砂糖とスパイスと無敵な何か

「ん……っ、」
「大丈夫か、なまえ」
「うん……えへへ、」
 
 静寂を孕んだサニー号。
 なまえのアトリエに、月の灯りの光がすう…と伸びて愛に満ちた二人を美しく照らしている。
 恋人ならではの愛の時間を過ごし、たっぷりと満たされている中──。
 
「……」
「…ん? どうした」
 
 ゾロの太く逞しい腕に頭を預けていたなまえが、むくりと柔らかな身体を起こしたから、彼もまた軽くなった腕に微かに寂しさを抱きながらも上半身を起こす。
 つくづく重症だ。と自身に苦笑してしまうが、もうこれも愛しい慣れっこ。となった頃。
 
「ねえ、ゾロ」
「ん?」
 
 色気をたっぷりと拵えた素肌を晒したまま、愛しい彼の名をまだ熱気が含まれた空気にぽつりと漏らす。こういう時に、一言「ん?」と返すゾロがなまえは大好きだった。
 優しくて、柔らかくて、愛に満ち溢れていて。きゅん、と胸が高鳴った。
 このまま抱きつきたい衝動を抑えて、彼の灰色の目を見つめる。
 
「おなか、空かない?」
「腹?」
「そう。私、お腹すいちゃった」
 
 驚くほどに細いが、程よく肉ついているお腹をさするなまえの手をそれとなく目で追う。酒を飲んでいたゾロだが、言われてみると空腹も感じていたことに気付かされる。
 
「あァ。確かに腹減ったな。運動した後だしな」
「そうでしょう? 私も頑張ったあとだもの」
「本当にな」
「……ん、」
 
 今日は随分と積極的だったことを思い出し、ニヤリと口角を上げながらそれをつまみに酒を豪快に流し込む。思い出されるとそれはそれで恥ずかしく、なまえはちょっぴり顔を赤らめてもじもじするが、それはゾロを煽る材料となり、がるる…と喉を鳴らした魔獣にむぎゅっと抱きしめられていつもの如く、がぶがぶ首筋を噛まれてしまった。
 
「んもう…ッ、ゾロ」
「そりゃ、誘ってんのかよ。なまえ」
「ちがうわ。私はお腹が空いたのよ」
 
 舌を這わせて、優しく歯を立てて、首筋の愛撫を繰り返すゾロになまえは愛しさを抱きつつもむっすり片頬を膨らませて彼にストップをかけた。
 激しくって獣そのものな彼だが、嫌がることは絶対にしない。そんなところにもたっぷりとした愛を感じて、なまえの胸は強く締め付けられる。もう、たまらなくこの人が大好きだわ。
 
「……コック起こすのか?」
 
 ぎゅう、っと抱きつく腕に力が入る。そこには明らかな嫉妬が含まれているのが、ことばなくとも分かるのだ。ああ、愛されているのが伝わってきて、ついつい頬がだらしなく緩んじゃう。
 
「ううん…起こさないわ。彼にも悪いもの」
 
 その返事に満足したのか、ゾロは力強く抱きしめていた腕を緩めた。
 世間では、海賊狩りだとか人の姿を借りた魔獣だと恐れられている彼がこうして甘い行動をしてくれるのがふとおかしく見えて、そして私だけの特権だと胸がくすぐったくなる。
 
「私ね、この前いいものを買ってきたのよ」
「いいもの? なんだ、そりゃ」
「ふふふ。あのねあのね、」
 
 やんわりと抱きしめていた腕からするりと抜けて、なまえは机のそばに置いている白いキャビネットに手を伸ばす。これは、サニー号を造船している時に、アイスバーグとフランキーに作ってもらったものだ。サイズもデザインも最高で、使い勝手もいいのでなまえも大変気に入っている家具の一つ。
 その扉を開いて、中から取り出したのは丼サイズの入れ物だ。形はよくあるラーメンの器に似ているが、それは陶器ではなく発泡スチロールでできている。
 
「なんだそりゃ」
「これはね、私のお夜食よ」
「ふぅん……スープか何かか」
「ぶぶ〜〜。スープも大好きだけど、お腹は膨れないでしょう? これはね、ゾロも大好きな食べ物でもあるラーメンよ」
「ラーメン? それがか?」
「ええ。これね、不思議なのよ。お湯を入れてたった三分で出来ちゃうんですもの」
 
 にっこり笑顔でうなずく無いと彼女が両手に持っている容器を交互みて、ゾロは首を傾げる。確かに、ラーメンに似た容器だがどうも解釈が合わない。だってあれは大きな鍋でスープを作り、麺を茹で、ようやく完成するものだ。それなのに、たった数分で出来上がるだなんて。
 
