半宵庭園

藍色が空にこぼれて、それがほんのりと全体を覆っていくのをじっと見つめていた。
太陽を隠した途端に無数の星がきらりと光る。まんまるなお月様も顔を覗かせて、すうっとひかりを伸ばし、サニー号の甲板に一筋落とした。

夕飯とお風呂を済ませ、すこし濡れた髪のままもう一度気になって空を見上げる。
じいっと見つめていたら吸い込まれてしまいそうなほどに昏く、そして果てしない。これまで冒険してきた中で出会った数々の人々。もうひとりの仲間であるビビちゃんも今、遠く離れた国でおなじ空を見上げているのだろうか、おなじ蕾のような星々を見つめているのだろうかと思うと世界って狭いのね。と思わず頬をゆるめてしまう。

「…天体観測してるのか? なまえちゃん」
「…あ、サンジくん」

ふと背後に穏やかな低音が響いて、わたしの背中を柔らかく撫でた。
彼の声がすき。どんなに苦しいときも、辛いときも、彼の声を聞けば不思議と心が落ち着いてほっとする。きっと今もふわりと笑みを描いて、愛おしそうにわたしのことを見つめてくれているのだろう。

自惚れながらもそれを期待してくるりと振り返ると、彼は眦だけを細めてこちらを見つめていてドキッと胸が高鳴った。

「…触れてもいいかい」
「…うん、」

革靴を鳴らし、そっと歩み寄るサンジくんのからたばこの匂いが揺れる。
目には見えないにおいには、けれどしっかり彼という存在が刻まれていて、わたしはたばこのにおいをキャッチするたびに彼に触れたくってたまらなくなる。

伸ばされた大きな手はわたしのからだをぎゅうっと包み込み、それからそっと彼の体に抱き寄せられる。シャツ越しに伝わるサンジくんの体温。とく、とく、と伝わる心音。縋るように頬擦りをして、大きく息を吸い込むと疲れ切ったからだはふわりと柔軟さを取り戻した。

「なまえちゃん、すっげェ落ち着く。キミはおれの癒しだ」
「…サンジくんも。あなたに抱きしめられていると安心するわ。うふふ」
「ん?」
「だいすき、サンジくん」
「おれも大好きだよ、なまえちゃん。ちゅーしていい?」
「えへ、うん」

身体にまわされた腕の力をそっと緩めたサンジくんは、心底愛おしむように相好を崩して、わたしの頬に長い指を這わす。
みんなの命を紡いでいる神の手は、撫でる時まで嫋やかに愛を作りだす。繊細かつ綺麗な手なのに、触れると分厚く武骨な男らしさがあってうっとりする。そっと瞳を閉じると、サンジくんはややあってフッと笑いに似た吐息をこぼした。

「…なあに?」
「ううん」
「なに、教えてよ。今笑ったでしょ」
「あははっ、バレた? いやあ、なまえちゃんほんと可愛いなあって思っちまったのさ」

その笑いが気になって、瞳を開けて追求するとサンジくんは可愛いたれ目を更に垂らす。わたし、何か変なことしたかな。そう自分で確認してみるが、特に当てはまる部分はなくってむっすり唇を尖らせると、いよいよ彼は吐息を笑いに変えた。

「ごめんな、笑っちまって。怒ったかい?」
「ううん、怒ってはないけど。でも気になる。髪型おかしい?」
「ううん、お風呂上がりの少し濡れた髪の毛。すっげェ色っぽくって綺麗だよ」
「それじゃあ、変な顔をしていた?」
「まさか。なまえちゃんは如何なる時でも天使のように無垢で可愛いよ」
「なら、パジャマが変?」
「真っ白でふわふわなこのパジャマ、なまえちゃんによく似合ってるよ。まるでキミのために作られたみたいだ」
「もう、サンジくんったらまた冗談を」
「冗談なんかじゃねェさ。本当にそう思うから口にしてるんだよ」

