「あら、もうこんな時間」

夕食を終えて、自由に過ごしていたらあっという間に時間が経っていた。
ふと、壁掛け時計を見てみるともう八時になりそうで。なまえは、娘を呼びに甲板へと足を向ける。リリアはまだ幼いため、九時過ぎには寝かさないといけないのだ。

「リリア〜〜!」
「あ! ママのこえなの!」

ルフィたち三人と遊んでいたリリアは、ぱあっと顔を輝かせてママの元へと走っていく。
てとてと必死に走る姿は可愛らしく、愛くるしいものだが、転けてしまわないか心配だ。この前も走った時に足がもつれて、ずってーん!と大転倒し、「ママーー! パパーー!」と大泣きをしたものだから、ちょっぴりヒヤヒヤしてしまう。

「ママ〜

ぎゅーっと足に抱きついてくるリリアはとっても愛らしいものだ。ふにゃ〜ととろけた笑みと、キャンディのような声色、美しくサラサラな髪の毛になまえもふっと双眸を細めた。

「リリア、今日もお兄さんたちにたくさん遊んでもらったわね」
「うん! きょうもね、いっぱいあそんだの! おにごっこでしょ〜おさかなさんをつってかくれんぼもしたの!」
「そう。それはとっても楽しかったわね、リリア。後でママとパパにお話聞かせてね」
「うん! リリア、ちょっとつかれちゃったなあ〜」
「じゃあ、その疲れを癒すためにお風呂に入りましょうね」
「リリア、おふろすきなの」
「ふふ、それはとおってもいい子ね」

よしよしと頭を撫でてやると、えへへ、それすき〜と甘い声を転がす。
ああ、よかった…。娘のご機嫌な表情になまえは心のうちでそっと安堵をこぼすのだ。膝に大きな擦り傷を作ってから、リリアはおふろはいたいの!とお風呂に恐怖を抱いていたのだが、あれから二週間ほど経った今は傷もすっかり治り、素直に入ってくれるようになったのである。あの時は、大変だったわ…とため息をついて、なまえはしゃがみ込んだ。

「まあ。汗びっしょりね」
「あついの……」
「今日は夕方からすっごく暑くなるってナミちゃんが言ってたの。リリア、背中ぐっしょりじゃない」

服の中に手を入れて背中を確かめてみると、子供の体温だからかムッと暑く、手にはじっとりした柔らかな皮膚が触れた。

「ん〜〜リリア、おようふくがきもちわるいの」
「そうでしょう? う〜ん…汗疹はできてないわね。リリア、お風呂に入って汗をしっかり流さないとね」

よしよしと濡れた前髪を払ってやると、幼子はまたにっこり笑みを浮かべた。

「えへへ」
「も〜っ リリアったら可愛い〜
「えへへぇ〜ママもかわいいの〜

ニコニコ〜っと笑う娘があまりにも愛くるしいもので、たまらなくなったなまえはほっぺたにちゅーしてからぎゅーっと抱きしめた。小さな身体は熱を放って暑いけれど、小さな腕を回してくれる娘がまた愛おしいもので、すりすりしていたらフッと大きな影が伸びた。

「何やってんだ、お前ら親子で」
「「あ、パパ〜」」

ぎゅーっと抱きしめあっている二人に声をかけたのはゾロである。そっくりな二つの顔がこちらに振り向き、声を揃えるのだから、ゾロはグッと胸を大きく打たせた。クソ…可愛い…ッ! と心で萌えを発揮すると、なまえが察したのか、クスリと笑って立ち上がった。

「トレーニング、お疲れ様」
「おう」
「わあ〜パパまたとれーにんぐしてたの? すご〜い!」
「リリアは今日もしっかり遊んでたな」
「うん! リリア、きょうもたのしかった!」
「そうか。そりゃいい」

脚にぎゅーっと抱きついてきた我が子の頭をそっと撫でてやる。ベースは金色だが、ゾロの血も入っているために、全体的に緑がかっているのだ。その緑がかった金髪も、とびきり愛おしい部分だったりする。

「ゾロ、今日お風呂は?」
「あァ、入るよ。リリア、おれと一緒に入るか」
「わあ〜パパとはいるの〜!」
「よし、行くか」
「いくの〜!」
「ふふふ。お着替えやタオルはママが持って行くわ」
「おう、悪ィな」
「リリア、うさぎさんのパンツがいいなあ」
「ええ、うさぎさんのね。分かったわ」