「本当に三分でできんのか?」
「できるのよ〜。それも、きちんと美味しいの。びっくりしちゃった」
 
 ね、すごいでしょ?と瞳を輝かせるなまえにゾロは喉で笑いながら頷いた。
 一糸纏わぬ姿で、上気した色気を放っているというのに表情は驚くほどに無垢で、そのミスマッチな彼女がおかしくて、愛しくて笑ってしまうのだ。
「何よ、」とむっすり唇を尖らせるなまえに「なんでもねェ」と返すが、まだまだ不満そう。
 
「おら、拗ねてねェで開けろよ、それ。腹減った」
「…ふふ、ゾロもきっと気にいると思うわ」
 
 すぐに機嫌を直すところも、子供っぽさが残っていて可愛いと思う。
 彼女から手渡されたラーメンのパッケージは、チープながらも食欲を唆るイラストと小さなマスコットキャラが添えられている。それをまじまじと見て、なまえの動作を真似てゾロも紙蓋を剥がした。
 
「この粉末パウダーを入れて、お湯入れて三分待つだけよ」
「へェ。そりゃ手間がかからねェでいいな」
「でしょう?」
 
 紅茶を飲むために、ポットに入れておいたお湯を二つの容器にたっぷり注ぎ、なまえが作った薔薇の文鎮を乗せて机に置いていたタイマーのボタンを押した。
 時間が経過すると、次第にスープのいい香りが他愛もない会話をしていた二人の鼻腔をくすぐった。
 
 ピピピと高音が耳を突き、三分経過したことを告げる。
 なまえはぱあっと目を輝かせて、わくわくな面持ちで蓋を剥がしていくからゾロもついつい口角を上げてしまうのだ。この女に何度、心を解されてきただろうか──。
 自分でも信じがたいが、随分と心が柔らかくなったような気がする。最近では、ナミやウソップ辺りに「表情が丸くなった」なんて言われるのだから。
 
「ねぇねぇ、ゾロ、早く食べましょう」
「ああ。お前は食うことが好きだな」
「ええ、大好きよ!」
 
 海賊になってから、より色気をぐんと増したなまえ。胸や太もも、お尻などに大人の色気をつけたのだ。指がむっちりと埋まるふわふわで柔らかな肉、なのに腰や首などは驚くほどに細いから、スタイル維持に努力をかけているということがよくよく伺える。
 それは自分のためとそして、ゾロのため。だと言っていたことを思い出して、またにやけてしまう。この女も相当おれに惚れているのだと──。
 
「なににやけているの?」
「……いや、なんでもねェ」
「おかしなゾロ」
 
 キョトンと小首を傾げたなまえから割り箸を受け取り、固まっている粉末を溶かすためゆっくり混ぜていく。
 
「いただきま〜す」
 
 なまえに倣い、ゾロも大きく手を鳴らして合掌をすると二人同時につるりとした麺を啜った。
 最初はスープからというが、こういうジャンキーなものにルールは必要はない。ゾロもなまえもたっぷりと麺を口に含めて、顔を見合わせる。
 
「んん〜〜っ、美味しい〜
「へェ、こりゃなかなかイケるな」
「でしょう? そりゃサンジくんのラーメンと比べたらあれだけど、これはこれでアリなの」
「まあ、あのコックは料理しか取り柄がねェからな」
「ふふ、そんなこと言って」
 
 本当は強さも、その心も認めているくせに。
 口にはしなかったが、楽しそうにくすくす笑うなまえが癪で。ゾロはむっすり眉を寄せて豪快に麺を啜る。
 
「……てめェの男と二人きりの時に、お前に惚れてる男の話をすんじゃねェ」
「ごめんなさい
 
 きゅるん、と謝るなまえにわかってねェな。と思案するが、それはもう今更のことだった。
 なまえは熱いスープに息を吹きかけて、こくりと喉に濃厚なスープを流し込んでいる。
 温室育ちのお嬢のような見た目をしているなまえがこういうものを好むのは、偏見になるがとても意外に映って、そして飾らぬ姿を気持ちよく思う。
 
「お前、夜中にこうしてよく食ってんのか?」
「たまぁ〜にね。お勉強したりするとお腹が空いちゃうのよ」
「ふぅん。また肉ついちまうな」
「ふふ、そうね。ゾロが喜ぶわね」
 
 ニヤリと不敵に口角をあげるゾロに対して、綺麗にラーメンを啜りながらなまえは軽やかに言葉を紡ぐ。またボリュームつくってのは悪くはねェが、ますます色気を身につけるのは目に毒だな。
 なまえに惚れているサンジのことをふわりと思い浮かべて、ゾロは苦笑い。もちろん、自分もその色気に随分とやられているのだが──。
 
「はぁ〜。背徳感が何よりの調味料ね……満たされるわね、ゾロ」
「そうだな。…火傷すんなよ」
「うん。ありがとう」
 
 今日はちょっぴり肌寒い。そのためにこの温かなラーメンと、愛おしい恋人がポカポカと身体の芯を温めてくれるようだ。
 どこかほっこりした気分で、二人っきりの美味しいひとときを楽しむゾロとなまえでした──。
 
 

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