※攻主


まさか自分が男と関係を持つ事になろうとは、欠片も思わなかった。

おれの部屋、おれのベッドの上。今日替えたばかりだと言うシーツへと転がされ、干したての穏やかな匂いとおれを転がした男の匂いに包まれる。やんわりとおれの手を撫で指を絡めるように手が繋がれた。こちらより少しばかり高い体温が溶けるように伝わるのを感じながら、覆い被さり笑い掛けてくる男の、緩んだ目元を見上げる。

ナマエ、と男の名を口の中で転がして、改めて浮かべた。まさか自分が男と関係を持つ事になろうとは、と。

確かに知識やら認識としては随分と前から知っていた。まぁそう言う形もあるんだろうと別段否定をするつもりもない。
だが元々そっちの気はねぇし、興味も好奇心も沸かなかった。自分がそうなる事はないだろうとも、思っていた。

…だからこそ、だったのかも知れねぇが。


始まりは補給の為に上陸した島の酒場。ベタな話だ。カウンター席の、空席二つ向こうに座っていた男に声を掛けられた。
男をナンパするのかとあしらうつもりで軽く短い言葉を返していれば、気付いた時には普通に酒を飲み交わし、言葉も交わして笑んでも見せていた。回った酒がそうさせたのか、男の空気がそうさせたのか。…いや、恐らくは両方なんだろう。

「お兄さん名前は?」
「…ロー」
「ロー。…この後暇かな。良かったらおれと一緒に寝ない?」

変わらない甘ったるい笑みが少しも欲に淀む事なくそう言ってのけた。
ストレート過ぎる言葉に、いくら男相手だからって雑なんじゃねぇか、と思い呆れながらにやはりこう言う流れになるのかと鬱陶しく感じた。

それでも酒に酔っていた所為もあってか、ここでも男の空気に当てられてか、二つ返事で了承したおれもどうかしてる。

覚束ない足のまま男の肩を借りて連れ込まれた部屋。荷物を担ぎ下ろすかのようにベッドへと転がされ、見た目の割りには強引だとかなんとか思ったのを覚えてる。
待ってて、と耳元に囁かれて曖昧な返事をしつつ言われた言葉のままにシーツの上に寝転がって、ぼんやりと天井を眺めていた。

男とセックスするのか、とどこか他人事のように考える。

この流れだとおれが突っ込まれるんだろうか。心地好く回っている酔いと前日の寝不足が重なって、男が戻って来てからの事を面倒くせぇと思いながらも、引き合わされそうになる目蓋を何度も無理に抉じ開け、じわじわ広がりを増す眠気を堪えた。

お待たせと言う言葉と共に身を抱き起こされて少しだけ世界が揺れる。

「お水飲める?」
「ん…」

何か入れられてるんじゃないかと思う余裕なんてない。それ程に眠たくて仕方がない。口元に当てられた冷たいグラスの感覚に気持ちが良いと目蓋を伏せて冷えた水分を渇いた喉へと数口分ゆっくりと飲み下せば、そっと離されて唇が拭われる。

おれの体に触れている手の平が心地好い。おれの体に触れている体温が、酷く、心地好い。

このままじゃ眠り落ちそうだと、動かすのも億劫な唇でなんとか「ねむい」と声を出す。男の腕の中で何も言わず寝落ちするのが嫌だった。

「うん。だから、一緒に寝ようね」

体を抱えていた腕がおれを再びベッドに降ろし、捲った掛布が掛けられる。直ぐに横たわった男も共にくるまると頭の下へとその腕を伸ばされ、いわゆる腕枕と言うものをされたところで、はて、と男を向いた。

