幸福に満ちる

「おれ、彼女とのリングをはじめてにしたくってさ。今まで一度も付けたことねェんだ」

それは、仲間になってはじめての彼のバースデーでのこと。
見慣れない光るものを見てのわたしの訊ねに、サンジくんは少し照れくさそうに左手の薬指を見せてくれた。そこだけぽっかり空いたように、サンジくんの長い節くれたった素の皮膚が、のぞいている。
それが、彼に恋をしているわたしにはとてもきらりとして、見えた。



それから二年。
シャボンディ諸島での一件から再会を経て紆余曲折の末、晴れて恋人同士になってからのはじめてのサンジくんのバースデーにわたしはドキドキわくわく胸を高鳴らせている。
そう、恋人になって初のお誕生日なのだからちょっぴり特別なものを用意したい。2年前は、彼に花束を渡した。泣いて喜んでくれたあの可愛い姿を思い出して、くすりと笑う。
“なつかしい”と感じるのは、付き合い始めてから…いや、再会してから。サンジくんの態度が大きく変化したからだ。
前までは、ナミやロビン、他の女の子に対するのと同じように「メロリーン」とハイテンションに愛を告げてくれていたサンジくんだけど、今は…なまえちゃん。って、ただ名前を呼ぶときにも、鷹揚で甘い愛を捧げるように、落ち着いた態度で接してくるからそこに計り知れないほどの“特別”と“恋”と“愛”を感じて、わたしはあの人の大きな海に溺れてしまいそうに、なる。

ざぶんとずぶ濡れになった心は好きが止まらなくって、わたしもサンジくんに何か特別を渡したい、と思っていたところ。あの指輪の話を思い出したのだ。

たまたま当日前に寄れた島でリングを見つけて購入した。
本当は、ウソップやフランキーに教えてもらいながら、手作りのリングを作りたかったけれど察しのいい彼だ。当日までバレず、その上間に合わせることはとても出来なさそうで、今回は手作りを諦めたのだった。途方に暮れていたところで立ち寄ったそこは、運よく貿易が盛んな港町だった。取り扱っているアクセサリーの種類も、ストーンも豊富で、その中から彼にぴったりなリングを見つけたから、わたしはすっかりごきげん。きっと、サンジくんの白くて長い指によく似合うだろう。

そうして迎えた今日は彼のイヴ。綺麗にラッピングしたそれを持って、わたしは明かりの灯るキッチンへと向かう。木製の扉を開けると、カウンター席に彼の姿を見つけた。わたしに気がつくと、サンジくんはほろりと相好を崩して「やあ、なまえちゃん」と穏やかに迎え入れてくれた。

「まだ、眠らないのかい?」

やさしい低い声は、くらりと鼓膜を溶かすよう。誘われるように、神聖なる彼の領域に足を踏み入れる。今夜は波の音がよく聞こえる。誰よりも先におめでとうを言ってプレゼントを渡したいから、二日に変わった瞬間、サンジくんと二人っきりでいたいの。とナミとロビンに相談すると、二人は女神のような笑顔を浮かべて大きく頷いてくれた。他のクルーのことは気にせずゆっくりしなさい。って言ってくれた通り、ナミ達が気を利かせて、ルフィくんたちをキッチンに近づかないようにしてくれているみたい。みんなの温かさに感謝しながら、わたしは彼に歩み寄る。

座るときも。わたしを愛おしそうに見つめる青い瞳に、ぽっと胸が甘くなるのを感じる。あったけェからなまえちゃんは奥に座りな。入口側は寒いだろ?ってやさしい言葉に甘えて、医務室側の席にちょこんと腰を下ろすと、サンジくんはふっと目元を緩めて「何か飲むかい?」と訊ねた。

