1月11日。
春とも秋とも言えぬ気候が交互に訪れる海域に入ったサニー号。その日の夜更け前。なまえの陣痛が始まり、夜明けに産声が上がった。
船医室から出てきたチョッパーは、ラウンジで祈っていたクルー全員に「元気な女の子だよ!」と声をかけたのだ。それにクルーは大歓声をあげて、サンジとフランキーとブルックは号泣し、ナミとウソップは泣き笑い、ルフィとロビンとジンベエはにっこり微笑みを浮かべて。みんなどっと船医室に駆け寄ったのだった。

それから、一ヶ月ほど経った頃。度々見舞われていた大時化も、敵襲も、ようやくおさまり久しぶりの平穏な航海を続けていたのだった。リリアを出産してすぐ、こんなドタバタな日々が続き、なまえは中々ゆっくり休めず疲れが溜まっていたみたいで、夫婦部屋に戻ると共にベッドに潜り込んでしまった。

「大丈夫か、なまえ」
「うん……どっと疲れが…」

リリアを抱きながら部屋に入ってきたゾロに、なまえは首だけをこちらに向けて力なく答えた。

「そりゃそうだろ、赤ん坊を産んでからまともに休めてねェんだ」
「うん、ごめんね。ゾロ…リリア…」
「いいよ。おれが全部するからお前は寝てろ」
「ありがとう…素敵な旦那様だわ」

ふふふ、と軽く微笑むなまえにゾロもふっと口角を持ち上げて、リリアを大事に抱いたままなまえの柔らかな唇にキスを落とした。もう寄り添って10年以上たち、何千何万回と交わしてきたキスだというのに、いまだにこんなにも胸をドキドキさせるのは何故だろうか。
ゾロもなまえも、互いにそんなことを考えながら薄い粘膜から伝わる熱にうっとりする。愛をひとしきり送り合ったところで、どちらともなくそっと離した。

リリアも最近、目が僅かに見えるようになったのか、人のいる場所──特に両親の居場所はゾロ譲りの察知心で認識しているのか、こうして両親が仲良くしているところをじいっと大きな瞳で見つめているのだ。ゾロの唇が離れてすぐ、愛しい娘と瞳が交わって、なまえは更に胸を高鳴らせた。

「リリアちゃん。パパに抱っこされてお利口さんね
「リリアはいい子だな。なあ」

横たわったまま腕を伸ばして小さな小さな足をつんつんしてみると、リリアはふんと鼻を鳴らした。そして、大きなあくびをおひとつこぼす。

「すげェあくびだな。赤ん坊でもあくびするんだな」
「ふふ、だってちゃんと生きているもの。ねリリアちゃん」

娘を見ていたらどうも力が湧いてきて、なまえはゆっくり身体を起こした。
「大丈夫か?」と声をかけるゾロにゆっくりと首肯する。今は、眠りたいよりも娘と夫と三人で過ごしたいという気持ちが勝ったのだ。
フランキーとウソップが作ってくれたベビーベッドに寝かせる前に、二人のダブルベッドにタオルを敷いてそっと寝かせた。ゾロの大きな身体に抱かれていると本当に小さく見えるが、彼以上に幅のあるベッドに乗せるとよりそれを感じる。

「私よりもリリアが辛いわね」
「ん?」
「こんな小さな身体で必死に生きている中、あんな嵐に何度も遭遇するんだもの。よく頑張ったわね、リリア」

ぷくぷくしているほっぺたをそっと撫でると、リリアはふっとママに視線を流した。パパの灰緑とママの青の瞳を上手に融合した花色の瞳はくるりと丸くてとっても可愛い。

「あァ。リリアはよく泣いて頑張ったな。さすが、おれ達の子だ」
「うふふ。ね、リリアちゃん」
「だが、そりゃお前もだよ」
「え?」
「10ヶ月も赤ん坊を宿して産んで、その上この忙しさをよく耐えたな。さすがおれの女だ」
「……ふふ、ええ。だってあなたの女でこの子のママなんだもの。目が回るほど忙しかったけど、素敵な旦那様と仲間がいたから乗り越えられたわ」

緑混じりの金色の髪の毛が徐々に生えてきているまん丸で驚くほどに柔らかな頭を優しく撫でながら、なまえはゾロにキスを贈る。優しくて本物の強さを持っているゾロは、人の痛みも苦しみもよく分かっている。いつも聞いていないようで、見ていないようで、些細なことまで把握して汲んでいるからこの人には頭が上がらないわ。といつも思うのだ。でも多分、頭が上がらないのはお互い様。そして、ゾロはきっとリリアにはとびきり甘くなるでしょうね。と容易く想像できる未来にくすくす笑う。

