anemone

お花屋さんで女部屋に飾るお花を購入したとき、サービスに、と赤いアネモネの植木鉢をもらった。
赤茶色の植木鉢のなかは、ふわふわの土がぎゅっと敷き詰められている。まだ芽は出ていないようだ。店員さん曰く、この気温だと数日後には芽を出すだろう。とのことだけれど、午後にはこの島を出ることになっているから上手く育てられるかちょっぴりの不安を残しつつ、わたしは花束と植木鉢を胸に抱いて帰船する。

「お。おかえり、なまえちゃん」

ひょいっと船に足をつけるとすぐにサンジくんに出会った。彼は早朝に市場に行っていたから、朝食後の自由時間の船番を買って出ていた。サニー号のなかは航海中
にはのぞけない静けさがある。きっとまだルフィくんたちは帰ってきてない。

「ただいま、サンジくん」

サンジくんは昼食の仕込みの合間の休憩を取っていたのだろう。欄干には彼が愛用している灰皿が置かれていて、そのなかにはこんもりと吸い殻と灰が盛られている。
わたしの声に、サンジくんはたばこを引っ掛けたままふわりと笑って、やわらかな視線をわたしの胸元に落とした。

「素敵な花束だね」
「えへへ。かわいいでしょう? これね、お部屋に飾るものなの」
「なまえちゃんが選んだのかい?」
「うん、そうだよ」
「さっすがなまえちゃん。センスいいなあ
「うふふありがとう、サンジくん」

こてりと少し首を傾げて褒めてくれるサンジくんの顔は甘くって、わたしは直視できずにそっと視線をはずす。わたしはずっと、サンジくんに恋をしている。海賊であり、おなじ船に乗る仲間である以上、この想いを告げるつもりはないけれど、でも。好きっていう気持ちは毎日を重ねるたびにぐんぐん膨らんでいくから、諦めるつもりも、ない。

こうして二人きりで過ごせる今に感謝しながら、わたしはふっと顔を持ち上げると優しく撓められている青い瞳にぶつかって、どきりと胸が飛び跳ねた。

「その植木鉢はどうしたんだい? 重たいだろ、なまえちゃん。おれが花壇まで運ぼうか?」
「ううん、平気。これねお花屋さんにサービスでいただいたの。赤いアネモネの植木鉢よ」
「へえ、アネモネかぁ」

一歩、サンジくんが距離をつめる。一瞬、彼の付けている香水とたばこの匂いが濃く鼻腔を掠めて、じわりと瞳が熱くなるのを感じた。
植木鉢をのぞいて、まだ芽は出てねェんだな。ってこぼすサンジくんがあまりにも近くて。静かな船のなかにふたりきり、濃い彼のにおいにゼロに近い距離。これらにわたしの心は身構えることが出来なくって腕にこめていた力をふっと緩めてしまった。

「おっと危ねェ」
「ひゃっ、」

するりと腕から抜けてしまった植木鉢を、サンジくんは瞬時に受け止めてくれた。大きな手のひらに乗るそれは器用にバランスを保っていて、わたしの失態が招いた事態なのに思わず感心してしまう。

「なまえちゃん怪我はないかい? 大丈夫?」

すぐにわたしを気にかけてくれるサンジくんの優しさと温もりに、どうしようもなくなってしまう。速まる鼓動に気付かれないように、きゅっと締まった恋心に気付かれないように、わたしはすこし早口になる。

「うん。ごめんね、ありがとうサンジくん」
「よかったよ。なまえちゃんの小さくって可愛い足の上に落ちなくて」

花束も無事でよかった。そう笑うサンジくんは、まぶしくて仕方がない。
かろうじてわたしの腕に引っかかっていたそれを持ち直して、彼から植木鉢を受け取ろうとすると「おれが持ちますよ、お姫様」ってまた、また。わたしの好きな声でいう。
まるで、わたしが彼にとって特別な女の子であるような錯覚を覚えさせるそれらは狡くて、ちょっぴり憎い。
サンジくんはこれまで何人の女の子を勘違いさせてきたのだろう。なんて、わたしはどうしても考えてしまう。そう考えて、すこしモヤモヤして、それを受けてきたであろう女の子たちにちょっぴり嫉妬のような感情を抱いてしまって、今この世界で誰よりもそばにいる彼を紡ぎ止めたくなって。わたしはつい…衝動的に、彼のスーツの袖を掴んでしまった。

大きな手が僅かに揺れる。垂れている目尻もくるりと丸を作って、微かに見られた表情の変化にあ、と、指を離そうとしたけれど。嬉しそうに笑ってくれたサンジくんにわたしもほっとして、彼のやさしさに甘えることにした。

「なまえちゃんとこんな至近距離でお話しできて嬉しいよ」
「うん…」
「それも、ふたりっきりで」

確かめるようにゆったりとこぼされたその言葉。そうだ、とまた激しく体は意識をする。そうだ、今この船にはわたしとサンジくんのふたりだけしかいない。改めてそれを認識すると、やっぱり普段では決して覗けない静けさが耳を突く。雑音のない分、掴んだまま離せない指先からこの熱が伝わってしまいそうでこわくなる。
見上げれば、サンジくんはふっと目尻を垂らしてわたしを真っ直ぐ見つめていた。空のように澄んだ青い瞳に、ふわふわとわたしの胸のなかにだけ漂わせているつもりだった彼への恋心はもう透けてしまいそうだ。

「なあ、なまえちゃん。赤いアネモネの花言葉って知ってるかい?」
「え、なんだろう。知らないかも」
「そっか」
「サンジくん知ってるの?」
「うん、知ってるよ」
「わあなあに?」
「知りてェ?」
「うん、知りたい。気になる」
「じゃあ…このアネモネが咲いた日に教えるよ。おれとなまえちゃんにぴったりな花言葉だと思うぜ」

そう笑うサンジくんに、ぴったり、と反芻する。
ふわりと浮上する期待。心臓は波のようにどきりとつよく打って、わたしはすこし先で輝く未来に甘く鮮やかな夢を、見た。


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