166、水と白猟


「ハア……、アリエラちゃん。大丈夫かなァ」

ルフィに連れられてウソップと共にレインベースの町に先に入ってしまった彼女を想い、サンジは気の抜けた声をモンスーンに溶かした。
それに、マツゲから降りたナミが「そうねえ、」と相槌をうつ。

「ルフィがいるからいざという時はまあ安心だけど、」
「そのルフィが問題を起こすからな」
「あああっ、アリエラちゃんが心配だ……。やっぱりおれ追いかけようか、いやでもなァ。おれが一緒にいるとこ見つかったら元も子もねェもんな……」

ナミに続いたゾロのことばに、サンジはうがーっと頭を抱える。一味で唯一、Mr.2と対面していないのはサンジだけだから無闇に、それもただでさえ目立つルフィと共に大きな行動をするのは切り札を捨てることとなる。
 ここは、すまねェアリエラちゃん。おれァ、おれァ…まだ、きみのプリンスには……っ。
がくっと項垂れて、とぼとぼ歩きはじめたサンジをゾロはチラリと見遣りふん、と鼻を鳴らした。


その頃、ふたりの意中のアリエラはというと──。

「はあ生き返るわあ

ごきげんを弾ませて、酒場のカウンター席に座っていた。
レインベースに到着するや否や、町の入り口付近に構えている酒場をウソップが見つけ、アリエラを抱き抱えたままのルフィがウエスタンドアを破る勢いで入店した。同じようにウソップもそうして、ふたり横並び、ぐんと両腕を天井に突き上げて
「みずみずみずみずみずッ!!」
と、叫ぶものだから恥ずかしいくらいに目立っている。お昼時だから、店内にはアラバスタ特有の民族衣装をまとった老若男女で賑わいかえっていてあちこちから嘲笑のような、からかうような笑い声が聞こえてきてアリエラは恥ずかしくなってしまった。
見られることは慣れているのに、状況が状況だし、樽のように抱えられているのだからまた変に注目を浴びて顔を俯かせ隠してしまう。
頻りに叫びを上げる彼らを見兼ねたマスターであるおばさんが「カウンターに座りな」と案内してくれて、アリエラを真ん中に三人は席についたところだった。

両隣のふたりは樽ごとグビグビいっているけど、アリエラはそこまで腕力もなくお行儀に問題もあるから、樽ジョッキでいただいている。両手で包み込んだそれはたっぷり600サイズのものだが、一回でほとんど飲み干してしまったためマスターに追加の水を頼み、今度はちびちび飲んでいると、ようやく樽から口を離したルフィににっかりとした煌めく笑顔を向けられた。

「元気になったか? アリエラ」
「え、うん?」
「そっか、にししっ」

訊ねられた意味がよくわからずに、こてりと小首を傾げつつ答え、もう一度口に水を含む。でも、沈思してみてもぴんとくるものがなくって船長に顔を向けた。

「ルフィくん、わたし元気なさそうに見えた?」
「んよく分かんねェけど、なんかしんどそうな顔してた」
「あ……、」

もしかしたら、さっきのお礼に対してのことを言っているのかな。そう思って、ルフィのパワフルでだけどあたたかい心にふっと緊迫していた身体がほぐれていく。
この人は本当にすごい人だ。さっきサンジが言っていた通り、彼は急に核心を突くような人で、そこに目を向けられるということは見てない聞いてないようでも五感で何かを感じ取っているってことで。それはきっと言葉とか態度とかで図るよりももっとすごいことだ。

そんな素敵な船長の元で生きていける喜びを噛み締めて、隣のウソップに「お水、おいしいね」とくすぐったさをお裾分けしてみる。ごぼごぼと溺れた声で頷いてくれたど、弛緩した頬はおさまらない。へへ、と笑って樽ジョッキに口をつける。