「あ? 何だ」
「ううん。ゾロは本当にリリアを愛しているのね。嬉しくなっちゃった」
「あったりめェだろ。おれと惚れた女の間にできたガキだ。愛しくねェわけがねェ」
「えへへ、そうね。私も同じ」

ゾロの太い指をぎゅうっと握っているリリア。しばらく動かしたり上下にぶんとしたりしていたが、それをそっと口の方へと持っていった。あむっとパパの指を口に入れたリリアは、すぐにそれを離した。

「うふふ、お気に召さなかったのかしら?」
「おれの指は食いもんじゃねェぞ、リリア」
「お腹がすいちゃったのかな?」

つんつんと優しくほっぺたを突くと、リリアはぐしゅっと顔を顰めていく。真っ白な顔を赤くそめていき、大きな声をあげて泣きはじめた。

「どうした、リリア。下が気持ち悪ィか?」
「リリアちゃん、泣き顔も可愛いわね
「腹が減ってんのか、リリアは」
「ええ、そうみたい」

チョッパーに新生児は規則正しく、ではなくお腹が空いた時にこまめに母乳をあげるように。と教わったからなまえも安心してそっとリリアを抱き上げて、夜間のごはんをあげていく。ぎゃんと泣いていたリリアは、ママの腕に抱かれておっぱいを飲み始めるとすんと泣き止んだ。必死に吸い付く娘に、いつもいつも愛しさと幸福感をもらうのだ。頑張って生きようとしている健気な姿に胸が熱くなる。それは、ゾロも同じようでふっと眦を細めて見守っていた。

「かわいい見て、ゾロ」
「あァ。必死だな」
「ふふ、何だかお酒を飲むゾロみたい」
「あ?」
「ゾロもこんな感じで必死にお酒を飲んでいるわ」
「そりゃあな。一杯でも多く飲みてェだろ」
「そうかしら…」

どこまでもお酒が好きなゾロの言い分に頷けないところがある。なまえはうん、と小首を傾げてみせるが今にはじまったことではないため、曖昧に流した。こんなにもお酒が大好きなゾロが妊娠発覚から出産まで、なまえに合わせて飲まなかったのだからすごいものだ。クルーも全員驚愕して彼の身体を心配したほどなのだが、当の本人は一度決めたなら必ずやり通す持ち前の精神と愛しい妻と待望の赤子のために約10ヶ月、彼も頑張ったのだった。そのがんばりが嬉しくて何度も泣いたことがある。その度に、大袈裟だな。と呆れたように笑うゾロだったが。

今は、授乳中だからなまえは当然禁酒期間だが、ゾロには解禁をしてもらった。「おれも我慢する」と最初は続けるつもりだったらしいが、もうリリアを出産したし約束の期間は過ぎたのでなまえが無理に通したのだった。だから今は酒瓶に手を伸ばして、それを口にしながらリリアの様子を見守っている。どれだけ飲んでも酔うことは滅多にないし、絶対にお酒に呑まれないので安心してお酒を渡すことができるのだ。

「最近は特に身体にいいお料理をサンジくんが作ってくれたから、リリアもきっと栄養満点ね
「そういや、コック。遅くまで考えてるみてェだな」
「ええ、そうみたい。私も無理だけはしないでって言ったんだけど、無理なんかしてないって。好きでしていることだって言ってくれたの」
「あァ。おれもそう聞いたよ」

まだ、サンジはなまえに心底惚れているのだ。普通ならば別の男との間にできた赤ちゃんに対して、わずかな嫉妬心というものを抱くだろうにサンジの心にも頭にもそんな言葉も感情も一切ないのだ。ゾロと同様に「惚れたレディが生んだ子どもだ。クソ可愛いぜ」と表情を蕩けさせていた。

「……サンジくんは本当に本当に誰よりも優しい人ね」
「…アホなだけだろ」
「ふふ、またそんなこと言って」

ゾロだって、素直にそこをすごいと思っているくせに。なまえがくすりと笑うと、ゾロはまたむすっとしてお酒を豪快に煽った。それに引かれて、リリアに視線を落とす。

「まあ、リリア。お腹が空いていたのかしら。よく飲んでくれるわ
「おう、いい飲みっぷりだな。今朝はそうでもなかったのにな」
「うん、今日はあんまりおっぱいを欲しがらなかったからちょっと心配だったけど…よかった
「しかし美味そうに飲んでるな」
「本当ね。やっぱりお酒飲むゾロみたいだわ」
「そんな美味ェもんなのか?」
「……ゾロにはあげないわよ」
「そういう意味で言ったんじゃねェよ!」
「あ、」