リリアをひょいと持ち上げて肩車をしてやると、幼女は「きゃはは〜!」と楽しそうな声をこぼした。リリアはパパの肩車が大好きなのだ。愛しさに目を細めたなまえがその後に続く。「うふふ」と愛と幸せに笑みを溢すと、ん?と振り返る夫と我が子が愛おしい。
ああ、幸せだわ…。胸がきゅうんと締め付けられる。
「いってらっしゃい」を送ると、「いってきま〜す!」と幼声が高いところで響いた。


   ◇ ◇ ◇


「リリア、腕上げろ」
「はあ〜い」

脱衣所についた二人。ゾロはリリアを優しく降ろして、先に娘を脱がそうとしゃがみ込んだ。大人しく素直に腕を上げた娘に、「いい子だ」と声をかけてワンピースを脱がせていく。

「パパ、さきはいってるね」
「あァ。転けるなよ」
「はあ〜い」

ご機嫌に手をあげて、リリアは走ってお風呂の方へと向かっていく。
「おい、走るなよ」と声を投げると、リリアははっとしてぴたりと止まった。真っ白な肌がぴくりと震える。転けた時のことを思い出したのだろう。

「リリアははしらない!」そう自分に言い聞かせて扉を開けて中に入っていった。
あの小さく細い腕で開けられるのか、ゾロは服を脱ぎながら見守っていたが要らぬ心配だったみたいだ。さすが、おれの娘だな。と笑みを浮かべて全て脱ぎ終えたゾロは、リリアに続いて中へと入っていく。

「わあ〜! パパぁ、みて! しろいの〜♪」
「ああ。湯気だな」
「ゆげ、」
「リリア、まず身体流してから入らねェとママに怒られるぞ」
「あ、そうなの!」

てとてと近づいてきたリリアの小さな身体に適温のお湯をかけていく。「きゃあ〜!」と楽しそうな声がいっぱいに響いた。
「おら、いいぞ」「やったあ〜」
リリアはにこにこで、ご機嫌にどぼーん!とお湯に浸かっていく。

「また豪快な入り方だな」
「パパもはやく〜!」
「へいへい」

自分も豪快に身体を流すと、手招きされるままにお湯へと身体を滑らせていく。サニー号のお風呂はとっても広い。自分の脚の長さよりも身長の低いリリアと二人で入るのは少しもったいないくらいだ。なまえを誘えばよかったな。と少し後悔をする。だが、娘と二人きりに時間というのは、妻とはまた違った温もりと愛しさ、尊さがある。それを味わいながら、ゾロはお湯を顔にかけると、とぷんと肩まで乳白色に潜らせた。

「ねえ、パパ」
「ん?」
「パパはお風呂好き?」
「あァ。好きだよ」
「リリアもなの〜」
「そういやお前、傷どうなった?」
「きず?」

きょと〜んと目を丸めたリリアは、ややあってはっとした。自分の脚を水上にザバーっとあげてみせる。一週間と少し前、大転倒をして膝小僧に作った傷は、今は瘡蓋も剥げて少しだけ痕になった状態にまで治ってきている。もうほぼほぼ健康な皮膚だ。
これがまだじゅくじゅくな傷だった頃、リリアは大泣きして入浴を嫌がったのだが、今はこうしてにこにこであるため、ゾロはほっとしたのだった。

「お、綺麗に治ってるな」
「うん、なおってるの!」
「ちとまだ白ェが、これもいつか綺麗になるだろ」
「リリアのおひざ、ちゃんときれいになるの?」
「ああ。だからリリア。こうして毎日風呂に入れよ」
「うんっ! パパがいうならまいにちはいる〜」

……自分が言える立場ではないが。幸いにこれまでの風呂事情を知らない上に、あまり深い理解ができない年齢。ゾロはにこにこ無垢に微笑むリリアの頭を優しく撫でてやり、その場をごまかす。
──と。ガラッと音が鳴った。脱衣所の扉を開ける音だ。こつりと美しく響くのは、なまえのヒール音。「なまえか」とゾロがこぼすと、リリアもハッとして「ママ〜?」とガラス越しに揺れる影をよぶ。

