背伸び | ナノ


▼ 17


たとえば、主人公が負けそうになったり、くじけそうになりながらも誰かと戦ったりする話を、誰でも一度は目にしたことがあると思う。

そんなとき彼らは、ヒロインや仲間の応援で復活したり、親友の力を受け継いでパワーアップしたりする。そして、結局は彼らが大勝利をおさめるんだ。

つまり何が言いたいかっていうと、誰かを思うことでいつも以上の力が出ることはよくあることなんだ、ってこと。

それは、ぼくも例外ではないというわけで。


「スイさん!」


ジェラドさんからスイさんの話を聞いたあと、ぼくは自分の部屋に戻らず真っ直ぐに彼女の部屋に行った。

あんだけ長旅をして、心も体もヘトヘトなのに、疲れなんて一瞬で吹っ飛んでしまったんだ。


「スイさん! ぼくです! トビアです! 開けてください!」


大声あげてドアをノックしても、きっとスイさんは出ないかと思ったけど、ぼくの期待を裏切って、ドアは開いてくれた。

そこには、長らく見ていない、すっかり生気を失ってしまったスイさんがいた。


「トビアくん……」


彼女はぼくを見たとたん、ぱっと目を輝かせた。そして、気がつけば思いきり抱き締められていた!


「生きてたの!? よかった、木星軍に捕まったって聞いたから! 私、トビアくんまでいなくなってたら……」

「ちょ、落ち着いてくださいスイさん」


あんまりきつく抱き締めてくるから、苦しい! 大慌てでスイさんを叩くと、「ごめん! 苦しかったね」と手を離してくれた。


「ケガはない? 変なことされなかった? 病気とか、拷問とかされたりしなかった?」

「大丈夫です! ぼくはいたって健康です!」

「でも……」

「あの、とりあえず中に入っていいですか? ここで立ち話するのも……」

「えっ? あっ、そうね。うん。わかった、入って」


スイさんは我に帰ったように、焦ってぼくを招いてくれた。

中はいつもと変わらずきれいなままだ。ベッドだけがさっきまで入っていたのか、少し膨らんでいる。

スイさんはカップをふたつ、机に置いた。


「はい。紅茶だけど、砂糖とかいる?」

「いいえ、ストレートで大丈夫です」

「そう? 私、これにミルクをふたつ入れるのが好きなんだ」


スイさんはミルクをふたつ入れて、カップに口をつけた。ぼくも、紅茶をひとくち飲む。

閉じ籠ってるって言うからもっと闇を抱えてる感じなのかな、って思ってたけど、けっこう大丈夫そうだな。体は随分細くなったように見えるけど。


「ドクターが、私を連れてきたのがトビアくんだったって教えてくれたの。でも、そのあとでトビアくんが行方不明だって言うじゃない?」

「スイさんこそ、ぼくがはこんだときは全然目を覚まさなくって……正直、もう怖くて、たまらなくて……」


あのときのことを思うと、今でも胸が痛い。

スイさんがいなくなる。そう考えた時の絶望感ときたら。

ふいに顔をあげると、スイさんと目があった。なぜだろう。なんだかとても可笑しくて、二人で大笑いしてしまった。

それからぼくは、ゆっくりとスイさんと別れてからのことを話した。

スイさんはぼくの話を真剣に聞きながら、所々で声をあげたり、顔を歪ませたりした。

最後には「本当によく生還できたねえ。私ならX2と戦った時点でぺっしゃんこだ」と言った。……確かに、よく生きて帰ってこれたなあ、ぼく。

ぼくが本当に言いたかったことは、ぼくの話が終わったとたん、向こうから突然仕掛けられた。


「トビアくん、誰かに言われて来たんでしょ? 働かなきゃ追い出すぞって」


今度は、彼女は自虐的に笑った。


「ごめんなさい。人手不足なのはわかってる。悪いのは私なの。でも、でもね、あの人に言われたことが、あの人の顔が、忘れられなくて。ずっと涙が出てきて、やっと止まったって思ったら吐き気がして。部屋から出られないの、どうしても」


スイさんは一呼吸おいて、さらに続けた。


「拒絶されたのよ。彼は自分の信じることをやった。……そこはたまらなく魅力的だったのに。でも、あんなことして、皆を裏切ってまでするなんてっ……!! そんな人を好きになってたんだって思うと悔しくて、悔しくて」


すでにやつれている目が、真っ赤になり始めた。

……ああ、この人はずっと、誰にも言ってないんだ。そりゃあ言えるわけないよな。裏切った人のことを好きだった、なんて。

でも、この人は、それでも好きな人に裏切られてるんだ。

ぼくがあっちにいる間、ずっと、ひとりで抱え込んで。


「スイさん」


ぼくは、そっと彼女の手に、自分の手を重ねた。


「一番辛いときに、一緒にいれなくて、ごめんなさい」


スイさんは小さく首を振った。


「違う、違うんだよトビアくん」

「ショックですよね。悔しさよりも、悲しさのほうがよっぽど勝ってると思います」

「……っ」

「スイさん、聞いてください」


スイさんは何か言いかけたけど、ぼくは無視した。


「ぼく、スイさんのことが好きにです」


スイさんは、大きく目を見開いた。

ゆっくり、冗談でしょ? と、唇が動く。


「本気です。ぼくは、ひとりの男としてあなたのことが好きなんだ」

「トビアくん」

「聞いて」


ぎゅっと、彼女の手を握りしめた。


「気持ちを打ち明けてくれてありがとうございます。でも、この問題はぼくにはどうすることもできない。ザビーネさんのことは、スイさんがきちんと整理をしないといけないんだ」


それは、とてもつらいことだ。ぼくにとってもスイさんにとっても。

でもぼくは絶対にこうしなければならない。だって、それは真実なのだから。

彼女の気持ちの問題は、彼女自信がしなければ、何も解決しない。


「でもぼくは、もうスイさんの悲しんでる姿を見たくありません。スイさんが泣いてると、ぼくも辛いんです」

「トビアくん……」

「こんなときにこんなことを言ってごめんなさい。スイさんを困らせるだけだってわかってるのに。でもぼくは、これだけは伝えたかった」


臆病で、勇気のないぼくは、きっと前のままだったら気持ちを伝えられなかったかもしれない。

こんな風に、真剣に、彼女の目を見ることもできなかったかもしれない。


「つらいことをひとりで背負わないで。ぼくはいつでも、あなたの味方だから」


スイさんは、沢山の感情が入り交じった目でぼくを見ている。

ぼくは、耐えられなくなって目をそらした。


「……目にくまができてます。少し、寝てください」


ぼくは静かにスイさんの手を放し、部屋を出た。そして、ドアを背にずるずると崩れ落ちた。

スイさんの、一瞬時が止まったような、あの表情。

きっとぼくはあの顔を一生忘れないだろう。




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