「ううん。大丈夫、ありがとう」
「喉が乾いたら教えてくれよ。いつでもなまえちゃんのお望みのものをお作りしますよ」
「えへへ、うん」

胸の前に手を添えて言うサンジくんに頷くと、にっこりと満面の笑みを浮かべて、彼はレシピを閉じた。

「あ、ごめんね。お邪魔したかな」
「ううん。おれもちょうどなまえちゃんに会いてェなァって思ってたとこなんだ。来てくれて嬉しいよ。すこし、お話しよっか」
「うん」

0時まであと10分。ちらりと時計を見て、サンジくんの手元を見つめる。綺麗だけど男らしいこの手に、わたしはいつも愛されている。クルーの命を紡ぐ神の手は、わたしの全てを暴き愛に導いて熱く熟れさせる。かと思えば、やさしく慈しむように髪の毛を撫でたり抱きしめたり手を繋いだりするから、その温度差にわたしはくらりとするのだ。今も彼の手を見ただけで、秒針よりも速く心臓が鼓動を打つ。半分、上の空で彼の話を聞いていたところ。

「なまえちゃん」

急に大好きな甘い低音で名前を呼ばれた。ハッとして隣のサンジくんを見上げると、ふわりとあたたかい感触がくちびるに触れた。

「ん…っサンジくん…、」
「…ごめんな。あんまりにも、愛おしくってさ」

わたしの髪を撫ぜながら笑う顔にはひどい色気が灯っている。もうすこしでひとつ年を重ねるけれど、とても21には見えないそれに、わたしはこれからも一生翻弄されていくんだろうなあ。と、漠然とおもう。
もう一度、サンジくんが顔を近づける。とくりとうねる心臓。じんわりと熱を持ち始める指先を、彼の大きな手に絡めて目を瞑り、受け入れる。さっきよりも長く、濃いキスはたばこの味がしてきゅんと恋が上擦った。わたしは、この味のキスしか知らない。この味しか、知らなくていいの。
静けさの孕むキッチンで、しっとりと愛を交わしているうちに時刻は刻々と迫ってくる。時間を確認しようとうっすらと瞳を開けてみると、もう日付を超えていて、わたしは慌ててサンジくんにストップをかけた。

「どうしたの、なまえちゃん」
「サンジくんっ。お誕生日おめでとう!」
「え……」

過ぎた焦りからか、つい勢いが余ってしまった。突然大きな声をキッチン中に響かせちゃったわたしにサンジくんは垂れ目気味な瞳をくるりと丸くして、薄い虹彩を震わせる。けれど、すぐにふわりと微笑みを浮かべてぎゅうっと大きな手を重ねると、金糸をサラリと揺らした。

「ありがとう。誰よりも一番になまえちゃんからお祝いをもらえて嬉しいよ」

わたしの目を真っ直ぐに見て言う。ああ、大好きサンジくん。大好きで、愛しくて、仕方がないのサンジくん。
ぎゅうっと膨れ上がっていく好きを吐き出そうと、わたしも彼に特別を捧げようと、カーディガンの中に潜めていたプレゼントを彼に渡す。

「サンジくん、これよかったら受け取ってほしいな。わたしから、サンジくんへの誕生日プレゼント」
「え…うわあ…、え…、すっげェ嬉しい…。ありがとう、なまえちゃん」

さっきまでの色気はどこにいったのかしら。と不思議に思うくらい、サンジくんはまるで子供のようにまんまるにした瞳をキラキラ輝かせて、大切そうにわたしのプレゼントを受け取ってくれる。この二面性も、彼のだいすきなところ。

「あけてもいいかい?」

嬉しさからか、ちょっぴり余裕のない上擦っている声がどこか懐かしくて。くすりと笑いながら頷くと、サンジくんはお礼を言ってするりとリボンを解いていく。青い袋をあけて中身を覗くと、「え…、」と仰天し、詰まったような声を出した。
わ、ちょっと重かったかも……。浮かれていたわたしはこれしかない、と即決してしまったから、今更ながら後悔が押し寄せてきた。

「ご、ごめんねサンジくん。その、えっと…、あの……」

呆然と固まってなかの箱を見つめているサンジくんに、わたしは何か言い訳じみた言葉を紡ごうとあわあわするけれど、ごちゃごちゃになった頭ではうまくいかない。あの、ともう一度口を開いて、彼を見上げるとサンジくんの形のいい耳がかあっと赤くなっていくのを、みた。
えっ、と声が漏れる。白い首元まで赤みは帯びていき、黒いシャツが余計にそれを強調させた。片手を袋から離して、サンジくんはおなじく赤く染まっている口元を覆う。大きな手は、すこし震えているように映った。