「はぁ〜い」
「あ、ママ〜!」

向こう側から聞こえてきたのは、リリアの大好きなママの優しい声。さっき、二人の服を届けると言っていた。それでここに訪れたのだろう。棚のバスケットに二人分の衣類とタオルを入れている影が綺麗に揺れている。

「おい、リリア」
「ママ〜!」

お湯から立ち上がったリリアは、てとてと走ってドアを開けた。ちょうどバスケットに手を伸ばしていたなまえは驚いた顔をしたが、すぐに微笑みを浮かべた。母親になったなまえの娘を愛でる表情がゾロは大好きだった。優しくて、愛のこもってる彼女。ゾロもこのままお湯から立ち上がって、彼女の元へと駆け付けたい衝動に駆られたが、ここは我慢だ。ここは娘に譲らねば。

「リリア、お風呂は気持ちいい?」
「きもちいいの、パパもきもちいいって!」
「まあ、パパも気持ちいいの?」
「ああ、極楽だ」
「ごく、ごく? ジュースなの?」
「ふふ、リリアったら可愛い〜

くるりと瞳を丸める娘になまえはふにゃりと頬を蕩けさせ、少し濡れている頭を撫でてやる。

「パパもリリアとのお風呂は幸せなんですって」
「えへへ〜リリアもなの」
「さあ、リリア。風邪ひいちゃうわ、お湯に浸かってらっしゃい」
「うん! ママ、バイバイ」
「バイバイ」

手を振り合うと、リリアはまた走って浴槽へと向かっていくからゾロもなまえも少し不安な気持ちになる。転けないかヒヤヒヤしてしまう。これは親バカなのだろうか…。
なまえも日誌を書く仕事がまだ残っているため、これ以上長居はしてられない。浴槽に浸かりたいリリアを抱き上げたゾロになまえは双眸を向けて、彼のみに送る、恋の微笑みを浮かべた。それがまたたまらなく愛おしくって。ゾロは少し照れ臭さを浮かべて目を少しだけ見開かせた。それは、愛しさをおぼえたゾロの仕草だ。彼の想いをきちんと受け取ったなまえは少女のように恋に胸を高鳴らせながら、そっとドアを閉めた。

「パパ〜? どうしたの?」
「いや…なんでもねェ」
「ママとおはなししてたの?」
「あ、ああ…まあ、そんなところだ」

お湯に戻したリリアにゾロは曖昧に答える。
もう恋をして寄り添って10年以上経つというのに、まだ彼女の一つ一つの仕草や声にドキドキしてしまうなんて。どこか小っ恥ずかしくって、娘とそして妻に悟られたくなく。すん、とそっけないフリを装い、もう一度顔にお湯をかけた。そのお湯の熱さが熱にぶつかり相殺し、火照りを和らげてくれる。


それから少しぬくもって、リリアと自分を洗うために浴槽からシャワーの前へと移動する。


「えへへ〜っ!」

きゃっきゃと走り回るリリアだから、ゾロは先に自分を洗ってしまおうと石けんに手を伸ばした。パーツに合わせていちいち石鹸を変えるのは面倒くさいため、固形石鹸を泡立てて頭から爪先までささっと洗い、流す。

「リリア、来い」
「はあ〜い!」

お風呂用ブロックで遊んでいたリリアは、パパの呼びにすぐにお返事をして駆けつけた。
リリアは、すごく聞き分けのいい子供だと自分の娘ながらつくづく思ってしまう。そりゃあもちろん、イヤイヤ期の時はひどいもので、着替えもおむつも食事も何もかも「いやあーっ!」と泣いて暴れて、あのルフィを含むクルー全員がぐったりしてしまったこともあった。
リリアは船の上で生まれ、四歳までずっと海の上で育っているから敵襲にも見舞われることもあり、その度にまた隠れてるのがイヤだと泣いて、敵に気付かれ、人質に取られたことが何度かある。大事な娘に恐怖を与え、危ない目に合わせたその敵をゾロなまえで半殺しにして事なきを得たが…。

この危険な海で生活を営んでいるため、こう素直で聞き分けのいい子に育ってくれて親としても仲間としてもとても安心なのだ。リリアがこう育ったのは、両親に加えていつもいつも太陽のようにあたたかな目を向けて、抱きしめてくれるクルーがいるからだ。

