il paradiso

雹が降った。秋の真ん中、上昇気流に逆らってぽつぽつと地上に降り落ちる氷を窓越しに見つめている。

「金平糖みたいだわ」

窓に当たってこつんこつんと音を立てるそれはあの砂糖菓子みたい。思わずこぼすと、広々としたキッチンに立っていたサンジさんがふわりとたばこの匂いを踊らせながらわたしのそばにきた。

「お、雹? ひさしぶりだなァ。もうこんな時期か」
「ここはよく降るの?」
「春や秋にね。たまに本当に金平糖みてェな、カラフルな氷が降ることがあるんだよ」
「へえ素敵。見てみたいわ」
「すっかり秋だもんな、きっとすぐに見れるさ。冷えたら大変だからあったかい紅茶、淹れようか」
「うん。ありがとう」

サンジさんはわたしのおでこにキスをしてにっこり笑う。コツコツと足音を鳴らしてまたキッチンに立つ彼はケトルを沸かし、ご機嫌に茶葉を選んでいる。片側を撫でつけた金髪はきらりと輝いて美しい。

「ミルクティーでいいかな?」
「ええ。わたしがカップ選んでもいい?」
「もちろん。なまえちゃんはセンスがいいから。任せるな」
「ふふ、うん」

優雅に微笑みを浮かべるサンジさんはとびきり紳士な人だ。青い目は宝石みたいに輝いて、笑った時に覗く細い牙は降り続ける雹のように冷たくて、でも可愛らしいチャームポイント。それがわたしの恋人のお気に入りのひとつだ。


数時間降り続けた雹は空気をすっかりと冷やしてしまった。
大きな扉をひらき、お屋敷から外に出る。すうっと体の芯まで冷やすような風にひゃっと声がでた。

「真冬みたいな寒さだわ」

一度お部屋に戻ってサンジさんが買ってくれたふわふわのコートを羽織り、お庭に向かう。お花たちのお世話の前に長い坂をくだって海を見に行った。数ヶ月前までわたしは向こうにぼんやりと見える島に住んでいた。懐かしいものが胸をくすぐるけれど、帰りたいとは思わない。かつて向こうの海域でたびたび起こった大時化も悪天候もなくなって、きっとみんなはわたしが死んだと思っている。しばらくひんやりとした潮風を浴びて、お屋敷の方に戻る。

お屋敷の裏にある花や植物に囲まれたテラスとはまた違った、表ドアから続く坂をくだった先の、薔薇だけが咲き乱れる場所。帰り道の途中ゆっくりとそこを見つめていたら、綺麗な緑たちの中にぼわぼわと可愛らしい花がいくつも咲いていることに気がついた。

「わあ、一気にお顔を出してくれたわ。ふふ、ふわふわでピンクでかわいい薔薇ね」

そっと撫でてみると、とても生気があるのに花びらは冷たい。そっか、この子は冬に咲くんだわ、とその力強さに感心する。すうっと息を吸い込めば、レモンに似たようなフルーティー混じりのローズの匂いが肺いっぱいに満たされる。
この子たちはまた今度、食卓に並べましょう。
わたしは花鋏を持って温室に移動する。中はむせ返るような濃いバラの匂いが漂っている。真っ赤に咲くたくさんのそれは、血を思わせるようだ。

綺麗に咲く彼女たちに詫びながら、棘を折り何本か詰んで外に出る。
温室はあったかいから冷気がまたきつく感じて、きゅっと体を硬らせてお屋敷に続くお庭を歩いていると、高い場所で金色が揺れたのが見えた。

「なまえちゃん!」
「あ、サンジさん」

どうしたのかしら。ちょっと焦っているように見える彼にわたしは驚きながら名前をこぼす。サンジさんはわたしを見つけると、安堵して走ってくる。そうして、ぎゅっと抱きしめられた。

「よかった……ああ、無事でよかった。家の中も庭も…どこ探してもいねェから」
「ふふ、ごめんなさい。サンジさんは心配性ね」
「そりゃ心配するよ。ここは森に囲まれた孤島だ。まだ土地勘のねェきみが迷子になったりしたら」
「海を見に行ってたの。もうすっかり冬の色をしていたわ」
「……なまえちゃん、やっぱりおうちに帰りてェ?」
「まさか、帰りたくない。わたしは一生サンジさんと一緒にいるの」
「うん……。嬉しいよ」

ぎゅっとわたしを優しく抱きしめる。サンジさんはこれまで出会った人の中で誰よりも温かい人。わたしも薔薇を握ったまま彼に腕を回して分厚い胸板に顔を置いた。

「なまえちゃん、体冷えてるな。風邪を引いたら大変だ、中に入ろうか」
「うん。サンジさん、薔薇を詰んできたの」
「ああ、助かるよ。ありがとう。ごめんな、寒い中レディに行かせちまって」
「わたしがしたくてしたことなの。サンジさん、謝らないで」

