シルノフ編 | ナノ


 いつもは静まり返っている城内が騒々しい。
 エミールはその中をただひたすらに走る。自室からずっと走りっぱなしのせいか、息は上がりきっていて呼吸も苦しい。
 でもそれ以上に心がざわついていて、それが足を止めるという思考を奪っていた。

『キルシュ様が、何者かに襲われたそうです』

 ヴァーシリーがすべてを言う前にエミールは部屋を飛び出していた。
 腕も確かで常に周囲を警戒し、襲ってくる者すべてを切り伏せてきたあのキルシュが大怪我をするだなんて。
 先ほどとは打って変わりキルシュの部屋に近づくにつれて静かになっていく。その静けさに恐怖を覚えながらも、エミールはついに目的の部屋の前に着く。
 しかし扉の前にはすでに見慣れた人影があった。

「ロザリ、ククール!」

 二人の姿を認めるとエミールはすがるような声を出す。

「静かにしろって。今治療中だからさ」

 宥めるようなククールの言葉に逆に興奮したのか「でもっ」と上ずった声で言い募る。そんなエミールを静めたのは、握られた指先から伝わるロザリの熱だった。

「大丈夫…見つかったのが、早かったから…って」

 感情の乏しいロザリの声音に、エミールはゆっくりと身体の力を抜いて「…うん」と呟き、続いて焦りで冷静さを失った自分を恥じた。

「ごめん、私…」

「ま、気持ちがわかんねぇわけじゃないけどな」

「それでキルシュは?」

「怪我の範囲は左肩全体と胸、どっちも大型のナイフで切られていたって。血を流しすぎたことと、泥が傷口に入ったせいで症状がよくないらしい」

 そこまで聞いて無意識に窓の外を見る。冬の城と飛ばれるクルシェフスキーの本拠地は年中雪で閉ざされていることが多いが、最近は雪より雨が降ることが多かった。そのせいでぬかるんだ泥がキルシュを苦しめている。
 天候まで敵対したことにエミールは唇を噛んだ。

「…泣かないで」

 ロザリの言葉に何を、と言いかけてやめる。自分の目頭が熱くなっていることに気づいたからだ。けれど涙はこぼれていない。

「…泣いてないわ、大丈夫。ありがとうロザリ」

「…ううん」

 ロザリはふわりとほほ笑む。その小さな笑み、エミールは心がぽかぽかと温かくなのを感じた。

「…あーっと邪魔して悪いんだけど…これから詳細に聞きに行くからさぁ」

「私も行くわ」

 ほぼ即答したエミールにククールはやっぱりとため息をついた。真っ直ぐな気性はエミールの美徳かもしれないが、あまり頭突っ込まずに大人しくしておけばいいのに、と常々思う。とはいえ聞きに行くとわざわざ進言した自分も自分だろうけれど。

「いいけど…ウォッカんとこだからな。行くの」

「だったら何よ?」

「いや泣くんじゃないかと…いてっ」

 ククールは頭に強烈な痛みを感じてうずくまる。エミールは拳を握ってククールを見下ろして、まるで喘ぐように口をパクパクさせると、顔を真っ赤にしたまま背を向ける。

「はやく行くわよ!」

 だから静かに、と言う前にエミールは離れていく。殴られたククールは頭をさすりながら「わかりやすい奴」と呟く。その時、袖を引かれる感覚がして横に目を向けた。

「ククール…大丈夫?」

 首をわずかに傾けてロザリは問う。その姿に頬が緩むのを止めず、ククールは「おう」と返事をした。








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