「リリアのいすは?」
「そういや昨日、フランキーに作ってもらってたな」

大好きなクマさんとウサギさんの柄の入った、リリア専用の風呂椅子。隅に避けられているそれを持ってきて、鏡の前に置くとリリアはニコニコで大人しくそれにちょこんとお座りをした。

「シャワーかけるぞ」
「うん!」

まずは自分の手のひらにお湯をかける。ややあって適温になると、真っ白で傷一のつない小さな小さな背中にかけていく。「わあ〜!」と幼い声を響かせ、リリアはうっとり表情をとろけさせた。

「きもちいの」
「汗かいてたもんな、リリア。ベタベタは取れたが」

背中を撫でてみるともう汗もすっかり落ちて、湿ってはいるけれどサラサラだ。自分の手のひらを当てると、もうほぼ余白なく手に覆い隠される小さな身体。それが愛おしくて、愛らしくて。ゾロはよしよしと我が子の背中を何度も撫でた。

「リリア、きれい?」
「おう、きれい」
「えへへ〜まいにちおふろにはいってるの」

この前、リリアに「パパはふけつなの?」と聞かれた。それを思い出させないよう「そうか」と一言返す。リリアは大人しく石けんを選んでいるようで、特に続けることはなかった。

ラックに整然と並べられているのは、女性専用の液状石けん。ハニーにオレンジ、ローズにミュゲ、オーシャンにケーキの匂いがするものまでズラリと揃っている。ナミとなまえの石けんブームがあり、気がつけばこんなにも石けんが溜まってしまっていた。男性陣には「使用禁止!」と罰金を設けている高級石けんだが、リリアにはナミも大変甘いために「リリアはどれだけ使ってもいいわよ」とにこやかに告げていたことを思い出す。その後ろで、ルフィとウソップがブーブー唇を尖らせていたこともついでに。

「どれにするんだ?」
「ん〜とん〜と…、」
「ゆっくりでいいよ」
「ん〜〜……」

じーっと凝視して悩んでいるリリア。匂いなんざそんな変わらねェだろ、と思ってしまうのだが、こういうところに“女の子”を感じる。まだ性別も朧げな年齢だから普段はあまり意識はしないが、こうしてふとした時に自分の子供は“娘”なのだと強く実感するのだ。こうしてリリアも大人になりゃ、なまえ達みてェに服にこだわり、爪に色を塗って化粧をし、髪の毛を綺麗に巻くのかねェ。と思案していると「これにするー!」と甘ったるい声が鼓膜を揺らした。

くるりとこちらに向けた花色の瞳は、可愛いをたっぷり吸収してキラリと反射している、石けんひとつでこんな喜べんだな。とふっと口角が上がった。

「何の匂いにしたんだ?」
「これなの。なんてかいてあるの?」
「…ローズだな。何か分かってねェのに選んだのか?」
「だって、ぴんくとしろでかわいかったの」
「はは、なんだその選び方は」
「えへへっ」

パパが笑うと、ママが笑うと、リリアは嬉しいのか釣られてくすくす笑う。そんなところも心底可愛いと思う。天使だと思う。この愛しい宝物を守るため、もっともっと強くならねェと、と握る剣に重みが増えていく。

「ローズは薔薇だな。お前のママと一緒だ」
「あ、うん! これ、ママみたいな匂いなの!」
「だろ? 今日はお揃いだな」
「ママといっしょ、うれしいの〜!」

まずは髪の毛を洗うために、手のひらに数的シャンプーを落として泡立てていく。だが、リリアはそれをみて「いや!」とぶんぶん首を振った。

「あ? どうした」
「リリア、おみずがこわいの」
「あー…そうか、悪ィ。忘れてた」

まだシャワーが怖いリリアは、シャンプーハットをしないとダメなのだ。ギュッと目を瞑っている娘の頭にピンク色のそれをかぶせてあげると、幼女はほっと安堵のため息を洩らした。

「頭濡らすぞ」
「うん……きゃあ〜!」

うっすら緑がかっている金にたっぷりのお湯をかけていくと、リリアは楽しそうとも取れる声をあげる。もくもくと立ち上がる湯気に混じった高音は、高いところでぱちんと弾けた。