サンジさんから離れて、薔薇を見せながら言うと、すこし驚いた顔をした彼はややあってわたしの好きな顔で笑った。

「向こうの方、新しいピンクの薔薇が咲いていたわ」
「ナエマだね。とても可愛い薔薇だっただろ? なまえちゃんに似て」
「お花はとっても可愛いけど、わたしに似ているかな」
「うん。よーく似ているよ。可憐で美しくてとびきりキュートで。ナエマって名は元々物語の王女様から取られたものなんだが、その王女様はとっても勇敢だったんだ。きみのようにね」
「わたし、サンジさんに出会えて本当によかったわ。怖くなんてなかったの」
「うん、ありがとう。おれもなまえちゃんに出会えてはじめて幸せって意味を知ったよ。……さあ、中に入って飯にしよう」

そっとマントでわたしの体を包み込んでくれる。
気がつけばあたりは幾分か暗くなって、吹く風もさっきよりも冷たくなっていた。

わたしは、向こう島からこの孤島に捧げられた生贄だった。
教会のひとり娘のわたしは“孤島に棲む神”に捧げられる聖女として育てられてきた。みんなわたしのことを幼い頃から聖女様と呼んでいた。
近頃、ひどい時化に海は荒れ、悪天候も続き作物も実りがなく、付近の農業が盛んな島との貿易のおかげでなんとか細々と生きていけるほどだった時期に、聖女として捧げられる年齢である20歳の誕生日を迎えた。島の人々は喜び、誕生日の前日に生贄前夜に宴を行った。みんな安堵し、嬉しそうだった。両親もわたしが捧げられることを誇りに思い、笑顔を浮かべていた。やっと、長く続いた夜が明ける。そう、誰もが幸せそうに笑ってわたしを送り出した。

神の島への生贄は根付いた風習のせい。島の人々は決して悪くないけれど、20年間神の生贄として教養を叩き込まれたわたしの人生はいったい何だったんだろう。と、船の中で考えた。
かつて読んだ本にこうあった。
『何かといえば“命”“生贄”“血”……それで神が喜ぶのか。この儀式は我々に対する侮辱だ』
北の海生まれのモンブラン・ノーランドという植物学者であり冒険家の伝記だった。
人の命を捧げたところで怒りが鎮まるほど神様は単純じゃない。そんなこと誰もが知っているはずなのに、いったい何のための生贄なのだろう。
神を恐れ繋ぎ人はわたしを神の島に届けるとすぐに引き返してしまった。そんなに神が恐いのか。また、ノーランドの言葉が脳裏に浮かぶ。
そこで、出会ったのがサンジさんだった。皆が恐れる神様という彼は吸血鬼の血を引く者だけど、彼だけが唯一わたしのために涙を流してくれて、怒りを抱いてくれた人だった。誰よりも優しい人だった。そして、彼も北の海で生まれたらしく、同じ言葉をこぼしていた。

「あったかい。もう気温は冬ね」
「ああ、風邪引かねェよな、なまえちゃん。ブランケット持ってくるね」
「あは、ありがとう」

サンジさんは本当に心配性だ。
寒いのに、こんなにもあったかい気持ちでいられるのはサンジさんのおかげ。彼からは無償の愛を感じられる。

「寒かったら遠慮せずに言ってくれよ、なまえちゃん。もっと温度あげるから」

言いながら、サンジさんは料理の並んだ食卓にエスコートしてくれる。
フカフカの椅子を引いてくれて、わたしはそこに腰をかける。彼の手が離れるのが何だかすこし寂しかった。

「なまえちゃんが詰んでくれた薔薇、すげェ生気を感じるよ。ありがとうね、食後にいただくよ」
「また花びらもらってもいい?」
「枯れたのでよければ好きなだけどうぞ」
「ありがとう。ポプリみたいな感じにしたいなって思ってるの」

サンジさんは食事はするけれど、また別に生気を必要としている。
吸血鬼だからそれは“血”に当たるものだけど、サンジさんはどれほどわたしが吸血してもいいと言っても「そんなこと死んでもできねェ」の一点張り。
その代わりに、血と同じエネルギーを持つ薔薇の真紅を吸っている。これまでもそうして生きてきたらしい。だから、サンジさんのお屋敷の周りにはたくさんの薔薇が咲いている。すこし顔色が悪い時も薔薇があれば彼はすぐに健康的な色を取り戻す。でも、わたしの血を吸えば彼はそれっきり一生生気を吸わなくてすむのに。そのかわり、わたしもサンジさんと同じ不老不死になっちゃうけれど。でも、この先永遠にサンジさんと生きていくのはとても幸せなことだと思う。

「それにしても、なまえちゃんは生気を見極めるのが本当にうめェよな」
「ぜんぶ勘なの。でも、サンジさんの力になれているみたいで嬉しいわ」
「うん。なまえちゃんが来てくれて毎日幸せだよ、おれ。きみの血をいただくわけにはいかねェけど……薔薇よりもきみとのキスの方が強ェ力をもらえるよ」

そう言ってサンジさんはマントでわたしを抱きしめてわたしの唇にキスを落とした。
愛の力ってすごいのかもしれない。キスにそんな力はないはずなのに、サンジさんもわたしも重ねた唇からとてつもないあたたかなエネルギーを感じるのだった。



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