土砂降りを走る車の中は薄暗く、雨音が外界の気配を遮断していた。そうして私たちは、僅かな呼吸の乱れさえ感じられるほどの、狭く閉ざされた空間に二人きりだ。そう、二人きり、というのが厄介だった。

「四木くんは運転も上手なのね。嫌味な男」
「…褒め言葉として頂戴しておきますよ」
「ふふ、もちろん」

 唇の片端だけを持ち上げる、ニヒリスティックな微笑。彼女という人間が垣間見得るその表情に、魂ごと引きづり込まれそうになる。そんな気分にさせられる。彼女が仕事中に見せるどんな極上の笑みよりも、この屈折した笑みこそが俺の心臓をぎちりと掴むのだった。
 けれど、たとえ彼女がふとした瞬間に見せる表情がどれほど魅力的でも、細い髪の合間から時折覗く項が噛み付きたいほど蠱惑的でも、その凛とした声で紡がれる言葉がどれほど己の胸の内を掻き乱そうとも、俺はその全ての感情を見ないようにしてきた。

「ねえ四木くん」
「はい?」

 堰き止めていたのだ。越えてはならない一線の手前で、己の欲望の全てを。けれども今は、そう、二人きり、なのである。それもこの、世界から隔離されたような狭く薄暗い密室で。
 若さというのはつくづく厄介なものだと思う。その若い雄の欲を抑え込めるだけの忍耐もなく、そのくせ彼女を愉しませる玩具になるにも青臭いプライドが邪魔をする。まさに現状は板挟みの状態だった。いや、袋の鼠と言うべきか。そしてこの女は、そんな俺を嘲笑い、全てを見透かしたような顔で挑発する。

「…運転が上手な男はセックスも上手い…って本当だと思う?」

 明らかな、紛れもない挑発だった。分かっている。けれどああ、なんて赤い唇。白い肌。甘い匂い。声。吐息。分かっていても、分かったところでどうしようもなかった。ただ五感の全てが彼女に集中し、彼女以外の情報を排除する。
 理性的な思考すら放棄した俺は、気付けば車を路肩に寄せてエンジンを止め、覆い被さるようにして彼女の唇を奪っていた。肺を満たす彼女の匂いに眩暈がする。鼻にかかったような彼女の声に頭の芯が痺れる。

「…っ、ん…」
「…、…試してみますか…?」

 そのたった数秒間の口付けは、想像以上に身体の奥を熱くした。吐息の混じるような距離で目蓋を上げれば、彼女の楽しげな双眸に射抜かれる。やってしまったと事態を認識したところで手遅れだった。
 少女の淡い初恋のように秘めておくだけだった感情が溢れ出し、雄の欲とプライドを孕んで、獰猛に、止めようもなく彼女へと向かって行く。箍がはずれた。決壊した。彼女の戯れ一つでこうも容易く。

「ふふ…、思った通り、キス向きの唇ね」

 ひやりとした細い指が、ゆったりと俺の唇を撫でる。彼女の濡れた口端が、満足気に釣り上がる。僅かに覗く赤い舌が、魔性の如く俺の舌を引き寄せる。

「…もう黙ってくれ…、」
「…可愛い」

 そうして舌が触れ合うと、もっと深くまで彼女に侵食したくなった。後頭部に添えられた彼女の華奢な指先が、くしゃりと髪を乱す、その感触だけで背筋が震えた。
 この女の形容し難い余裕を暴いて、剥いで、最後には骨抜きにしてやりたい、なんて。そんな下らないことを考えた時点で、絡め取られていたのだろうか。

ロッテの初恋
20121110
企画「五番ボックス席の怪人」様提出

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