2、彼の名前

怪我をしてから5日ほど経った時、金髪のおじ様は一度おうちに来てくれたらしい。お見舞いに、とバスケット一杯のフルーツをもらった。らしい、というのはわたしはその時あいにくお風呂に入っていて出られなかったから。お店の方ではなく、裏にあるおうちの玄関に彼は来てくれた、らしい。
お風呂から出たわたしは、母からそれを受け取ってひどく驚いた。
来てたのなら教えてよ。と言ったのだけど、あなた入浴中に対応するつもり?と困り笑みを浮かべられた。なんてタイミングが悪いのかしら。と自分を悔やんだけれど、でもおかげでより強く彼にお礼をする意味ができたため、それと、彼の名を知れたためよしとする。

「サンジ……」

フルーツバスケットの中にお手紙が入っていた。その封筒に“サンジ”と、すこし癖のある字で記されていた。サンジ、サンジ。素敵なお名前。綺麗にすっと胸に落ちる名前にうっとりしかけたところで、わたしは陶酔を飛ばすようにぶんぶん首を降って、手紙を開く。

リリィちゃん。
ごめんな、名前このフルーツを買った時に店の人に聞いちまった。
とっても綺麗なお名前だね。可憐なきみによく似合ってるよ。
その後、怪我の方はいかがかな? なかなか時間が取れねェもので、お見舞いが遅くなっちゃってごめんね。少しでも早く良くなりますように。
心を込めて、サンジ。

「リリィちゃん……」

指でそこを撫でてみる。もうすっかり馴染んでしまった名前がなんだか特別な意味を持つような、そんな感じのするお手紙だった。この頃にはわたしの足の痛みも和らいでいて、ベッドの上で読んだ手紙を大切に保管しようとデスクまで向かう。
大事なお手紙入れにしまって、冷気に当たってばかりの体を労るため、窓を開けた。
心地の良いそよ風が部屋へ流れ込んでくる。涼しい室内の風と、外の生温い風にあたりながらわたしは海を眺めた。

「サンジさんは今どこかしら」

この島から数キロ離れた場所に浮かぶ、彼の住む離島。
あそこには果樹園と花園、小さなストアと小さなホテル、保養所と森の中に図書館がある。あとは6軒ほどの民家がまばら建っているだけのシンプルな島だった。ここから見えるのは青い屋根の民家と、岸沿いに建っているホテルだけ。それも灯りに導かれてぼんやりと見える程度で、夜暗いそこに人影など見えるはずもない。
わたしは諦めて窓を開けたまま、ベッドに入る。
大海賊時代とよばれていた40年ほど前はここも頻繁に海賊に襲われていたらしいけれど、最近ではそのような横暴な海賊もほとんどいなく、この島の人々は皆温厚で家族同然なため、こうして夜風にあたりながら眠ることができる。

わたしはその晩、サンジさんの夢をみた。
彼はわたしを見つけて嬉しそうに手を振っていた。けれど、どうしてか。その姿はとても若かった。黒いスーツに短い金髪。みたことのない、はじめて出会ったばかりの彼なのに、どうしてこうも鮮明に若い姿を想像できるのかとても疑問に残り、不思議な感覚に陥ったけれど、わたしは仕事を始める頃にはもうすっかりとその記憶が脳みそから転げ落ちてしまっていた。


フルーツはどれも唸るほどにおいしかった。まるで、食べるタイミングを完璧に見計ったように全てが絶妙な具合に熟されていた。
もしかして彼は果樹園で働いている、フルーツソムリエなのかも。と思うほどに、ほっぺたが落っこちちゃいそうなくらいにおいしくって、ますます彼にお礼をしたい気持ちが昂っていた。

そうしてわたしはお礼にお手紙と、手作りのクッキーを渡すことにした。
わたしはたまに雑貨屋に手作りのお菓子を並べている。うちは生活雑貨を扱っているから主婦やひとり暮らしの方々が主なお客様だけれど、お菓子を並べた時は子供たちも訪れてくれるから可愛いくて店内がいつもより明るくなったように感じられるからわたしはしっかりと本格的にお菓子を作るようになった。

だから、きっと自信作のクッキーならとそれをアヒルの柄のラッピング袋に入れた。
それは足が治ってちょうど二週間目の朝のことだった。