その瞳に恋を求め幾星霜。いや、そんなでもないか。
恋と呼ぶにも興味と呼ぶにもどっち付かずの曖昧で温い感情。いや、それすらも大袈裟かも。
とにかく、姉がおれに向ける活火山のような熱量では無い。ただおれは一緒に飯食い行ったりとか任務の帰り一緒に道草食ったりとかしたい。この感情はどう呼ばれるものなのか。よくわかんねェ。

そいつは溌剌としたやつではなく、誰かと楽しそうに会話してるとこなんかは見たことない。初めて会ったときもぼんやりとしていて、クイーンにお前等は歳近いだろと話を振られても目の前で手をヒラヒラされてやっと電池が入った状態になっていた。ずっと見つめられていると思って目を泳がせていたのはおれだけだった。
左右で違う虹彩は、幼い頃に一緒に捕らえられた姉と妹のもので、辱められる前にそいつがその手で殺したとかなんとか。それを幹部の誰かが気に入ったとか。クイーンの実験台で全身改造されてるとか。姉と妹の心臓が移植されているから心臓が三つあって、小さい一つは止まってるとか。時折舌足らずなのは幼い妹の人格が出てるとか。いろいろ噂がある。目以外は、事実無根。
その曇空みてェな海色と燻んだオリーブ色の一対はいつも眼下遠くの水平線を見てる。おれも、映ればいいのに。いや、こっち向けって思ってるだけで別に、好きとかじゃない。


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「チクっとするかラな」
首と肩の間あたりに擬音語を凌駕する鋭い痛みが走り鼻腔から息が漏れた。血液が吸い取られる感覚は薄く、注射器の針が抜かれると儚い痛みはすぐに消え去った。
横目で後方を見上げるとサイズが大きい白衣の袖を折って短くしている中に白のシャツ、太めの黒サスペンダーで黒のサルエルっぽい変形のカーゴパンツを吊ってて、んでやっぱブーツが新しい。こないだ廊下の先で見かけた時の見間違いじゃなかった。もっと服の話とかもしたい。こんな時には、まずいか?じゃあ、いつだ。
「もういいぞ、邪魔だ縮め」
人型でもかなり抜いたのに獣型からもかなり抜かれた。背中の突起に爪を引っ掛けてたのを離して飛び降りてきた。やっぱ新しいマーチン履いてる。首を持ち上げながら人型に戻る。ここの天井低すぎねェ?
「痛いとこ刺したのによく我慢したな」
「おい」
ナマエが使い捨ての白いマスクを顎に下げて、薄く開いた唇の間から尖った歯が見えた。なんかイイよな。ギザギザの歯。おれも自分の気に入ってる。
「オマエが何食ったか覚えてりゃ刺さなくて済んだ」
「覚えてらんねェよ」
遠征から帰港中の船内で姉貴が倒れて、飛び六胞の一大事とあって医療班が総出でスタンバイしてて直ぐに姉貴とおれは隔離された。ちなみに船内ではずっと手を握って応援させられ子守唄まで歌わされそうになり、入港したらしたで担架無視のお姫様抱っこでおれが船から医療班処置室まで運ぶハメになった。運んでやったおれもおれだ。
絶対に離さないだろうおれの手を離した後の姉貴は、本当に自力で動けない状態だったらしい。容態を聞きつけたクイーンが古代種にしか感染しない新種のウイルスかと嬉々として飛んできてイラついた。しかもあのデカブツ幾つか質問するとなんだ食中毒じゃねェかと一蹴して囚人採掘場へとんぼ返りした。おれがイラついてると、一番早く正確に判断出来る奴を呼んでおいた、と平然と言った。ナマエが新種のウイルスかもと吹き込んでアレに見に来させたようだった。確かに腹は立ったが、正直安心した。
それで一緒に行動していたおれはピンピンしてるもんだから、食ったもの全部書けと言われた結果採血に至った。毒物食ってるのか、避けたのか、拮抗物質食ってるのか。そんなの覚えてねェよ。
「おれは覚えてる、まぁデカいオマエはめちゃくちゃ食うしナ」
食ってるとこ見せたことあったっけ。自分は覚えてないことを覚えられていると恥ずかしい。なんとなく首の刺された気がする箇所を掌で摩る。獣型だと特に腹が減るんだ。
「頭でっかちめ」
「よく言われる」

