ナマエは表情の乏しい男だ。仲間が盛り上がっていても笑顔を浮かべることは少なく、時折相槌を打つだけだ。それでも部下に慕われ周囲から人が絶えないのは、厳しくも正しく、誰に対しても真剣に向き合う姿勢があってのことだろう。

そんなナマエが仕事をサボっていたおれを揺り起こし「風邪ひくぞ」と眉をひそめて困ったように微笑んで、その瞳に自分だけが写っているのを認識した瞬間。もうおちてしまっていた。

階級の違う、少し話が合うだけの同期。そんな認識しか持っていないだろうナマエに自分の想いがバレたら、きっともう二度と目も合わせて貰えなくなる。そう思って気持ちをひた隠しにしていたクザンは、酔った勢いで零してしまった数年来の想いをナマエがあの日と同じ表情で受け入れてくれた瞬間、自分のタガのはずれる音を聞いた気がした。





一月程前の飲み会でたまたま席が隣り合った。それだけのことで緊張して、勧められるがまま酒を煽り続けた結果、1人でまともに歩くこともできないような状態になった自分にナマエが帰り道に肩を貸してくれて。その温度と全身に巡るアルコールで上手く思考も働かず、気づけば好きだと口走っていた。




すきだ、すきなんだ、おまえのことずっとまえから、ごめん、きらわないで、すき、ごめん




自分でも訳が分からなくなって泣きながら無様に縋った記憶が、朧げだが残っている。それがあまりに哀れで、断るのが忍びなかったのだろう。クザンはナマエがあの日頷いたのはそんな理由だろうと確信していた。

事実付き合い始めて変化したことといっても、食事の時間を共にすることが多少増えた程度だ。恋人らしい行為も言葉もなく、ナマエの自分に対する態度は付き合う前と殆ど変わらない。形だけの付き合いだと感じるたび苦しくてたまらない。それでも、どんな形だろうと手に入れてしまった恋人という立場は、取り消すにはあまりに惜しいものだった。




他意は無いのだと頭では理解している。ただ、中庭でナマエが部下に微笑みかけ、あまつさえ頭をぽんぽんと撫でている現場をたまたま目撃して、励ましか労いに他ならないだろうその行為に、胸の内に黒いものがどろりと広がったのがわかった。最近はいつもこうだ。




(…おれにだって、そんな風に触ってくれたことねえのに…!)




いい歳して嫉妬だなんだくだらないと自分に言い聞かせてみても、苛立ちは一向に収まらない。しかしただでさえ情けで繋ぎとめている相手にそれを伝える勇気など、クザンは持ち合わせていなかった。




* * *




仕事というのは、成して当たり前のものだとおれは考えている。それゆえ普段、部下が自らの不注意で失態を犯した場合、注意はしても励ますことはあまりない。自分でしっかり反省し、考えさせることが重要だからだ。

それなのに目の前にいる落ち込んだ様子の部下に励ましの言葉をかけ微笑んだのは、少し離れた位置にある柱の陰にいる、自らの恋人に気付いたからだった。




(あー、かわいい)




一月程前の、クザンからの告白を思い出す。ボロボロと涙を零してしゃくりあげながら、すき、ごめん、と繰り返す様子は惨めで情けなくて、本当にかわいかった。

本人に自覚はないようだがクザンは存外わかりやすい男で、付き合い始めてからは更に感情がだだ漏れになっている。例えばそう、おれが部下に微笑んだ瞬間に下がった周囲の気温とか。




「…ナマエ大佐…」




気温が下がると同時、部下の顔色が目に見えて悪くなった。その顔にはわかりやすく、勘弁してくれとかかれている。

クザンとおれが付き合い始めたことはおおっぴらに公表してはいないが、隠している訳でもない。しかしクザンの、本人は無自覚だがおれに関してのみわかりやすく発動されるようになった嫉妬とおれがそれを素知らぬ顔で受け入れている事実に、周囲はそれとなく現状を察しているらしい。目の前にいるのも面倒に巻き込まれたくないのだろう、余計な茶々をいれてこない賢明な部下の1人だが、今回は運が悪かったと思ってもらおう。