「では、やはり例のバロックワークスという犯罪組織と麦わらが何か関係あると?」
「わかってるのは……あの麦わらが王下七武海クロコダイルを狙っているということ……」

ルフィとウソップの声の声量がようやく下がり、店内の雑多音がBGMに変わったとき。ルフィの右隣に席を取っていた男女からそんな会話が聞こえてきてアリエラの心臓はどきんと締め付けられたように高鳴った。
アリエラと同じタイミングでルフィもウソップも気が付いたらしく、三人同時に隣の男女に視線を流してみる、と。向こうも気が付いたのか、会話をピタリとやめてこちらに目を向けた。

ぎろりと睨めつけるような鋭い双眸と、穏やかな垂れ目気味の瞳とばっちりと目が合い、沈黙。

騒がしくって全く気が付かなかったが、この顔この声この姿は──。

「麦わらに傾国」
「あら……?」

唸るように絞り出した男、海軍大佐スモーカーと隣でぱちぱち瞬きを繰り返しながら眼鏡を持ち上げたたしぎにルフィとウソップは豪快に水を噴き出し、アリエラは小さな悲鳴をあげて慄いた。



その頃ナミ達はレインベースに到着し、入口付近の大木の木陰で身を潜めるようにして休んでいた。辿ってきたエルマル、ユバとはガラリと変わって人気の多い活気に溢れる町だ。最初に立ち寄ったナノハナともまた違った雰囲気を持っているここレインベースは、一層平和な国の平和な町に見えて仕方がない。灯台下暗しとはこのことなのだろうな、と膝を抱えて座っているナミはこの町に息を潜めているクロコダイルのことを思いながらそう思案している。

彼女の隣でのっそりと体を曲げて腰を落としたマツゲはふわあ、と大あくびをあげた。その声にひかれたゾロがそばに落ちていた木の枝を手に取り、彼の鼻をくすぐらせるというちょっかいを出している。枝を噛んでやろうとがちん、と歯を鳴らす音がしずかな一帯に響く。それにサンジの紫煙を吐く息が混じった。

「アリエラちゃん大丈夫かなァ」
「ったくてめェはそればっかだな」
「ああ!? 心配なんだよ、彼女はな! お美しくか弱いレディだぞ! つーかてめェも心配しやがれ!!」

もう数えきれないほどこぼす不安にゾロがため息まじりに指摘すると、サンジは不安から生まれる苛立ちをぶつけるように彼に向けて吐いた。
いつもよりもたばこの本数が増えているからよっぽど気がかりなのだと窺い知れる。そんな姿にやれやれと首を振って、ゾロは頭の後ろをかいた。

「別にあいつは弱くはねェぞ。能力者だし、ルフィもいるしな」
「ああ、そりゃそうだがよ。だが、ここはあのクソ野郎のいる町だ。もし何かあって彼女が捕まっちまうハメになったら…、」

もん、と想像をしては顔を真っ赤に変えて「ああーーッ!! やっぱ無理だ許せん!!」と声を荒げるから思案を弾けさせたナミが慌てて顔を持ち上げた。

「ちょっとうるさい落ち着いてサンジ君! アリエラはルフィがいるから大丈夫!それよりこの居場所がバレたらもっとやばいことになるわよ!」
「ハイっ、落ち着きます
「どーなんだよ、てめェは…」

大好きなナミさんに止められてしまったサンジはくるりと彼女に向き直り、一気にごきげんになったけれど、足元はまだ不安を残したまま足踏みを続けている。その不安を少しでも和らげるためか、いつもよりもたばこを吸うスピードが上がっていた。

「ん……おれちょっと小便行ってくる、」
「ええ」

緊迫したものがサンジから漏れている中、のんびりとしたチョッパーの声がそれを入れ替えるように空気を揺らした。にこりとビビが相槌を打って、チョッパーは砂漠の方へとちょこちょこ歩いていく。