「…ねる、って」
「うん、寝よう?ほら、おやすみ。ロー」

ガキをあやすように腕を叩かれて、髪を梳くように撫でられる。これじゃあまるで寝かしつけられてるみたいじゃねぇか。

「やる、んじゃ…ねぇの」
「したいの?じゃあ今度してあげる。だから今はおやすみ」


何言ってやがる。おれはガキじゃねぇぞ。そんな言葉はいくらでも浮かんだ。だが口は動かなければ目蓋もくっつく寸前で、為す術がない。

浮かんだ言葉が程好い具合の酔いと眠気に溶けて、男の声と体温に溶かされていくのを感じながら、ゆっくりと沈むように眠りへと落ちたのは、男の声を耳にした直ぐ後だった。




自然と持ち上がった目蓋と眼前に広がる見慣れない部屋に、寝起きの悪いおれにしては珍しく一気に覚醒する。夕べの事は覚えている。だが万が一と考えて自身の体の違和感を探りながら服の乱れはないかと掛布を捲った。

「おはよう。もう起きる?」

掛けられた声にぎくりと体の動きを止めて、引きつりながらも隣へ視線を向けてやると、夕べの男が、夕べと変わらない格好でそこに横たわっていた。

知り合った男に酔ったまま部屋へと連れ込まれて一夜をベッドで過ごしたと思うと体の表面が痒くて落ち着かない。良く良く考えてみれば、男はおれの首を狙っているかも知れない、もしかしたらば眠っている間に何かをしたのかも知れないと思考が駆けていく。
確か、と眠る前に飲まされた物があると思い出して軽率に口を付けた事に今更ながらに後悔した。

「…何が目的だ」

途端に警戒して見せるおれが面白かったのか声を上げて笑い、猫みたいだと下らない事を抜かして「何も」と男は口にする。

「強いて言うなら、隈が酷かったから」

思わぬ事を言われて、毒気を抜かれてしまう。呆然と男を見た。
何を言ってるんだ、こいつは。
緩やかに笑んだ目元と口元は真っ直ぐおれに向いていて、何なんだ、と疑問ばかりがおれを埋め尽くす。

伸ばされた腕に咄嗟に体を強張らせてみるが、夕べの微睡みの中で感じた物と変わらない体温が頬へと触れるだけ。親指の腹がくすぐるように目の下をなぞっていく。

「夕べより薄くなってる」

良かった。
言葉と共に細まった目元に無意識に喉が鳴った、気がした。


「…おい。名前、」
「ん?」
「名前、聞いてねぇ」
「ああ。ナマエだよ。宜しく」


思えば名前を聞く前から、男を、ナマエを頭の隅やらで意識し始めていたのかも知れない。
同じ男で、どちらにも女のような華も柔らかさもねぇって言うのに。一体どこに惹かれたのか。声か、体温か、匂いか。海のようだと思ってしまうその雰囲気全てか。それとも甘く笑む表情か、果てのない優しさか。それとも。
思う度にそのどれもだと思ってしまう気の抜けた自分がくすぐったくて仕方がない。

そこから気付けばナマエはおれの船に乗っていて、クルーとも直ぐに打ち解けながら航海を共にして、何もせずに身を寄せるだけの夜を幾度も過ごし、おれが自分自身の抱くむず痒い感覚に付いた浮かれた名を知る頃には「一目惚れしたんだ」とナマエの方から告白をされた。

共に過ごして知った、思いの外ズルい男だと言うところから、恐らくおれが気持ちを向ける事をナマエは分かっていたんだろうと思う。
だがはっきりと「恋人」と呼べる関係になってしまえば、ナマエの優しさも甘さも更に更に増して、更に気付けばそれを手離す事が随分困難になってしまっていた。
本当にズルい男だ。こうなる事も、分かってるんだろう。