それは、いやというほどに知っている。
彼はいつもいつも、砂糖のような甘いことばを真っ直ぐにプレゼントしてくれる。最初のころは、もう逃げ出したいくらいに恥ずかしくて照れ臭かったけれど、一緒の日々を重ねていくごとに徐々に慣れてきて今ではそのことばをもらうたびにハートにぽっと火がつくのを感じて、それが灯るたびに彼への恋が膨らんでいく。

「なまえちゃんさ、キスするとき必ず目瞑るなァって気づいて愛しくなったのさ」
「へ、?」
「おれしか知らねェんだなって思うと……たまらなく胸が締め付けられる」
「…だから笑ったの?」
「あァ。ごめん、バカにしてるとかそういった意味じゃなくて、可愛すぎて…愛しすぎてつい愛がこぼれちまったんだ」
「ふふ、うん…。サンジくんすっごく愛おしそうに見つめてくれてるもん」

わたしが笑顔を見せると、彼はほっとしたような笑顔を浮かべた。
自分で口にするのは恥ずかしいけれど、そうとしか言えないほど、サンジくんはその瞳に愛をこめてくれている。
彼はどうしようのない女好きだけれど、その中で“特別”が伝わってくるし、想像以上に愛してくれるから不安になることはない。
じいっと見つめながらそんなことを思っていると、サンジくんは「なまえちゃんに見つめられるのは恥ずかしいな」としあわせそうに笑い、わたしをぎゅうっと抱き寄せた。

「…昼間では信じられねェほど静かだ」
「うん、みんなすっかり寝静まったね」
「波の音しか聞こえねェ。おれとなまえちゃんだけが存在してるみてェだな」
「…うん。わたしたち二人っきりだけの世界みたい」
「……本当にそうなったらいいのにな」
「ふふふ、でもサンジくん。そうなったらわたし以外の女の子にもう出会えなくなっちゃうけどいいの?」
「おれは世界中のレディーが大好きだが、いつまでも……一生。そばにいてェと本気で願ってるのは世界中のレディーの中でたったひとり。なまえちゃんだけさ」
「…ふふ、うれしい」
「……だから、なまえちゃんも。一生おれの隣で笑っててくれたら嬉しいな」

なにかを追憶するように、なにかを思うように、しみじみとつぶやいた彼のことばはまるで幸せの鐘の鳴るそれだった。
はっとして、まばたきを繰り返したサンジくんはそれから照れくさそうに弱ったような笑みを浮かべる。
ええっと、一生隣で笑っててほしいって、つまり──。
わたしの思考をストップさせるように、ぎゅうっと腕に力を込められるのを感じ、顔を持ち上げると唇に柔らかく愛が落とされた。たっぷりとしたキスにくらりとゆれて、脳髄がとろけてゆく。鼻腔に触れたたばこの匂いは甘さを秘めていて、もっともっとほしくなる。
しばらく重ねたのちに、ふっと唇を離されると彼は少し頬を赤らめてわたしからそっと瞳をそらす。

「……サンジくん、」
「ああ…、その…ごめん…口が滑っちまって…、」

びくっと肩を揺らして、サンジくんは目を泳がせた。
いつも愛を惜しみなく飛ばすサンジ君のその新鮮な反応に胸がぎゅるんと締め付けられて、わたしは思わず口に出してしまった。

「…それ本当?」
「え?」
「ほんとうにそう思ってくれているの?」
「…あァ。本当にそう思ってるよ。キミに恋をした日からずっとずっと」
「…わたしも。わたしもよ、サンジくん。ずうっとそばにいてほしい人は、サンジくんだけ。だから──」
「待って。待ってなまえちゃん。……このセリフは男のおれに言わせてくれ。また数年後──、とびきりのサプライズとともにキミにまた愛の言葉を送るから。その時まで待ってくれねェか?」
「うん…!」
「ここ、それまでずっと空けといてね」

そっと左手を取って、少し屈んでから薬指に唇をつけて微笑むサンジくんは、世界にたったひとり。わたしだけの王子様──。


END

1 / 1