「パパ〜! いるの〜!?」
「ああ、いるよ」
「ほんと〜!?」
「おら、おれの手だ」
「おおきいの。パパのてなの」

目を強く瞑っているため、真っ暗な世界にいるリリアは耳をつくシャワーの音と相まって忽ち不安になったのだろう。こうして毎度毎度、パパを呼ぶのだ。そっと小さな細い肩に手を置いてやると、リリアは飴のような笑い声を転がした。
握りつぶせそうなほどに小さなまんまるに、泡立てたシャンプーを乗せていく。髪は胸まで伸びているけど、まだ幼く毛量も少なく細いために、濡らしてみると意外にも軽やかで驚いてしまう。ふわふわな毛をした犬や猫のその実はとても小さい、というあの感じみてェだ。とゾロも口の中で笑いを転がした。

「え! パパわらってるの?」
「ああ。お前が小さくてな」
「ええ〜? リリアはいつもちっちゃいのに、パパへんなの〜!」
「痛くねェか?」
「いたくねェの」
「…ママに怒られんぞ」

『まずは丁寧な言葉をしっかり覚えて使えるようにさせたいの。それは絶対いつかリリアの役に立つから。でも、将来強制はしないわ。もし、リリアが大人になった時に男の子みたいな言葉を使いたいっていうのならそうすればいい。その、使いたい。だったり、できることの選択肢を増やしてあげるために、まずはリリアに丁寧と礼儀を教えたいの。ゾロはこの子のパパとしてどう思う? いいかしら?』

リリアがまだ赤ちゃんの時に二人で決めたこと。なまえの考え方や価値観は大好きで、ゾロもそこは同感なので、それを育児の方針にしたのだ。だから、リリアに注意をするがそれはどうやら届いていないよう。まあ、ただ返しただけだしな。と今日のところはスルーをした。

泣くことなく、ご機嫌なリリアに安心してたっぷりの泡の乗った頭にお湯をかけていく。美しく無垢な光を放つ金の絹から滑るように泡がこぼれて、さらに金は輝きを増した。生まれてまだ四年なリリアの金色は世界を知らない淡い色をしていて、こうして白に包まれていると、なまえとよく行った美術館で目にした絵画の中の天使のようだ。
羽根が生えてねェのが不思議なくらいだ。なんて考えていたら「ん〜〜やだあ〜! パパあ〜ッ!!」とリリアの鳴き声がお風呂場に響き渡った。

「ああ、悪ィ悪ィ!」

ハッとしたゾロは慌ててシャワーを止めた。
シャンプーハットが少しズレてしまって、リリアに慌ててタオルを滑らせてていく。

「んーっ、ふえ…ッ」
「リリア、目痛くねェか?」
「ん……痛くない…」

グスッと鼻を啜って、たっぷりと水の膜を張った瞳をぱちぱちと瞬かせてリリアはパパからタオルを受け取った。一刻も早く顔から水気を無くしたいのだろう。ごしごしと強い力で拭いていく。

「そんな強く拭いたら肌が痛ェだろ」
「だって、リリア…こわかったの…」
「あァ。そりゃ悪かった」
「ん〜ッ」

泣きそうなのを必死で耐えて、パパにぎゅうっと抱きつくリリア。ゾロも優しく娘を受け止めて太い腕を回し、ぽんぽんと背中を撫でてやると、嬉しそうに微笑んだ。

「もう平気か?」
「うん…なおったの」
「そうか。よかった」
「…えへへ、」

にこっと笑うリリアに微笑み返すゾロの穏やかさといったら。クルーですら知らない、妻と娘のみに向ける愛ある表情にリリアもえへへーと声を漏らした。そのご機嫌な間にリンスを終わらせて、サラサラな髪の毛を拭いてやる。アヒルのおもちゃを取り出したリリアは、それで遊んでいるためとても大人しい。

「アヒルちゃんもおからだをあらいましょ〜」
「リリア、じっとしてろ」

髪の毛を結んでやり、小さな身体を丁寧に洗ってリリアを連れて再び浴槽に戻る。リリアとお風呂に入ることが一番多いゾロは、幼児の洗い方も髪の毛の結び方も完璧にマスターしている。元々、手ぬぐいを綺麗に腕にくくりつけたりしているため手先は器用な方なのかもしれない。リリアのお団子も綺麗に結ばれていて、肩までお湯に浸かっても濡れることはない。

