綺麗な満月の夜。美しい月の光が展望台に伸びて、ひんやりとした床を撫でている。ランタンと月の光だけが頼りな薄暗い部屋、ゆらゆらゆりかごのように揺れるサニー号は眠気を誘うにはこの上なく、小さな手に大事そうに支えられているうさぎさんのマグカップの中身はちゃぷちゃぷ海のように揺れていた。

「…リリア、眠ィんだろ?」
「…はっ、! ねむたくないの」

パパの低い声が鼓膜を揺らしてはっと目を開けたリリアにくくっと喉で笑った。
「眠たいようだったらリリアを連れてきてあげてね」となまえに言われたし、ゾロ自身もたっぷりとしたふわふわなベッドに眠らせてあげたいから酒瓶から口を離してもう一度娘に視線を落とす。

「リリア、無理しねェでいいんだぞ。もう寝るか?」
「ううん、ねないの。リリアはまだパパとばんしゃくするの!」
「そうか。ならしっかり目開けとけよ。牛乳こぼしたら怒られるぞ」
「うん、リリアがんばる

四歳の女の子が“晩酌”なんて言葉を使うからゾロは笑ってしまいそうになる。これは、ウソップの入れ知恵だ。「パパはよるおさけのんでるからリリアとあそんでくれないの」と愚痴をこぼしたリリアに「なら、晩酌してみたらどうだ? もちろん、リリアは牛乳でな」と答えたらしい。

「ママ、リリアねえ、パパとばんしゃくしたいの!」
「えっ、ええ…!? リリア、今なんて言ったの?」
「リリア、パパとばんしゃくしたいの!」
「ええっ、まあ! どうしてそんな言葉を知っているの? リリアは頭がいいわね、さすがママの娘ね
「えへへ

ママに褒められるのが嬉しくって「ウソップくんにおしえてもらったの!」とは言わずに、リリアはママのハグをたっぷりと受けていた。通りかかったゾロが「リリアがどうやってそんな言葉を知るんだ。どうせウソップだろ」と言い、「まあ、夢のない人ね!」「パパいやなの」と妻と娘にぷんすこされ、二人が命なゾロは可哀想なくらいに慌てていただとか。

そんなことが午前にあった夜。お昼寝をいつも以上にたっぷりとったリリアは22時を過ぎた今も椅子にちょこんと座っているのだけれど、牛乳を飲むペースが落ちてきている。

「リリア、飲まねェのか?」
「ん、のむの。サンジくんがねあついミルクにはちみついれてくれたの、あまくておいしいの」
「あァ。一口飲んだが甘ェな、そりゃ。よく飲めるな、リリア」
「えへへ、リリアえらい?」
「あ? あー、えらいえらい」
「わあ、うれしいの!」

パパの大きな分厚い手で頭をよしよしされるのが大好きなリリアはふにゃっと幼い笑みを浮かべて、ゾロを見上げる。オリーブがかったブロンドには天使の輪が光っていて、白いパジャマはあの服のようで、天界から降りてきた天使そのものだった。娘ぞっこんリリア推しなゾロの目にかかれば羽すら見える勢いだ。こくこくとミルクを飲んでいる姿も後ろに淡い光が見えるほど。

「…天使みてェ。リリア、お前は天使なのか?」
「リリアはてんしじゃなくてリリアなの」
「ああ、そうだが」

きょとんと花色の瞳を大きくさせるリリアにまた笑いが込み上げてくる。この子はよく「リリアはリリアなの」というから、なんだかそれがゾロのツボに入ってしまうのだ。父親自身、どうしてかは分からないのだが。話の意味をあまり理解していないのもまたいたいけで大変愛くるしい。そんな娘の姿に「ふわふわした綿飴みたいね」ってリリアを抱き上げて頬擦りをしているなまえの姿をよく見かける。

「おい、リリア一気に飲むと腹壊すぞ。ゆっくり飲めよってママにも言われただろ」
「あ、わすれてたの」
「ったく。クッキーはいらねェのか?」
「ああっ、クッキー!」

サンジとなまえが焼いたハート型のクッキーが入ったバスケットを渡すとリリアは目を輝かせて受け取った。小せェ手、とバスケットを必死で掴んでいるリリアの手に触りたくなって伸ばし、重ねる。

「パパもクッキーたべたいの?」
「…くれるのか?」
「うん! だいすきなパパにはたくさんあげるの」
「いい子だな、リリアは」
「えへへ。ママにもあげたいの」
「いや、それ全部リリアのだ。おれ達のはいらねェよ」
「え、でもいっしょにたべるのがいいの。いっしょがリリアはすきなの」
「…ああ、リリアは船長より大人だな」

人のお皿から勝手に奪って口に入れてはコックから踵落としを喰らって。そんなやりとりをもう何年見てきたか。そう思ったところで、追憶するものが莫大にあってそういやもうこんな歳月をルフィたちと過ごしてんだよな…。と感慨深く思ってしまう。本当にいろんなことがあった。死にかけたことだって数え切れないほどあるし、大切なかけがえのない仲間と共に数え切れないほどに笑って、肩を組んで過ごしてきた。あっという間に嵐のように過ぎ去った日々の中、結ばれたなまえとの元に祝福され、生まれてきてくれたのがこの金髪碧眼の天使リリアだ。また守るものが増えて、己の力により磨きをかけ、剣士として最強の名をずっと背負っていたいと心底思う。まさか、自分が女に恋をして子を持つだなんて、想像もしていなかった未来だけれど。悪くないと心の底から感じる。むしろ、あって欲しかった未来だと強く思うのだ。


「パパ?」
「ん?」
「パパにこってしてるの。しあわせなの?」
「…あァ、幸せだ」
「わあ、パパがしああせだとうれしいの!」
「しああせか、くくっ」
「えへへっ」

こいつは本当無垢でかわいい。クッキーを食べながら笑っているリリアを抱き上げ、膝に乗せるとリリアはまたぱあっと表情に花を咲かせた。

「リリア」
「なあに?」
「明日はママと三人で一緒に釣りするか」
「わあ、したいの! パパとママとあそぶのだいすき!」
「あァ、おれもだよ」

パパ、パパと愛を向けてくれる娘をぎゅうっと痛くないように抱きしめて、月光に照らされている海を見つめる。きらりと反射する水面に釣りをして笑いあう自分達を馳せる。この海はあまりにも過酷で残酷で、強者のみが生き残る世界だけれど海の底に花が眠っているかのように静謐に照らされたこの海はどこの海よりも綺麗だとゾロは思う。まだ右も左もわからない四歳の子供をこんな海に揺蕩わせていることに罪悪感のような、胸を痛める気持ちに襲われるがリリアは楽しんでくれているし、その笑顔を見てもっともっと強くなりてェ。と終わりの知らない高みを見せてくれる。

「……なんだ、もう寝ちまったのか」

身動きもせず大人しくなったなと思ったら。パパの温もりと大きさにすっかり安心し切ったのだろう。腕の中ですやすや眠る我が子の寝顔はやっぱり天使だった。こいつだけは死んでも守らねェと。何よりも輝いている宝物をぎゅうっと抱きしめて胸に掲げている決意を改めてこぼすと、梯子を登ってくる柔らかい靴の音が鼓膜を揺らして、ゾロは愛おしい女を心底愛おしそうな表情で迎えたのだった。


END.

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