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 エナメル液を買った。別に、特に何かの理由があったワケじゃあない。
 今日も忙しくくるくると働く姉を横目に、リビングのソファで小瓶の蓋を開けた。膝を抱えるように座り直す。足に塗るものはマニキュアではなくペディキュアというのよと、姉は私を見て微笑んだ。キャラメルブラウンの長いポニーテイルが揺れている。
 ふわりと漂う独特の匂いのする液体を、青い色を、親指の爪に乗せる。久しぶりに、足にも爪があったことを思い出したような気分だ。短い休みの間だけ、人に見せて歩く機会もないけれど、わざわざ何のためにか三六〇円を費やしてしまった。
「それにしても、珍しいわね。あなたがそんなことするなんて」
 皿洗いをしながらそう言った社会人の彼女は、最近ますます母に似てきたように思う。歳の離れた姉はいつも私の前遠くを歩いていて、きっと永遠に追い付けないのだろうなあと感じたのは小6の時だった。

 全ての足の爪に青を塗り終えて乾くのを待つ間、改めてエナメルを見た。夏の色だ。空の青。ラメ入りにしなくて良かったと思う。青の時点で派手なのかもしれないが、それでもまあ少しばかり地味な方が私らしい。
「トップコート、貸してあげようか。綺麗になるよ」
「いや、いい。このままで」
そう? と微笑んで、彼女はまた皿洗いを再開した。長い前髪と、きらきら光る爪が眩しい。あれはラメでなくて、そのトップコートのせいで光るのだろう。柔らかいパステルイエローが、水仕事のせいで赤い指についている。彼女らしい明るい色だった。
 だからやっぱり、エナメル液の入った瓶を手にとったのは、別に理由があったからじゃあない。
「(それは)」
 伸びてきた前髪を切ることを躊躇っているのも、大学に入ったら茶色に染めようと思っているのも、青を、選んだのも。ラメ入りを避けたのも。別に理由があったからではないのだ。
「(本当に?)」
 半乾きの爪を見た。深い深い青い色は、小学校の卒業式を見に来ていた姉の、服の色に似ている。
「姉さんは、結婚とか、しないの」
「ふふ、そうね。あなたが一人で生活出来るようになったら、考えようかしら」
 冗談めかして言う、私の黒よりずっと明るい彼女の長い髪が肩から落ちるのが見えた。
「ふーん」
 次にエナメル液を買うときは、より目立たない黄色にしようと、足元に視線を落とす。乾ききる前にソファに触れたのか、早くも親指の青は剥げて固まってしまっていた。

 爪先から冷える - back

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