秋海

 西風がふわりと肌を撫でていった。ざぷんとうねる海は、色が濃く滲んでいる。
 寄せては返す波に揺れるたび、ひかりを閉じ込めた海面が物寂しげに光って、濃い青に飲み込まれていく。

 もう、季節が変わろうとしていた。 
 
 
 先月、最後の夏休みの思い出作りに仲良しメンバーでこの海岸に集まって花火とバーベキューをした。
 “麦わらの一味”とグループ名を付けたのは誰だっただろう。いいなァ海賊っぽくって。リーダー的存在のルフィくんが目を輝かせて頷いたため、自然とこの名が定着し、今やラインのグループ名だけではなくクラスメイトたちからもそう呼ばれていた。来月にある最後の大きな行事、学園祭も麦わらの一味で催しをする予定で、ウソップやフランキーが張り切って大道具を作っている。
 ナミとロビンと一緒にわたしは衣装制作に励んでいた。放課後残って、みんなでわいわいおしゃべりしながらひとつの大きな目標に向かって走るのが楽しくって、永遠にこの時間が続けばいいな。なんて願ったその裏には、きらきらひかる恋心があった。
 
「たった1ヶ月前なのになァ…もう海の色が変わっちまってる」
「ねえ。はやいね、季節が変わるのは」
「ああ。ほんと、早ェなァ」
 
 ぴゅうっと一際強い風が吹いて、サンジくんの綺麗な金色の髪を靡かせた。惹かれるようにしてそれを見つめる。わたしはもう長い間、この人に恋をしていた。
 恋をはじめたばかりの頃、髪の毛ももっとストレートで顎にちょろりとたくわえられているおひげも生えていなかったことを思い出して、たったの三年間でわたしたちは随分と成長したことを思い知る。彼は、サンジくんは…追いつけないスピードでどんどん背中を大きくしていって。卒業したら料理の道に進むのだと、目を輝かせて教えてくれたことがもう遠い昔のように思えた。
 
 この海が太陽と一緒に輝いていた夏の間はただただ煌めくひかりの中で彼と並んでいられたのに。秋に照らされ群青を濃くした海は、もうすぐに訪れる冬を孕んでいて、寂びしい気持ちが胸の奥で色を濃くする。
 
 学園祭が終わると校内はすぐに受験モードに切り替わる。冬がきてお休みが明けても、クラスメイト全員が集まる日はもう数えられるだけしか残されていない。ぽっかりと空いた机、騒がしい教室、ふっと目を向ければ男子に囲まれてけらりと笑うサンジくんの姿は、この海がまた色を変える頃にはもう消えてしまっている。
 
「会えなくなるね、サンジくん」
「え?」
「…この海がまた色を変える頃にはわたし達、もう頻繁には会えなくなっちゃうね」
「…そうだね。会えなく、なっちまうな」
 
 わたしの言葉にはっとして、何かを考え込んだサンジくんは、けれどいつもと同じ優しい笑顔を浮かべてそう答えた。その僅かな間に何を考えたのか、わたしには察することができない。
「そっか、会えなくなっちまうんだな」ぼんやりとこぼされた声は低く、波音に持っていかれてしまいそうなほど小さくって。距離を詰めるようにそっと一歩彼に寄り添うと、サンジくんは沈思をやめてわたしを見つめた。いつもの、春のひだまりのようなやさしい笑みではなく、秋の夕暮れをうつした寂しい笑顔。青い瞳は、沈む夕日を飲み込んでいた。
 
「…ごめんな、海まで連れてきちゃって。夕方の海は冷えるな、寒くないかい?」
「うん、平気だよ。サンジくんこそ寒くない?」
「おれの心配をしてくれるなまえちゃんは相変わらず天使… 大丈夫だよ、きみがそばにいれば寒さなんて吹き飛んじまう」
「ふふ、サンジくんらしいね」
 
 お菓子とジュースがパンパンに詰まった袋を左手に持ち替えて、サンジくんはわたしにいつもとおんなじメロっとした顔を向けた。女好きのサンジくんは誰にでもこんな顔をするけれど、でもそんなところも可愛くて大好きな彼のところのひとつ。
 わたし達は、買い出しの帰りだった。
「なまえちゃん、きみも買い出しについてきてくれるかい?」彼から誘ってくれたことにわたしは嬉々として、わたしの恋心を知ってるナミとロビンに「いってらっしゃい」って意味深げな笑みを背中に受けながら、サンジくんと一緒に教室を出てきた。
 学校近くのコンビニでたんまり買い込んで、ちょっぴり遠回りをしてこの海までお散歩に来ている。きっとルフィくん、まだか?って痺れを切らしているだろうなぁって、ちょっぴり申し訳なさを感じるけれど、でもまだ帰りたくなくってわたしはわざと歩調をおとしてサンジくんの隣を歩いていた。いつも必ず女の子のペースに合わせてくれるサンジくんは、やっぱりかなりゆっくりめに歩いてくれているけれど。わたしには決して持たせてくれない、手に下げている重たそうな袋が気になって、もう帰った方がいいかなあ。なんて名残惜しさを感じてきたころ。
 
 サンジくんはぴたりと歩くのをやめてしまった。
 どうしたの?って振り返っても、彼は海を見つめたまま動かない。
 
「なあ、なまえちゃん。…このまま時間が止まっちまえば、いいのにな」
「……うん。…本当に」
 
 その言葉に、どんな意味が秘められているのだろう…。すきも言えないわたしとおんなじ気持ちだったら、嬉しいけれど。すこし触れた彼の指の先は冷たくって、感覚を麻痺させていく。
「なまえちゃん。おれァ、きみが…──…。あー…いや、ごめん…。忘れてくれ」
 金色に隠された横顔。ぼそりとこぼされたサンジくんの言葉は不透明なまま、夕波に溶けて消えていった。
 
 

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