それから数分後。3本目のたばこに手を伸ばしたサンジが足踏みをしながら「あー…、落ち着かねェ」とこぼしたとき。今まで穏やかにマツゲと遊んでいたゾロも何かを感じ取ったようにぴたりと手の動きを止めた。
ガラリと変わった剣士の面持ちに、そばにいたナミが「な、何どうしたの?」と焦りを浮かべる。

「やあっぱ、なんか感じんだよな」
「……あァ、よくねェモンだな」
「ったくおっせェんだよ、クソ剣士」
「うっせェ。てめェみてェに惚れた女をナメてるわけじゃねェんだ、おれは」
「なっ、ほッ──!」

あくまでも自分は、といった意味合いでこぼしたゾロだが。サンジは自分も一括りに“惚れた女”と言われたように感じて一瞬顔をぼんっと赤くしたけれど、咳払いをしてそれを誤魔化す。
それでまだ隠してるつもりかよ。とゾロは内心こぼし、ナミもサンジ君ったらもう。と焦ったさにヤキモキしたが、「と、とにかく。しっかり注意してねェとな」サンジの少し震えた声に突っかかることは野暮だと、二人とビビは辺りに集中を張り巡らせた。


「逃げるぞ、乗れアリエラ!!」
「う、うんッ!」

ルフィとウソップが吹き出した大量の水に当てられた天敵を数秒、硬直したまま見つめていた三人だったが、時間の経過とともに緊張の糸がヒュっと弛むとルフィがすぐアリエラに声をかけ、背にしがみついたのを確認すると、顔面蒼白なウソップと一緒に樽を二つずつ抱えて猛スピードで酒場を後にした。

「クソ……ッ、追え! たしぎ!!」
「は、ハイッ!!」

全身びしょ濡れのスモーカーはこの水がどこから噴き出たのか、ということも、目の前にいながらまんまと逃してしまったことも相俟って、いつもより荒い声をたしぎに投げると飛ぶようにして外へと出ていった。
たじたじと、たしぎも立ち上がり「あのお会計を、」とおばあさんに持ちかけると「さっきの、知り合いなら払っとくれよ」と言われてしまい、きっかり経費で海賊分の水代も払わされてたしぎはなんとも言えない表情をしていた。

「やだっわたしあの人苦手なの、もがくこともできないんだもの!」
「つーかなんで海軍がまだいんだよ!」
「知るか! とにかく走れーーッ!!」

いつの間に増援部隊をも呼んだのか、酒場を出て数メートル走ったところで後ろから「追えーー!海賊だァァアア!!」と野太い海兵たちの声と地を揺らすような足音が聞こえて、アリエラとウソップはブルリと背筋を震わせた。


豪快な足音と叫び声に、紫煙を燻らせていたサンジがはっと顔を持ち上げて気配の方に視線を向ける。身をしっかり積んだ荷物のかげに潜めながら。ふわりと金髪を揺らし、目を凝らすとルフィの背中で揺れる恋慕を認めて「あっ、アリエラちゃん!」とこの状況に似つかわしくない安堵の声をこぼしたが。

「え、待ておい。あいつらまた海兵に追われてるぞ!?」
「ウソッ!?」

次いであがったサンジの声にナミもぎょっとして立ち上がり、その顔を両手で包み込んで確認すると言葉通りの光景が目に飛び込んでゾッと青ざめた。
嫌な空気。いくつも重なる足音。叫び声。それらにゾロは「やれやれ」と。ビビもハッと、身体を持ち上げてあたりを見回す。

「ねえ、トニー君がまだトイレに行ったっきり戻ってきてないわ!」
「ほっとけ! てめェで何とかするだろ!」

積み重ねていた荷物を持って、ゾロたちも逃げの準備をはじめたところ。仲間の姿を認めたルフィが「おい!」とまたもやあっけらかんと仲間を呼び止めるから、全員がぎくりと肩を震わせた。

「みんなァッ! 海兵が来たぞ!!」
「だからてめェが連れて来てんだよッ!!」
「おい、アリエラちゅわんっ!! よかった、無事だったんだねぇ!」
「あ、サンジくん! えへへ、無事、かなあ?」