「いい湯だな」
「きもちいいねえ」

アヒルのおもちゃを何個か浮かべて、きゃっきゃと一人遊びをしているリリアを横目見て。ゾロはふう…と息をつく。
幼子と一緒に入るのは疲れるものだが、同時に愛を共に育めている気がして心地の良いものだ。ふにっとしている腕が可愛くてつまんでやると、遊びに夢中なリリアはふんと払ってアヒルをちゃぷちゃぷ遊ばせる。

「リリアのいうことをきいて、おゆにつかりましょ〜。あ、ひっくりかえってる。だめだよ〜」
「ん? ココ、蚊にでも刺されたのか」

ふとリリアの首裏を見てみると、小さくぷつっとしたのができていることに気がついた。昨日まではなかったものだ。さっき遊んでいる時に刺されたのだろうか…後でチョッパーに診てもらうか。頭で浮かべながら、身を包み込むお湯の気持ちの良さに目を瞑る。

「かたまでつかりましょ〜〜ん、あれ…アヒルさんのかたってどこかな。ここかなあ」
「アヒルの肩…」

考えたこともねェな。真剣にアヒルに話しかけているリリアの独り言を聞くのは楽しいものだし、その内容があまりにも無垢なので癒される。

「パパ、アヒルさんのかたってどこなの?」
「……ここだ」
「ココか〜!」

首の下、曲せんを帯びているところを指さすと、リリアはにこりと微笑んでまたアヒルに喋りかけていく。いつもは、浴槽の縁にしがみついてばしゃばしゃ足をばたつかせたり、水をかいたりするのだが、今日は大変おとなしい。

「リリア、今日はいい子だな」
「リリアはいつもいい子なの」
「昨日は泳いでただろ。ありゃいい子じゃねェよ」
「え、そうなの?」
「あァ。風呂は静かに入るもんだ」
「でもね、ウソップくんはおよぐっていってたから…」
「あいつはまた…」

いつも風呂大会でバシャバシャ泳いではコックに怒られていたウソップを思い出し、苦笑する。きっとルフィも泳ぐ側なのだが、何せ彼は能力者。浸かっているだけで精一杯で、びろ〜んと腕を伸ばしてヘロヘロになっている。

「ウソップは悪ィ子だからな」
「え、ウソップくんってわるいこなの?
「あァ。だから泳ぐんだよ。リリアは真似すんじゃねェぞ」
「うん! だって、リリアはいいこなの」

にこ〜って笑ってリリアは再びアヒル遊びに向き合う。
これは、サンジが買ってくれたものだ。大切に使っている様子に、彼は嬉しそうに微笑んでいた。本当に度を超えた優しさと温かさを持っているから、サンジはまだなまえに心底惚れていても、ゾロやリリアに妬いたりしないでこうして他の男との間に生まれた娘に深い愛情を持って接している。ゾロはそこに関しては素直にすごい。と思っているのだ。絶対に口にはしないが。

「リリアはいいこなの〜♪」
「ああ、いい子だな」

いい子でいるとお姫様になれると信じているリリアは、もしかしたらこれからお湯で遊ぶのをやめてくれるかもしれない。淡い期待がゾロの胸で膨らんだ。

「ん…あつ、」
「…リリア、もう出るか」
「うん。リリア、あつあつになっちゃうの」
「はは、茹で蛸になっちまったらコックに料理されちまうな」
「いやなの〜!」

今日のお湯の温度は熱かったのだろうか。リリアの身体はもう真っ赤になっていた。
もう十分ぬくもったし、最後の数を数える前に二人お湯から身体を引き上げた。噴き出た汗をシャワーで流し、お風呂場を後にする。

フランキーが作った扇風機の紐を引っ張り、プロペラを回すと爽やかな風を送ってくれる。リリアは濡れたままそこに駆け寄って、ぺたりと床におすわりをした。

「コラ、リリア。まだ拭いてねェし、汚ねェだろうが」
「だってあついの」
「ああ、わかってる。だが、まずは身体を拭いて服を着ろ。いいな?」
「それしたら、かぜさんにあたってもいい?」
「ああ、いいよ」
「やったあ〜!」

