貴方のために生きるより 3



病気や手術については、想像だけで書いています。
病気はどんなものかとかは詳細には決めていません。
小児科医と外科医の分担も全くしりません。
実際とは全く異なります。ご注意ください。
また、この小説で気分を害された方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ございません。
あくまでフィクションとしてお読みください。



もうすぐ夏。空はどこまでも高く、真っ青に澄み渡っている。
「あぁ、いい天気だな」
今日は俺の担当患者、粟楠茜の手術の日である。

茜は、1年ほど前に来神総合病院の小児科に入院し始めた。
色々な検査を経て、ようやく手術の日を迎える。
正直、手術はかなり難しい。
病気自体が珍しいのはもちろん、茜はまだ10歳。
長時間の手術に耐えられるだけの体力と気力があるかも大きな問題だ。

茜は俺みたいな医者でも懐いてくれて、いつも「静雄お兄ちゃん、静雄お兄ちゃん」と後ろをついてきてくれる、かわいいやつだ。
病気がつらいのに、一人でずっと頑張ってきたんだ。
なんとかして助けてやりたい。
ぐっと手を握りこむと、最終ミーティングを行うため、会議室へと向かった。


「おはよう、シズちゃん」
「…おう」
会議室をあけると、真っ先に目に入ったのは、犬猿の仲の折原臨也外科部長だった。
今回の手術は難しい。正直、小児科医だけで当たるのは心もとない部分があった。
そこで、外科部長である臨也にも参加してもらうことになったのだ。
それはいい。それはいいのだが。
「てめぇ…なにしてやがる」
「えー、論文書いてる。気づいたら締め切りやばくて」
「んな場合じゃねぇだろうが!これから茜の手術なんだぞ!!」
臨也の前にはノートパソコンが置かれており、せわしなく指を動かしている。
緊張感のある会議室には、カタカタとキーボードが叩かれる音が響いていた。

こいつは…!
こんな時まで論文だと?ふざけるな!!
怒りにまかせてパソコンをぶち壊してやりたかったが、そうしたら確実に臨也の機嫌は悪くなる。
さすがに今日の手術を放棄することはないと思うが、今後同じような状況で協力を得ることはできなくなる。
それはだめだ。それはだめだ。
過去最大級の忍耐力をもって、この怒りを納めるていると、横からパソコンを切る時の独特のメロディが聞こえる。
「なにやってるのシズちゃん。最終ミーティングするんでしょ?」
にやにやした顔で言うこいつのでこに、軽くチョップをお見舞いしてやる。
きゃんきゃん吠える声が聞こえたが、すべて無視した。
このくらいは許されるはずだ。むしろ俺はよく耐えた。



「オペを始める」
茜の長い戦いが始まった。
手術は、技術はもちろん、執刀医の相性、チームワークが思いのほか重要になってくる。
俺と臨也は相性もチームワークも最悪だ。
だがそれは普段の話。
手術での相性は、残念すぎるほどに最高だった。

「シズちゃん、そっち止血お願い」
「おう。臨也、そろそろこっちの摘出に移るぞ」
「これは…実際見るとかなり難しいな。俺が先行するから、シズちゃん補佐して」
「わかった」

手術の技術は外科医である臨也が一番うまい。
何度見ても、実に手際よく、細かな作業も正確にこなしていく。
たとえどんなに気に入らないやつでも、このテクニックは称賛するしかない。
担当医である俺の指示と、臨也の技術で、順調に手術は進んでいった。

しかし、手術に絶対など存在しない。

「…シズちゃん、まずいかも」
「どうした?…ってこれは、おい」

予想外の展開になった。
今回の手術は腫瘍の摘出が最大の目的だ。
かなり難しい場所に腫瘍ができたため、慎重を期さなければならなかった。
場所の特定は、多くの検査、最高峰の化学技術、多くの医者の知識と経験を使って、正確に行った。
行ったと思っていた。
だが。

腫瘍は、予想より深い場所に根をはっていた。
「まずい。こんなに場所がずれていたなんて。これじゃ、手術にさらに時間がかかっちゃうよ」
「…茜に耐えられるか、だな」
「ただでさえ難しい手術が、一層難しくなった。どうする?」
「どうするって、」
「一度、引き返すことも検討したほうがいい」

引き返す?
臨也が真剣な目で告げた言葉を、呑み込むまでには少し時間が必要だった。
今日を乗り越えて、茜を元気にしてやる。
それが俺の最大の目標だったはずだ。
それを、こんな道半ばであきらめるのか?それでいいのか?
しかし、一番大事なのは茜の命だ。
ここで無理をして、万が一があったら取り返しがつかない。
そんなことはあってはならない。万全を期すのが俺たちの役割だ。
だが万全を考えると、すでに手術はかなり進んでいる。
ここで引き返し再手術となると、次はいったいいつになるのか。
その間にも茜の病気はどんどん進行していく。
再手術まで茜が耐えられるのか、正直わからない。
どうしたらいい。どうしたら茜を救ってやれる?