ゾロが大きな声をあげたから、リリアはびくっとして口を離した。大きなおめめは驚きをたたえていて、ゾロもなまえもピタッと固まり、なぜかわからないけど息を止めて娘を見つめていたが──。泣き顔にはならずにほっとする。

「もう、ゾロのせいでびっくりしたじゃない」
「なまえが変なこと言うからだろうが」
「ごめんね、リリアちゃん。……あら? もういいの?」
「そりゃあんだけ飲めば腹も膨れるな。おら、リリア。来い」
「お願いね」
「おう、任せろ」

空気を吐き出させるために、そっと優しくパパに抱き渡すとリリアはお腹いっぱいでご機嫌にぱちりと瞬きをした。わずかに声を漏らして、二人はハッと顔を見合わせる。クーイングもまだできないのだが、こうしてたまに呻きのような声をあげることがあるのだ。そこがまた愛おしくって、二人とも思わず頬をゆると垂らしてしまった。

「リリアの声を聞ける日が楽しみね」
「そうだな。どんな声で喋るんだろうな」
「ゾロみたいな声だったら嫌だわ、私」
「女の赤ん坊がこんな声出すわけねェだろ」
「ふふ、そうだけど」

リリアの背中をとんとんと叩きながら、ゾロは呆れ目を彼女に向ける。
一方、なまえはリリアの新しいおしめを用意しておにぎりに手を伸ばしていた。お腹が空くからと何か常に持ち歩いているのだ。

「そういや、なまえ。眠たくねェのか」
「んだいぶ眠たくなってきちゃった。あれだけ飲んだら当分お腹は空かないはずね」
「お前のことを思っていっぱい飲んでくれたのかもな」
「ええっ、何て優しい娘なの

ぐっと空気を吐き出したリリアに、いい子だな。と撫でながらそっとベットの上に寝かせる。なまえが食を満たし終えると、ゾロがおむつを変えてあげて寝かせるためにまたそっと抱き上げた。

「リリアはおれが寝かすから、なまえはもう寝ろ」
「え、いいの?」
「元々そのつもりだったしな。気にしねェでいい」
「ゾロ、ありがとう」
「何の礼だよ。おれの娘でもあるんだ。当たり前だろ」
「ゾロ……

自分だって連日のドタバタで疲れているはずなのに。じーんと胸を打たせて目頭を熱くさせたなまえは、もう一度ゾロにキスをする。リリアを抱いたままだから少し気がかりだし不安だが、ゾロは丁寧に娘が潰れないように位置を変えて、お返しだと言わんばかりにたっぷりとした噛み付くようなキスを返した。

「ん……ふふ、」
「どうだ。いい夢見れそうか?」
「うん。ゾロとリリアのおかげで」

今度は、リリアの柔かな頭に口づけを落としてから布団に潜りこんだ。最初に潜ってからもう40分も経過していて、睡魔もいいタイミングで襲ってくる。

「おやすみ。ゾロ、リリア。ゾロ、何かあったら起こしてね……リリアも…お腹空いたら…ママを……、、」
「早ェな…」

限界だったらしいなまえはすぐに夢の世界へと旅立ってしまった。ママの声が途絶えて、リリアはじいっとなまえを見つめていたが、すぐにパパの顔に双眸を流した。

「どうした、リリア。ママは寝ちまったぞ」

こうしてリリアを抱くことが多いゾロにもリリアはすっかり慣れていて、このしっかりした腕の中で眠るのが大好きなようだ。ママの睡魔に誘われたかのように、お腹いっぱいなリリアも目をとろんとさせる。

「眠てェのか」

このままベビーベッドに置いたら号泣確定だ。それに加えて娘を離したくないゾロは、腕の中でしっかり抱き直して何度か揺らしてやると、リリアはすんなり寝落ちした。ぷくぷくなほっぺたをつつきたくなったが、したらまたぐずって起きるのでグッと我慢をする。
愛おしい娘と愛しい女の寝顔を交互見て、幸せな気持ちを胸に抱いたゾロはそこにお酒を流し熱を注いだ。



0歳-花朝





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