愛に咲む


春の柔らかい陽光に包まれた日曜日の昼下がり。
はらはらと美しく散りゆく薄桃の雨に降られた公園は映画のワンシーンのように幻想的で、なまえは思わずため息をこぼす。

去年も一昨年も、何年も見てきた春のこの景色は毎年違う色を残してくれる。
昨夜降った雨によりできた水溜りは花の浮き橋のよう。その上にまたはらりと花びらがこぼれて、水面が微かに揺れた。

「晴れてよかったな、なまえちゃん」
「ほんとね。サンジくんが日曜日お休みなんて滅多にないもんね」

隣を歩くサンジが穏やかに低音を紡いで、なまえはゆったりと顔を持ち上げて頷く。
ふたりが進む道に車輪の跡がくっきりと残る。サンジの押すベビーカーの中でちょこんと座ってご機嫌にあたりを見ている娘の頭に手に持っていたピンク色の帽子を被せて、なまえはスマホをいそいそと取り出した。

「エリーゼちゃ

名前を呼ぶと、むすめはママの顔をみてにこにこ満面の笑みを浮かべて楽しそうな声をあげる。サンジ譲りの金髪と青い瞳を持つむすめは、まるでお人形さんみたいで我が子ながらとびっきり可愛い。
サンジが「お姫様みてェだろ」と嬉々として買ってきたフリフリなお洋服を着ているからよりそう思うのだろう。桜の淡いピンクがよく似合うむすめは、自身もその花がお気に召したのか興味津々に木を見上げて「ぴぃく」と指をさす。
「ピンクだね」ととろけた声を出すパパにもう一度「ぴぃく」と繰り返して、むすめはきゃっきゃと笑う。

「ずいぶんとご機嫌だなァ、エリーゼちゃん。お散歩大好きだもんな」
「桜もとってもお気に召したのね。よかった、満開の時に来れて」
「そうだな。あっという間に散るもんな、桜ってのは。にしても、綺麗だなァ。こうしてまたなまえちゃんと桜見れて嬉しいよ、おれ」
「ふふ。わたしも

サンジくんと桜を見るのは今年で何回目だろう、と考えてみる。両手では数え切れないほど共に春を重ねていることに改めて気がつくと、なんだか感慨深くって。彼のベビーカーを押す手の上にそっと自分の手を重ねた。
ひらりと舞い散る桜の花びらが、重ねた手の指輪の上を撫でるようにして落ちていった。ふたり、顔を見合わせてくすりと微笑みあう。

「妊娠中もさ、こうして桜並木の中を歩いたよな」
「うん。あ、だからエリーゼこんなにも桜を気に入ってるのかな」
「はは、かもしれねェな。毎日歩いたもんなあ」
「そうそう。わたし一人じゃ危ないからって必ずサンジくんついてきてくれて」
「ほら、花が敷かれた道はちょっと滑りやすいだろ? もしなまえちゃんが転けたらって思ったら気が気でなくってな」
「サンジくんったらほんと心配性なんだもの」
「だってよ、なまえちゃん。きみとエリーゼちゃんはおれにとって世界で一番、誰よりも何よりも大切な人だから。……愛してるぜ、なまえちゃん
「…えへへ、うん」
「あ、照れた? クソ可愛い」
「ん、」

もう何度も囁かれたことばだというのに、いつまでも慣れなくて…嬉しくって。何度だって胸の奥をくすぐってくれる直接的でストレートな愛の言葉の威力は大きいものだ。
ほんのりと染まったなまえのほっぺたは桜色で、一児の母となった今でも変わらず少女みたい。その愛らしさにサンジはふっと笑って、片腕で彼女の肩をそっと抱いてこめかみにキスを送る。

「も、もうサンジくんっ。お外なのに」
「ごめんな。あまりにもなまえちゃんが可愛いもんで」

へへ、と笑うサンジに反省の色はなく、その表情はやっぱり一児の父となってもどこか少年のようなあどけなさが残っていて、どんどん蓄えられていく色気の合間に覗く可愛らしさにまた胸がキュンと上擦ったところ。
ベビーカーのなかのむすめが、可愛らしい声をあげてふたりを呼んだ。

「はあい? どうちたの

さっきの悪戯な低音を隠し、あまい声で幼児語を紡ぐサンジにくすりと笑いながらなまえも顔を覗かせる。
どうやらむすめはベビーカーから降りたいみたいで、パパに向かって腕を伸ばした。

「お、歩きたいの? じゃあ…ここでちょっと止まろうか」
「うん」

ちょうど人も少ないこの通り。ベビーカーを端に寄せてからむすめを抱き上げ、ちょこんとおろしてあげると、よちよちと踏みしめるように歩きはじめた。小さなからだで頑張って歩くその姿。サンジは早速スマホを取り出してシャッターを切る音を高速で鳴らし続ける。
サンジくん相変わらず。って笑いながら、なまえもそんな二人を写し、即お気に入りを意味するハートマークをタップする。

薄桃の雨のなか。むすめはしゃがみこんで桜の花びらを摘んでは離し、摘んでは離し、を繰り返してたのしそうな愛くるしい笑い声を響かせる。その無垢なうしろ姿を見つめて、「天使みたい」ってこぼすとスマホを構えていたサンジもすぐにこっくりと頷いて瞳を細めた。

「なあ、なまえちゃん」
「なあに?」
「来年も、再来年も。ずっとずっと。こうして三人で桜を見に来ような」

もう、両手で数え切れないほど彼の隣で春を重ねてきたけれど。
この先もずっと、ずうっと、それが続いていくのだと思うとこの世界が無性に愛おしくなって、なまえは先ほどのお返しに、と。彼のほっぺたに小さなキスをひとつ送って、「約束ね」と桜色に微笑んだ。