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「私達は何故、戦うのでしょう」

 白い肌に泥と血がこびりついて、その悲しそうな顔すらもひきつってしまっている。泣くように呟いた彼は、視線を下に落として自分の靴を見た。軍靴の黒い皮も泥と血で汚れていた。
 わからないと答えた俺の肌も軍靴もまた汚れている。泣きそうなまま、彼はそうですかとだけ言った。
 彼は酷く、酷く戦場に似合わない兵士だった。優しすぎた。白い肌も柔らかい物腰も華奢な身体も、武器を持つと違和感しか生まない。むしろ人を殺すより育てる方が似合う男だと、初対面のとき思った。数週間経ってもその印象は変わらない。

 何の為に戦うのか。その言葉を同僚達は考えすぎだと一蹴して笑ったけれど、俺は何も言えなかった。彼は変わらずひきつった顔を引っ提げて、いつも靴の方を見たままだった。
 それから彼とは話していない。死んだとは聞いたけれど。


▽△


 右側から、銃で一発。その後手当てを受けるが死亡。戦争においてはさほど珍しい死因ではなかったが、ここで重要なのは、彼が見つかったのが制圧が既にほぼ完了した地区だったことである。
 彼のことだ、油断してやられたのではないだろうと小隊長は言った。きっと、死体か負傷した敵さんと目が合ってしまったのだろうと。

「合ってしまったら、どうなるんですか」
「どうもならんさ。ただ、そこで動けなくなる奴が居るんだ。例えば、それこそあいつやお前なんかがそうだ。お前らは戦争に向かないから」

 優しすぎるのさ、といつか俺があの線の細い彼に対して思ったことそのままを言ってみせた。隆々とした筋肉の、所謂軍人らしい軍人の男は、それだけ言って黙った。それは彼らしくない行動とも言えた。いつもニヤニヤといやらしく笑う人だから。悪い人では無いのだけれど。
 彼はともかく、俺が優しすぎるとはどういう事だろう。俺はいつだって戦うことを躊躇ったことはなかったし、この人の前で弱音を吐いたこともない。むしろなかなか強い奴だなと言われたことだってあったのに。何をもって優しすぎると言うのか。
 疑問を口にする前に、隊長は何だ気付いてないのか、といつものニヤニヤとは違う笑みを見せた。

「あの質問にわざわざ答えようとすることができるからだ。普通はただ戦うだけ。長く続きすぎた戦争では理由など考える奴はいないんだよ。……さあ、この話は終いだ。さっさと戻れ」

 彼は犬か何かを追い払うように手を振って、踵を返して行ってしまった。何にせよ任務に戻れと言われた以上、戻るべきだろう。今日は確か制圧された地区の見回りと片付けのはずだ。彼が死んだ時のものと同じ。


△▽


 地区に到着すると早々に誰かが呻いた。至る所に転がる人だった肉塊を見て、同僚達は皆顔をしかめる。
 敵だったものも味方だったのも、ごちゃ混ぜに折り重なっていた。果たして生き残りなんてここに居るのだろうか。一体どんな戦い方をしたのか、最前線ではない俺達には伝わってこないが、だいたいの憶測はできた。それほどに酷い有り様だった。
 ふと立ち止まって見た場所には、幼い兵士が横たわっていた。服は血と泥で汚れてしまっていて、血溜まりに浮かぶ細い身体が痛ましかった。

(何で戦ったんだよ、お前)

 まだ子供だろうに。
 見続けるのが苦しくなって、ついと視線をずらした時、彼と目が合ってしまった。閉じられていると思っていた瞼が薄く開いていて、こちらの方を向いていたのだ。うっかりしていた。あれほど気を付けていたのに、その瞳を覗いてしまった。
 この場を去ろうとした足が言うことを聞かないし、目が彼から離せない。石になってしまったかのようだ。横たわる少年がメデューサでもあるまいに。
 何故かこのタイミングで、いつかまだ戦争が激しくなかった頃を思い出していた。随分と昔の話だ。そういえば、父が釣った魚を捌くのをよく見ていた。その魚の頭、というより天井を見る目と小さく並んだ牙を眺めることが多かったと、そんなことばかりが過った。
 彼の薄く開いた硝子のような瞳と、少し開いた口から見える歯を凝視するうちに、今はもう動かない少年もつい何時間か前までは生きていたのだと気付いた。あの日の魚と同じだ。ここにあるのは肉塊ではない。紛れもなく死んだ"人"なのだ。大事な誰かが居て、夢か目標があって、死にたくなかった筈の、生きていた、人。そうなるともう本当に動けなかった。

 そのままどのくらい経っただろう。太陽はしかし動いた様子はないから、一瞬なのかもしれない。右側からかちゃりと音がした。
 それでようやく呪縛が解けて少年から目を反らす。音がした右側には軽傷の残党。
 今、動かなければ。この兵はまだ戦うつもりで、しかも銃を持っている。このままこの兵を捕虜にすることは出来ないだろう。音からして既に安全装置は外された。つまり、俺の命が危うい。
 自分の命の危機だというのに、視線が動かせても腕と足が言うことをきかない。まるで途中で神経回路がおかしくなってしまったかのようだ。なるほど隊長の言うことは間違ってなかったな、とか、走馬灯は見えないな、なんて考える余裕があることが逆に怖い。
 視線だけをどうにかして敵を視界に入れる。また目が合った。もう息絶えた少年のものとはまた別の、もしくは同じような何かがあった。
 そこからの時間は異常なほどゆっくり流れたように思う。
 水を纏ったかのように重い空気を肺に呼び入れることが酷く億劫になって、けれどまだ死にたくはないから無理矢理腕を上げ残党に銃口を向ける。息を詰める。ひたすらに空気が重たかった。あ、また軍靴が汚れてる。
 あの優しい兵は最期に何を思ったのだろうか。そして俺は何を思うのだろうか。何故俺達は戦うのだろうか。
 ただ一発の銃声が響いた。

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