偉大なる航路のとある海域。
麦わら帽子をかぶったドクロを掲げた海賊船が気持ちよさそうに揺れていた。ざぷんざぷんと波を滑る音が心地よく、透明な風がふわりと肌を撫でる。

“麦わら海賊団”が結成されてからもう随分と季節を重ね、今や十二人の船員が集っている。
すっかり名を上げたこの海賊団の十二人目、最後の仲間になった者の名は“ロロノア・リリア”
予てから恋人同士だったゾロとなまえの間に生まれた一人娘だ。金色の長い髪に、青と灰緑の両親から授かった花色の瞳。顔立ちはなまえとみまごうほどの賜物で、麦わらの一味全員から愛され元気にすくすく育っている。


「ママ〜」

ぽかぽかに晴れた昼下がり。遠くでルフィとウソップとチョッパーがわいわいやっている声がぼやけているなか、キャンディを転がしたような甘い幼声が芝生を敷いた甲板の上で響いた。

「なあに?」

ナミとロビンと恒例のお茶会をしていたなまえは、愛しい娘の呼びかけににっこりと頬を緩めて小首を傾げた。もうすっかりと日常化としているほのぼのとした愛い光景に、ナミもロビンも持ち上げていたティーカップをそっとソーサーに戻して双眸を細めて可愛らしい幼な子を迎える。
お姉さんを視界で捉えたリリアは、ふと立ち止まってほわんと相好を崩した。

「あ、ナミちゃんとロビンちゃん! こんにちは」
「こんにちは、リリア」
「リリアは今日も元気ね」

真っ白なカンカン帽子を小さな頭にちょこんと乗せて、リボンがついた水色のワンピースを着た幼女は大きな花色の瞳をキラキラに輝かせている。この世界の全てが新鮮で美しくて透明なのだろう。一縷の穢れすらも知らないその無垢は、どんな宝石よりも美しく輝かしい。

「ねえママぁ。ルフィくんとウソップくんがね、おっきいおさかなさんをつったの! リリアもさわっていい?」
「ええ、いいわよ。でも、きちんとお兄さんたちの言うことを聞いてね」
「うん!」
「リリア。そのお魚さん、後でお姉さんにも見せてね」
「ふふ、楽しみにしてるわ」
「えへへ、リリアがんばってはこんでくるね」

にこにことした真っ白な笑顔を振りまいて、リリアは「ママがいいって〜〜!」と大きく声を響かせながらルフィたちの元へと帰っていく。
「お、ママから許可もらったか!」「よし、リリア! まずしっぽを触ってみろ」「怪我したらすぐにおれが手当てしてやるからな!」続いて、ウソップたちのご機嫌もふわりと風に乗って三人の元まで漂って、なまえはもう一度表情を蕩けさせてミルクティーを啜る。

「……本当にありがたいわ」
「なにが?」
「みんながこうしてリリアを見てくれること。みんな心から信頼してるから、どこまでもあの子を託すことができるもの」
「そうね。リリアも生まれてからずっとここで生活してるから全員に懐いてるものね」
「ブルックなんて孫のように可愛がってるものね」
「ええ。すっかり大人の穏やかさを持っているから、ブルックちゃんとジンベエさんは見ててほっこりするの」
「サンジ君とフランキーも溺愛してるし、あの三人は当然遊び相手ができて嬉しそう」

船尾からきゃっきゃと楽しそうな声が響き、穏やかなひだまりの中に融けていく。
海賊船に乗りながら子育てなんてできるのか。まず最初に抱いた大きな不安はここだった。今、幾度の冒険を超えてきた上でこの船は“偉大なる航路”に滞留している。偉大なる航路は何年航海を続けても慣れることなどできない摩訶不思議な航路だ。天候も海流も気温も全てがデタラメで、世界一の腕を持つ航海士でも完全なる予測は不可能である。