「シズちゃん!」
手術室に臨也の鋭い声が飛んだ。
はっとして上を向くと、厳しい顔をした臨也の顔が目の前に広がった。
久しぶりに上を向いた気がした。
「いざ、や」
「どうする。進むか戻るか、シズちゃんが決めて」
「俺が…」
「担当医はシズちゃんでしょ。それに茜ちゃん言ってたじゃん」

茜のことは、静雄お兄ちゃんが守ってくれるから大丈夫なんだよ。

苦しいはずなのに、笑ってそう告げた茜の声が、頭に鳴り響いた。
細く息を吸い込み、一気に吐き出す。
頭がすっきりした。
「臨也!」
「なに?」
「お前はできるか?お前の技術をつかって摘出、できるのか?」
臨也の目を見ながらそう吐き出すと、厳しい表情とともに細められていた目が、大きく見開かれる。
そして不敵に唇の右側だけがはねあがった。
「誰に言ってるのシズちゃん。俺にできない手術があると思う?」
「…じゃあ、このまま進むぞ」

こうして、俺と臨也の究極の戦いが始まった。



その戦いは、終了までに10時間を要した。
結果を言えば、手術は大成功に終わった。
かなり困難ではあった。予定時間を大幅にオーバーしていたし、茜の体力もぎりぎりだった。
手術室のランプが消えた時、茜はそうとう消耗していたが、なんとか頑張ってくれたのだ。
茜の小さな手を握ると、まだ眠ったままの茜は無意識なのだろう、ぎゅっと握り返された。
温かなその手が、茜が生きていることを証明してくれる。
思わず涙が出そうになったのを、頭を振ることでなんとかこらえた。

小児科医の控室に戻ると、同僚たちが待っていてくれ、この労をねぎらってくれた。
そしてその奥に。
「臨也…」
「やぁシズちゃん、お疲れ様」
小児科部長席にどうどうと腰かけた外科部長様がいらっしゃった。
「世話になったな」
「あれれ〜?どうしたのシズちゃん。そんな素直になっちゃって、やっと俺の凄さに気づいちゃったのかな?」
「…うっせぇな本当に」
手術中は尊敬にも値するやつだが、普段はこんなにもうぜぇ。
大手術の後だと言うのに、なんでこんなにイラつくことばかりするのか、誰か教えてほしいものだ。
しかし、さすがのノミ蟲野郎も、疲労は感じていたらしい。
白衣を脱いで後片付けをしている間に、頭が前後に揺れていた。
「おい、ここで寝るんじゃねぇよ。寝るなら外科に戻りやがれ」
肩を揺さぶっても、臨也は全く反応しない。
うーとかあーだとか、意味のない唸り声をあげているだけだ。

もう諦めてそのままにしておこうと思った時、こいつの寄りかかっている机に、一台のノートパソコンが置いてあることに気付いた。
これは、手術前の会議でこいつが論文を書いていたパソコンじゃないのか…?
そうやら電源は切られておらず、画面には論文らしきものが開いたままになっていた。
…気になる。
人の論文を盗み見るなんて最低だ。
だがこいつの論文はいつもすごく斬新で効果的で、学会でも高い評価を得ているものだ。
実は俺も、毎回必ずチェックしている。
少しだけ見たい。
こいつがどんな新しい技術を見つけて実践して、どうやって命を救うのか。
欲求が倫理観を越えてしまった。

「…これ、は」

そこにあったのは、予想外のものだった。
てっきり論文だと思ったもには、よくよく読むと調査資料やシュミレーションの結果で。
すべて茜の手術の。
しかも、腫瘍の状況がありとあらゆるパターンで想定され、その対応策が詳細に調査されたものだった。
その中には、当然今回のように腫瘍の場所が予想と違っていた場合というのもあって。
「あいつ、こんな、準備してくれたのかよ…」
論文、なんて嘘をついて、ぎりぎりまで調べてくれていた。
茜のためにできることを全てやってくれた。
俺と一緒の手術なんてすげぇ嫌がってたのによ。
たとえそれが患者のためなんかじゃなくて、技術の開発や研究のためだとしても。
それでも俺は。

「勝手に見るなんてサイテーだよ、シズちゃん」
「うわっ!」
船をこいでいた臨也が、急にはっきりした声をだした。
いつの間にか目覚めていたらしい。
寝起きだからなのか、それとも別の理由からか。臨也の頬は赤くなっていた。
「お前、茜のためにこんな…ありがとな」
少しばかり感動してそう告げると、ばたばたとパソコンを片付け慌てたように部屋を出ようとする。
腕をつかんでそれを止めると、気まずそうに唇をかんで睨みつけられた。
「別に、俺もいい経験になったし。仕事だし、それに」
言いにくそうに下を向いた臨也を辛抱強く待つ。
「手術を続けるって決めたのは君だ。もし引き返すってことになれば、俺の調査なんて役にたたなかった」
「これは君が茜ちゃんをちゃんと見ていたからできた判断だ。だから、茜ちゃんを救ったのはシズちゃんだよ」

そこまで言うと、無理やり腕の拘束を解いて走って行った。
ばたばたという音が廊下に響く。
「あー、なんだよそれ」
無理に拘束を解かなくても、もう俺の腕に力なんて入らなかった。
そうやって俺を持ち上げて、お前はどうしたいんだよ。
お前に認められて、俺がどんな気持ちになるかなんて、お前はわかっていないんだろう。
それでも。
「嬉しいもんだよな」


この時の俺は、いや俺と臨也はまだ気づいていなかった。
茜の手術が、大きな波紋を呼ぶことに。







病気も医者のことも全くわからないまま突き進んでしまいました。
皆様を不快にさせていないかだけが心配です…
たとえ犬猿で相手のやり方が気に入らないんでしょうけど、なんだかんだやっぱり意識してるとだと思うんです。
相手のすごさを認めたくないシズイザ。
でも自分が認められると、嬉しいものですよね。