ふわふわなバスタオルを広げているゾロの元へと走りよって、モフッとタオルに顔をうずめた。
大人用のバスタオルにすっぽり身体がおさまるほどの小さな小さなリリア。ゾロはその小さな身体が壊れてしまわないように丁寧に力加減に集中して水分を拭き取っていく。

「パパのかみのけぬれてるね」
「ああ、最後に水浴びたからな」
「おかおにかかってる…」
「リリアじゃねェから平気だよ」
「パパはすごいね〜!」

キラキラと光を吸収して放つ瞳にぐっとなる。何もすごくはないのだが、そんな小さなところに感動してくれる我が娘はなんて可愛いのだろうか。チョッパーのキラキラも実はものすごく嬉しくて夢にまで見る事もあるのだが、実の娘にされると倍胸が喜びを上げてしまう。ああ、愛しい女との間に生まれたガキってのは…本当にいいものだな。ゾロはぎゅっと唇を噛み締めて、それを実感した。

「おら、片足上げろ」
「あ、うさぎさんのぱんつなの」
「ちゃんと覚えててくれてたな」
「うん、うれしいの〜!」
「お気に入りのパンツだ。小便漏らさねェようにしねェとな」
「リリア、がんばる…!」

四歳になったばかりのリリアはその小さな身体と内臓のせいで、どうしても夜中お漏らしをしてしまうことが多々ある。本人の意思ではどうにもできない問題だから怒りはしないが、ゾロは一応そう口にしてぽんぽんと頭を撫でた。

パンツを履かせて、肌着を着せ、ピンク色のパジャマを着せる。くまさんとうさぎさんがプリントされているそれはリリアのお気に入りだ。リリアはお腹を冷やすと下しちゃうから、寝るときはズボンの上から腹巻をさせているのだが、今は流石に暑いだろう。

「よし、いいぞ」
「わあ〜い!」

腹巻は持って帰るとして。着替えを終えたリリアは、ご機嫌に扇風機の下まで走っていく。髪の毛を乾かすのは、まず自分の身体を拭いて着替えてからだ。じっとりと汗ばんできているが、娘優先。我慢して、それを拭き取り衣類に身を包んでいく。

「パパ、うえのおようふくきないの?」
「暑ィからな…今日は着ねェ」
「いいなあ」
「リリアはすぐ腹壊すだろ。代わりに寝るときの扇風機、リリアに向けてやるよ」
「きゃ〜パパはやさしいの〜!」

扇風機の前で濡れた髪の毛をタオルで乾かしてやり、しずくが垂れなくなるまで冷風で乾燥させていく。その間にリリアと他愛のない話をして、二人で笑い合う。そうしていると、こんこんとノック音が脱衣所いっぱいに響き渡った。

「だあれ〜?」
「なまえだな。どうした?」

そのやさしい穏やかな音は、愛おしいなまえが立てるものだ。ゾロはすぐに気配と音で妻を察知して、声を投げた。きいっとドア音を立ててひょこっと顔を覗かせたのは、やっぱりなまえだ。

「よかったわ、二人とも無事だったのね」
「ママ〜
「無事?」
「そうよ。もうお風呂に入って50分近く経っているのよ?」
「……そんな経ってたか?」
「この暑さだもの。倒れているのかと思ったわ」
「おれはそんなヘマしねェしさせねェ」
「ふふ、そうだけど」

ゾロに笑うと、ぎゅうっと脚にしがみついたリリアの頭にそっと柔らかな手を乗せた。

「ママ!」
「リリア〜パパとのお風呂気持ちよかった?」
「すっごくよかったの〜!」
「まあ、よかったわね」
「ママもいっしょにはいればよかったの」
「そうだ。おれも風呂場で思ったよ。なまえ誘えばよかったってな」
「二人ともママが大好きね〜
「ああ? あったりめェだろ」
「リリア、ママだいすきなの! パパもだいすきなの!」

当然にするりと返してくれる二人に、なまえの頬もゆるっととろけてしまう。
こんなにも可愛い愛くるしい娘と、強くてかっこいい旦那がいて。おまけに大好きな大好きな仲間と共に暮らしている。改めてみると、それが本当に本当に幸せで。ついつい涙を流してしまって、たまらなく二人に会いたくなったのだ。50分は事実だが、口実でもあった。