もちろん、凶悪な海賊だって揺蕩っているし自分たちも海賊。海軍に追われたり突然海戦に見舞われたりなんてことは日常だ。そんな過酷な状況下の中、子どもを産み育てられる自信がとてもなく、身籠ったことが判った暁には船を降りる決断も下したくらいなのだが、太陽を内に秘めた船長が一言。「ここで産んで育てよう、なまえ。おれ達がいるじゃん!」と明るくなんでもないように放ってくれたのだ。
もちろん、不安を共存していたナミとサンジは「そんな簡単に言うな!」と雷を落としたのだが、船長の一言というのはあまりにも大きなものだった。「ルフィちゃんがそういうなら大丈夫」そう心から思えたのだ。
それに、一人この船から降りてこの子の父親──ゾロと離れ離れになったらこの子がかわいそうだと。そうブルックやフランキーが口にしてくれた。「みんな交代でお世話をする」という案は話し合っている間で自然に全員の中から浮かんだもので、誰一人却下や嫌悪を見せることはなかった。

冬の半ばの夜明けになまえはゾロとの娘を無事に出産した。待望の赤子の産声にみんな大喜びで、チョッパーもなまえも、ずっと付き添っていたゾロも。初めてのお産にひどく困憊しながらも夜明けの中、大歓声をあげるクルーにそっと目尻を垂らしたのだった。
百合の花リリー/リリアンと藤の花ウィステリアから取って“リリア”と名付けられたゾロとなまえの娘は、それから両親とクルーに見守られ育てられながらもうすぐ五歳になろうとしている。

「……でも、一番意外なのはあいつよね」
「ええ、そうね」
「え?」

感謝を抱きつつ想いを巡らせていたなまえは、ナミとロビンの明朗な声にふっと意識を解かれて顔を上げる。
二人は、柳眉を垂らしながらそっと目線を展望台から降りてきたゾロに向けていた。

「ほら、ゾロ」
「ゾロがどうしたの?」
「ゾロが意外ねって話をしていたのよ、なまえ」
「まさか、あいつがあんなに娘にぞっこんになるだなんて、予想外。まあ、本人はそこを隠してるつもりなんでしょうけど…バレバレよねえ」
「ああ…ふふっ。ゾロね、うん。私もちょっとびっくりしちゃった」
「とっても愛おしいんでしょうね」

ロビンのやわらかな一言に頷きながら、なまえはナミと同じようにゾロに双眸を向ける。芝生に足をつけたゾロは、「あ、パパ〜」という可愛らしい声にぴくりと反応を示して口元を緩めたのだ。トレーニングを終えた汗を拭きつつ、愛しい娘の元へと足を向けているその後ろ姿からはひしひしと強い愛情を感じる。

「「パパ〜!!」」
「てめェらはそう呼ぶんじゃねェ!」

ふざけてリリアの真似をしたルフィとウソップに激しい雷が落ちている。
ゾロの怒りに二人はけらけらと、昔と変わらない笑い声をあげている。なんとも平和な昼下がり。

「このおさかなさん。きょうのよるごはんなんだって!」
「へェ。リリアが釣ったのか?」
「うん!」
「嘘つくな! 釣ったのはおれだろ、リリア!」
「ウソップくんがうそついてるんだよ〜パパ」
「ああ、だろうな」
「ンなわけあるかあ! こんな幼女がこんなでけェ魚釣れるわけねェだろ!」

ぷうぷうしているウソップにおかしそうに笑うリリアの声に、ルフィもチョッパーもゾロも口角を緩めて微笑んでいる。この調子だとサンジも「お、リリアちゃんが釣ったのかい? すげェなあ」などと褒めるだろう。

「ママ〜 きて〜!」
「お呼びよ、なまえ」
「いってらっしゃい。片付けは私たちでするから」
「もう本当にごめんね。いってくるわ」

眉を下げて顔の前で両手を合わせて小さな謝罪を見せると、なまえは席を立って「はあ〜い」と透明な声を上げた。駆けていく後ろ姿、風になびく金色の髪を見つめながらナミとロビンは微笑みあう。

「なまえもすっかりママになったわね」
「ええ」

愛らしい会話が聞こえてくる今日も変わらず平和だ。
すっかり変わったけれど、それでも愛しい部分はそのままなこのあたたかな一味にナミとロビンはふっと笑みをこぼした。



百合と藤




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