「すまん」




もう一度微笑んでその頭を撫でると周囲の気温が更にぐっと下がって、部下は真っ青な顔でひぃ、と声を上げた。




軍に入ってからずっと想い続けた相手に泣きながら縋られて、嬉しくないわけがない。それだのにつれない態度を崩さなかったのは、おれの気持ちを知らないクザンのわかりやすいやきもちや葛藤を眺めているのがあまりに楽しくてのことだが、そろそろおれの方も限界だ。




「ナマエ」




部下を解放し、走り去っていくその背中を見送っていると後ろから声がかかる。振り向けば楽しくもないのに無理矢理口端を上げたような、何とも微妙な表情を浮かべたクザンが立っていた。クザン、と名前を呼んでも、気まずそうに目線を下げたままだ。




「…いや、たまたま通りかかったから。何してんのこんなとこで」




無自覚で発動した能力にも気付いていないらしいクザンの誤魔化しのようなウソに、愛しさがこみ上げてくる。ああ、やっぱりもう限界だ。




問いかけには答えないまま一歩近づき頬に手を添えると、は、と零したクザンは目を見開いて固まった。手はそのままに目線を合わせ距離を詰めれば、その顔がぶわりと赤く染まる。




「え、ちょ、なん、ナマエ、」




「クザン、ごめんな」




言うと同時キスをすれば、クザンはギシリと音を立てて固まった。本心を告げずにいたことへの謝罪のつもりだったが、どうやら正しくは伝わらなかったらしい。クザンはおれの手を振り払って後ずさった。




「…な、に」




「今まで、ごめん」




クザンが言葉足らずなおれの謝罪をどんな風に取り違えたかは、手に取るようにわかる。しかし誤解をといてしまえばこういった反応も見納めかと思うと少し惜しい気もして、つい意地悪をしてしまう。

目の前にいるクザンの顔は、みるみるうちに青ざめていく。本当にわかりやすくてかわいい。後で思いっきり甘やかすからと心の中だけで弁明して、おれは困ったように微笑んだ。




* * *




「今まで、ごめん」




そう言って困り顔で笑うナマエに、体の芯がすっと冷えていくのを感じた。だって、ごめんって、それは。

これで、このキスで、全部終わりにしようってことだろう。

当然だとは、思う。まずこんな、同性の、可愛げもない男の告白に頷いてくれたことが奇跡だったのであって、本来ならその場で気持ち悪いと詰られて縁を切られてもおかしくなかった。そうならなかったのはおれがあまりに惨めで、ナマエがあまりに優しかったからで。でも、だけど、こんなのは。




「…あんまりじゃねぇの…」




ナマエの顔を見ていられなくて、視線を落とす。思わず漏れた声は自覚できる程に弱々しかった。視界がじわりと滲むのも、多分気のせいではない。

嫌だと言いたい。また泣いて縋ったら頷いてくれやしないかと、浅ましい考えが浮かぶ自分に反吐がでる。胸が、息が、苦しい。でも、ナマエが悪い。ずっと触って欲しかったのに、触れてくれなかったのに。こんな形でキスするなんて。




「クザン」




ぐるぐると巡る思考に、ナマエがおれを呼ぶ声がするりと入り込む。決定的な言葉を聞きたくなくて動かずにいれば、ナマエの手が肩にそっと添えられた。どうして、今になってこんなに優しく触れるんだろう。

頬を温い涙が伝っていく。嗚咽を我慢するのに必死なおれはやっぱり情けなくて、まるで告白した時に戻ったみたいだ。

涙を指でそっと拭われる。仕方なくゆるゆると顔を上げれば、ナマエは優しく微笑んでいた。




「なん、で、笑ってんの…」




初めて見る表情だった。以前のように困っているわけでもなく、仲間や部下に向けるのとも違う。やわらかくて暖かい、まるで愛しい人でも見つめているような。そんな顔で、なんで、おれを。




「クザン、 」




告げられた言葉と微笑みに、涙はやっぱり止まらなかった。













(あいしてるよ)










そして告げられた真実におれがナマエを凍らせかけるのは、また別の話。

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