「どうしたの?」
問われてはっと我に返る。どうやら考え込んでしまっていたらしい。

「お前の…事を、考えてた」
「おれの?」
「ああ」
「…なんだ、照れるなぁ」

余計に緩んだ表情にむずむずとした言い様のない感覚がまたも体中を駆け巡る。
ナマエの事を、堪らなく愛しいと、思う。


初めは随分と戸惑った。何せ相手もおれも男なんだからな。どうせそんなに長く続かねぇとも思った。
だがナマエは、どうやら本心でその全ての行動を行っているらしい。そして、優しく甘やかす事が大層得意なようだ。
時間を掛けてキスをして、うんと時間を掛けてセックスもした。
長い時間の中でその優しさを思い知らされて、自分が自分じゃないと思ってしまう程にべろべろに甘やかされ、蕩けさせられた。
絆された、とでも言えば良いんだろうか。
女を相手にするようなそれではなく、おれを、おれとして甘やかしてくれる。それがどうしようもなく心地好くて。
それにキスもセックスも気持ちが良い。性行為に関しては比べる物を知らねぇが、丁寧に丁寧に慣らされ解されて、"男"にしか味わえないような最上級の快楽をも与えられ覚えさせられた。


こうして組みしだかれる事にも慣れたなと見慣れた景色に目を向ける。変わらず緩んだままの顔を見つめて居れば、どうした?とでも言うように笑い返されて少しだけ照れた。

「…ロー、キスしても良いかな」
「ん」 

前のおれなら一々聞いてくるなとも言っていたのかも知れないが、ナマエに甘やかされ続けて居るおれはその言葉に素直に唇を差し出して見せる。これが、普通になってしまった。

直ぐに柔らかい唇が合わさって感触を確かめるかのように数回押し付けられる。その間に髪を撫で付けられて、何とも言えない満足感が胸元を満たしていくのを感じた。薄く開いた唇は次いでおれの唇を食み、それから厚い舌がゆっくりと触れて唇を撫で上げ、そろりそろりと遠慮を見せるかのように口内へと侵入を果たされる。

もっと無遠慮に貪れば良いのに。いや、貪って欲しい。今の十分すぎる優しさには大層満足しているが、時にはそう、ナマエが余裕をなくす姿も、見てみたいと思う。切羽詰まっておれを求めて、おれだけを求めて、穏やかな色をした瞳を欲で濁らせる。想像しただけで、堪らない。

ぬるりと入り込んだ舌がおれのを舐め上げるのに合わせて吸い付き柔く歯を立ててやると、頭を撫でていた手に僅かに力が籠る。合わさった口元が僅かばかり緩んだかと思えば逃げるように動き、舌先で歯を伝ってそろりと上顎をなぞる。おれの弱い所だ。背筋が震える。

溢れる唾液を掻き混ぜられつつ改めて舌を浚われ、強く弱く吸い上げられる。ちゅ、ちゅ、と微かだが確かな水音をわざとらしく立てられ、絡め取られていく。

良く知った快楽におれの好きな感覚に体がじわじわと熱くなり、もっと、と舌に吸い付こうとしたところで、小さな音を立てながら濡れた唇が離れてしまった。ぬるつく舌が離れる間際、その間に一瞬だけ糸が引く。些か名残惜しいが、離れてしまっては仕方がない。


「ロー。好きだよ」


キスに手の平に体温に、そして優しく甘い声色に、甘やかされる。言葉も力も呼吸さえも奪われ、何もかもが駄目になる。果てのない優しさに全てを絡め取られて少しずつ沈んで行くのがはっきりと分かった。
まるで、溺れさせられるかのようだ、と。

「ロー」

蕩けた声に呼ばれて、口の中へと唾液が溢れた。吐き出した呼吸が熱い。

「ナマエ…」

つられるように男を呼べば、噛み締めるかのように幸せだなぁと囁かれた。


「おれ、もうお前が居ないと息も出来ないよ」


紡がれていく甘ったるい言葉が気恥ずかしい。おれを閉じ込める体に腕を伸ばしながら、耳元で「ばかやろう」と小さく吹き込んでやる。




そんなのは、おれの台詞だ。ばか。




(海のような男の、深い愛情に溺れて死ぬ)

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