ルフィの悪意のない呼びかけにまたゾロが怒りのツッコミを入れながら合流を果たし、騒動にお店や建物からぞろぞろ出てきた市民の間をくぐり抜けつつ、一味はとにかく真っ直ぐ逃げるように走り続ける。
ルフィの背から降りて、自分の足で走り出したアリエラの様子をサンジは改めてほっとした、優しい眼差しで見つめて。へへ、と笑みを浮かべた。

仲間が増えたこちらに合わせ、海兵も張っていた拠点兵を集めて銃を構えながら「いたぞ、海賊だァァァ!!」と声をいくつも重ねているから、この騒動はもうこの町を根城にしているボスの耳に届いているだろう。最悪な事態にナミは「もう、撒いてきなさいよ!」とそれでも楽しそうに走っている船長に怒りを落としている。

「うああぜってェ見つかってるよなこれえ!!」
「ごめんねみんな。わたし達が連れてきちゃって」
「そんな、アリエラちゃんが謝ることじゃねェさ。おれたちは海賊だから追われるのは当然なことだし、何よりバカでけェ声で呼びやがったルフィが悪ィんだよ」

しゅん、と眉を下げるアリエラの横を走りながらサンジは穏やかな表情を浮かべて慰めるが、けれど。その斜め前に走るゾロ同様に各路地や屋根の上から突き刺さる鋭い瞳をひしひしと受け止めて、こりゃ…厄介だな、と心の中で舌打ちを鳴らした。
ちらりと視線を移してみる。他のクルーは海軍に必死で気付いていないようだ。

「よし、じゃあ決まりだ! 行こう!!」

より濃い緊迫がゾロとサンジの背中にまとわりついた、そのとき。それらを払拭するようなルフィの明朗な声が最後尾で響いた。力強いそれにみんな惹かれ、走りながら振り返る。

「クロコダイルのところだよ! そうだろ、ビビ」
「え──…!」

さっきはああ言ったけど、優しすぎるが故に人が壊れてしまうのを恐れているビビはその“やさしさ”に邪魔されて、レインベースに来た今でも少しのためらいを感じていた。自分では決して下せなかった決断をまたもや軽快に下し、そこしか道がないと思わせるような強い瞳を向けられてビビの背中がピンと伸びた。
そうだ、もう迷うことはやめたんだ。全ての人々を救うために──。

「うんっあそこ……! あのワニの屋根の建物が見えるでしょ? あれがクロコダイルの経営するカジノ“レインディナーズ”!」

ビビの伸ばした腕が示す先には、個性的かつ目を引くデザインを持つ大きな建物が聳えている。
砂漠の国らしいピラミッド建物の上にはビビの言う通り、ワニの模型が象られていて、それは太陽光を吸収しギラリと暗緑に光っていた。
「うおすげェ建物だな」と目を剥いているウソップの隣で、芸術家のアリエラが「わあ、斬新なデザインね」って敵のアジトだけれどちょっぴり感心している。

「あそこにクロコダイルがいんのか……」

ぐん、とルフィの胸が熱くなっていく。遠回りをしてしまったが、その間にビビの哀しみ怒り苦痛をこの目で知り、ルフィの熱意はより滾っていた。仲間を苦しめている元凶があのワニの城の中にいるのだ。走る足により踏ん張りが入る。
だが、本命の前に左右背後に感じる害意をどうにかしなくては。先ほどよりも海兵バロックワークス社共々加勢を増しているようで、立ちこもる黒い気配はより強く、ゾロやサンジ以外のクルーも感じる視線にぶるりと身震いをする。

「散った方がよさそうだな」
「そのようだな」
「よしっ、じゃあ後で! ワニの家で会おう!」

サンジの提案にゾロとルフィがすぐに乗り、船長の言葉を背に一味は三手に別れ、誘き出し作戦に移った。


TO BE CONTINUED 原作話-105話





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