。

―――もちろん有料の、





大木先生に逢ったのはその帰り道だった。今日の雇い主さんの住んでいる村に、たまたまらっきょうを売りに来ていたらしい。
偶然が重なり合ってはち合わせたぼくらは、一緒に忍術学園へと向かっていた。

「それでね、今日のその雇い主さんがけっっこう人使いが荒くて、散々でした。その分に見合う料金は頂けたんですが」
「そうか、見合うだけ貰えたならよいが、話を訊くところによると相当だなあ…さぞ疲れただろう」
「でも、いつものことっすから」

大木先生の手がとなりから伸びてきて、ぼくの頭をわしゃわしゃと乱暴になでまわした。
そういえば、今日の雇い主さんもぼくをそうやってなでたけれど、なんというか、落ち着かなかった。
それにくらべて大木先生のこれは…凄く…

「お、どうした嬉しいか?」
「そ、それほどでもないです、」

(落ち着く)、そうおもってしまっていたことを大木先生に見抜かれてしまったみたいで、ぼくはあわてて嘘をついてしまった。
大木先生は「はは、そうか」と言っては未だにとなりでぼくの頭をすき勝手になでまわしている。
これはもうぜったい、ぼくが大木先生になでられるのをすきなことを、彼は知っているんだろう。
ぼくは変に照れくさくなってすねた顔をしてみせたけど、効果はなかった。

大木先生は常に、ぼくのとなりにいて、となりを見上げるとすぐに大木先生と視線を交えることができた。
そんなときふと気づく。
あの雇い主さんは、常にぼくの前を歩いていた。
決して追いつくことのない背中は、ぼくにもどかしさと、少しの言い知れぬ不安を与えた。
小走りに近いぼくの歩みも、その背中の前ではお手上げだった。

「となり、」
「ん。そうだ、隣だな」

ぼくのつぶやきに大木先生はうなずいた。

「雇い主さんは、ずっとぼくの前にいたのに、なんで大木先生はぼくのとなりなんですか?」

とたんに大声で笑い始めた大木先生を、ぼくは唖然としてながめるしかない。
「そんなの当たり前だろう!」とすごい大声がぼくのすぐとなりで発せられて、大木先生のてのひらがまた乱暴にぼくの頭をなでまわした。

「私がお前の隣に居たいからだ」

楽しそうな、なにかを愛しむような声が、静かにぼくを包みこんで、今日覚えた言い知れぬ不安を、拭いとってくれたような気がした。

大木先生が言うには、大人になると背がのびて足も長くなるから、自然と歩幅も大きくなるらしい。
だいたいぼくの二歩分の歩幅はあるんだって。
それに加えてあの雇い主さんは足が速かったから、道理で追い付かない訳だ。

「隣ついでに手でも繋ぐか、」
「一文です」
「はっはっは」
「ちょっと、大木先生?訊いてます?」

大人とこどもがとなりを歩くということは、当たり前のようで、当たり前ではないことらしいのに、大木先生はそれを当たり前にしてくれた。
繋がれた手も、いつしか当たり前になってしまえばいいのにな、なんて、一文じゃ言えないよな。






20110613


 
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