「サンジくん、」
「…どうしよう、なまえちゃん。すっげェ……うれしい」
「あ…、」
「ありがとう、なまえちゃん。おれ、こんな素敵なプレゼントもらったの生まれて初めてだよ」

やべェ…どうしよう。うわ、嬉しい…。もう一度袋の中を覗いて、うわごとのようにぽろぽろこぼすサンジくんの瞳は潤んでいる。いつものギャグ泣きみたいな可愛い涙じゃなくて、心底喜びを表すそれに、わたしもつられてじわりと瞳に水が張っていく。ぐっと、喉にあついものが込み上げてくる。

「サンジくん。あけてみて」

震えているわたしの声を受けるとサンジくんはこっくりと頷いて、袋から赤い箱を取り出した。大きな手の上に乗せて、ゆっくり開けると、ランプに照らされた指輪がサンジくんの瞳をきらりと光らせた。

「うわあ…綺麗だなァ」

恍惚とした顔でリングを見つめるサンジくんのくるりとした眉は下がっていて、長いまつ毛も少し濡れている。

「これ、アクアマリン?」
「うん。サンジくんによく似合うなあって。3月のね、誕生石でもあるんだって。海みたいでしょ?」
「うん。海みてェに綺麗だよ…ああ、手が震えちまうな」

指先でそっと摘んで、サンジくん。へへ、と照れ臭そうな笑みをこぼすと、迷うことなく左手の薬指に、すっとそれを通した。彼が大切にしていた場所。そのはじめてがわたしだなんて、言葉ではとても表せない幸福が体の中を駆け巡っていく。

「…えへへ、嬉しい。サンジくんのはじめてになれて」
「! あ…覚えてくれてたのかい?」
「うん、だってわたし。あの時からサンジくんのこと好きだったから」

そういうとサンジくんはまた困ったように目尻を下げる。
「あ」と、低い声を震わせて「なまえちゃんには敵わねェなあ」と甘く空気を揺らした。
ゆりかごのように穏やかに揺れる船の動きに合わせて動くあかりに照らされているリングは、サンジくんの薬指で光を受け止めては輝きを生んでいる。それを見つめては、あー、とか、うー、とか。言葉のない声をこぼしてから、それを大切そうにさする。

「……なまえちゃん」
「なあに?」
「抱きしめて、いい?」
「えへ、うん」

カウンターに腰掛けたまま、サンジくんはわたしを抱きしめる。彼の服に染み込んでいるたばこの匂いが、ふわりと鼻腔をくすぐる。見かけよりもずっと大きい身体にわたしの胸はまたじんわりと熱をもつ。
彼と同じように、分厚い身体に腕を回すとサンジくんは嬉しそうに喉を震わせた。
わたしの背に回した手をクロスさせて、指輪に触れては「あ…すっげェ幸せだ。おれ」と、わたししか聞いたことのないような、たっぷりの甘さと慈しみの秘められた低い声を出す。わたしの大好きな、声。より、腕の力が強くなる。ぎゅうっとふたりのからだが密着して、分厚い服を着ているのに、お互いの心音がうるさいくらいに重なり合う。

「サンジくん、あったかいね」
「なまえちゃんも。すっげェドキドキしてる」
「サンジくんだって」
「大好き、なまえちゃん」
「うん。わたしもだいすき、サンジくん」
「…ね、なまえちゃん」
「ん?」
「次の島に着いたらさ…今度はおれが、きみの指輪をプレゼントしてもいい?」

言いながら、サンジくんはわたしの身体をそっと離す。
ふ、と甘く垂らされた目尻には計り知れないほどの愛情が宿っていて、ああ…サンジくんに愛されているなあ。とくすぐったいくらいに、思い知る。

「おれも…本当はな、ずっとなまえちゃんに指輪をプレゼントしたかったんだ」

だけど、おもてェかな。とか、いらねェかな。とか考えるとなかなか踏み切れなくってさ。ととろけた顔で言うサンジくんに、わたしは急いで首を振る。

「そんなことないよ、サンジくんからの指輪……とっても嬉しい。わたし、一生の宝物にするよ」
「ありがとう。おれがプレゼントした指輪をなまえちゃんも…ここに、付けてほしいんだ」

いいかな? と、膝の上に置いていた手をとって薬指にキスするサンジくんに、わたしはまた深く、溺れてしまうのだった。



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