「リリアだいすきよ

なまえはしゃがみ込んで、娘の柔らかな頬にキスを送る。

「きゃふふっ…」
「ん〜いい香り〜! ママの石鹸ね」
「そうなの! えっと、パパ〜なんていうんだっけ」
「ローズ」
「ローズのにおいなの!」
「すごいわね、リリア。ママの石けんを選んでくれたなんて」
「えへへ〜」

たまたまなのだが、リリアはママに撫でられるのが嬉しくて訂正はしなかった。それは、扇風機の前であぐらをかいて二人の様子を見守っているゾロも同じ。

「お部屋、涼しくしているわよ。さあ、パパとリリア。戻りましょう」
「よし。行くか」
「パパ〜だっこして」
「ったく…おら」
「きゃ〜っ!」

勢いよく抱き上げると、リリアは楽しそうな声をもらす。それは、幸せの色となって両親の胸に降りかかった。

「ゾロ、おつかれさま」
「おう。リリアの腹巻、おれのポケットの中に入れてるぞ」
「この暑さだものね。ねえ、リリア〜」
「なあに、ママ」
「ジュースとアイスどっちがいい?」
「わっ、アイスーーっ!!」
「ふふ、じゃあ三人でアイス食べましょう」
「今日は特別だな、リリア」
「とくべちなの〜」
「とくべち…可愛い〜っ」

お前はリリアならなんでも可愛いんだな。と言いたいところだが、それは自分もそうだ。彼女に「あ〜ら、ゾロだってにやけてるわよ」なんてじっとりにんまり返されるのが目に見えている。

「リリア、何味がいい?」
「えっとねえ、えっとねえ、リリアはね、ばにらもちょこもいちごもいいの」
「全部いいんだな、リリアは。一つだけだぞ」
「……うん、」
「そのどちらかをパパとママにわけてくれるかな?」
「あ、うん…! じゃあね、リリアはね、いちごさんにするの!」
「リリアはいちごね。じゃあ、パパにチョコを食べてもらおうかしら
「おい」
「うふふっ、冗談よ」

娘が生まれてこうして一緒に甘味を口にする機会はぐっと増えたが、それでもまだチョコレートは苦手だ。アイスのチョコといってもサンジの手作りは、とっても濃厚でチョコそのものの味が強く、ゾロはどうしても好めないものの一つがそれである。

「パパはちょこれえとがきらいなの」
「あァ。あれだけは克服できねェ。甘すぎんだ」
「リリア、あまいのだいすきだからパパがきらいなものはぜんぶリリアがたべてあげるね〜」
「お、そりゃ助かる。今度、食ってくれよ」
「うん! まかせてなの!」
「うふふ…っ」

肩車をしたまま話合う二人が可愛くって可愛くって。なまえはついつい足を止めて笑ってしまった。彼女の気配と笑い声に気がついた二人は、どうした?ときょとんと目を丸めて振り返る。

「ごめんなさい…あまりにも、幸せで…」
「ママ、しあわせなの〜?」
「ええ、とっても! だって、こんなにも可愛い娘と素敵な旦那様がいるんだもの…本当に幸せよ」

ぎゅうっとゾロの腕に自分の腕を絡めて、ぐっと涙を飲み込む。ゾロはそんななまえの様子に気がついて、ふっと口角を緩めた。

「おれも。これ以上ねェくれェに幸せだ」
「リリアもなの! パパとママといると、おむねがぽかぽかするの〜!」

いつも以上に優しいトーンでこぼすゾロに、またむねが苦しくなってしまう。これは絶対、私を泣かせようとしているわ。わざとだわ。今夜、リリアが寝た後たっぷりたっぷり可愛がってもらわなくっちゃ。
一方、娘はいたいけで無垢で可愛らしい。リリアもーと片手をあげてニコニコしているから、胸に掻き抱きたくなってしまう。

「ラウンジ行ってから戻るか」
「そうね。リリアが眠くなる前に食べちゃわないと」
「リリア、まだねむたくないの」
「そうよ〜? アイス食べないと、リリア!」
「そうなの! リリアは、アイスをたべないとねちゃだめなの!」
「あとおれは酒だな」

そんな些細な幸せな会話を交わし、熱帯夜の芝生を踏みしめながら三人は温もりが灯っているラウンジへと向かっていくのだった。


幸降る白銀




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