ふと視線を落とすと、見慣れない六色の色で構成された立方体がナマエのデスクに置いてあった。正確にはナマエが物置すぎて一部がそいつ専用になっちまった医療班共用の書き物デスク。
「なんだこれ」
「パズル、ここが回る、そレぞれの面の色を揃える、ドレークのお土産」
「ふーん」
俺がつまんだ立方体をちょいと指差してから、抱えてたバインダーをデスクに置き何か書き付けながら、なんだっけ名前、ルー、なんとかキューブ、と独り言みたいに呟いてる。瞬きの回数が多い。寝てなさそうだな。そう考えながら横目に見てるとまたナマエの意識は何処か遠くへ行ってしまったようだ。この雰囲気は、寝落ちまでいくかな。
ぼんやりしてることが多いけど、感情が欠落してるとかじゃない。よく見ればちゃんと表情あるし、遠征で出てた奴らに外海の見慣れないものをもらうと殊更嬉しそうにするし。食べ物でも読めない本でも萎れた葉っぱ一枚でも。おれと姉貴が持ってきた中だと、フルーツパフェがたぶんランキング一位。クリームがどうにも維持出来ず、これだけレシピで持ち込んでおれが無限に泡立てさせられた。姉貴は横で見ていた。なのでほぼおれの手柄だ。果物とかサクサクしたやつとかを縦に積んでいっただけの代物。だが、この島じゃ食えないだろう。喜んでた。甘いものは結構好きっぽい。ただ普段は達観してるっつーか、表情にあまり出ないだけっつーか。それが、ちょっと可愛いけど。


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医療班を選んだのは、外海へ連れて行ってもらえる確率が高いから。
誰かの命を助けたいとかいった、崇高な精神はこの魂には育たなかった。きっと土壌が悪いんだろう。血の繋がったものの命ふたつと健常な瞳をふたつも奪って生きさらばえて、正善を指示する心は自前の目と共に死んだ。どっちみち盲いる寸前だった。
興味のない本を読み終わるたび、育ててもらった恩も期待も背中から落としてしまって外へ出たいという思いばかりが静かに積もった。カイドウさんは強いのに、こんなところに留まってずっと何をしているんだろう。おれには難しくてよくわからないな。段々と理解できなくなってきたのかも。
「ナマエー、っと、ページワン様もこちらで」
誰かの呼び声に意識が考え事から戻ってくる。ページワンが横のソファに脚を上げて座り、キューブの一面だけを白に揃えていた。おれを呼びに来た医療班の面子に一瞥をやってまた手元に視線を戻した。チャコールグレーの薄手の手袋の指間で立方体が上下左右をくるくると回されて、捻っては戻しされている。デスクから立ち上がって幾つか班内の確認事項を聞いて頭に入れて戻ってくると、二面めが揃いそうだった。
「オマエら姉弟はすぐ呼ぶくせに雑に扱うから、一番嫌われてる」
ちょっと気にしてる気がしたから敢えて言うと、グレーの指先が止まった。眉のない左目だけと目が合った。
「どっち最下位、おれと姉貴」
お、聞きたいか。
「オマエだ」
「クソ聞くんじゃなかった」
「可愛いからナ、姉のほうは」
「可愛くないだろ」
「そうだな」
「あ?」
「あはは、オマエも大概だ」

多分、荷物は何も持っていけない。貰った本も土産も友達も、思い出しか持っていけない。大層な能力もいただいたせいで、この命ひとつも持って出られるかわからない。この奸悪な巨大海賊団が崩壊しない限り。そんな日がもし来るなら、早くしてくれ。
今度は別の真打ちに呼ばれ、行って戻ってくるとページワンはもうソファにいなかった。立方体のパズルもなかった。久々に姉のいない自由時間だ。ここに留まる理由もない。もう19時近いから晩飯にでも行ったのだろう。なんだよ、何も言わずにいなくなったら寂しいだろ。
おれが何も言わずにいなくなったら、寂しがってくれるか。


//


都まで降りてこの間狂死郎が言っていた今流行りだという寿司を一人でゆっくり食ってきた。姉貴がいるとこうはいかない。シンプルな料理なのに暫く経つと違うもん巻いたり乗せたりするのが流行る不思議な料理だ。辛いもん好きだけど山葵は苦手。ナマエは、もう食ったかな。晩飯どうするか聞けばよかったか。いや眠そうだったし。いっつも正解わかんねェ。姉貴はそういうの迷わなそうなのに、なんでおれは。

屋敷へ帰ってくると、屋敷内でも人通りの少ない変な廊下でドレークとすれ違った。
「おい」
すれ違ってから思い出して呼び止めるとかなり驚いたようで、厳つい顔が引き攣っていてちょっと面白かった。なんか後ろめたい事でもあんのか?ポケットに入れていた立方体のパズルの名前を聞くと、なんでお前がこれをと質問を質問で返してきた。大人はこれだから嫌だ。何でもかんでも把握したがる。
「借りてる」
誰からとも言わずにそう答えるとおれが物を返すつもりでいる事が意外だったのか眉を動かした。この四角いのはルービックキューブというらしい。
「解けるのか?」
会話終わったと思ったら話しかけられて、今度はこっちが構えた。たぶん、と返事するとおれはダメだった、すごいな、と顎に手をやって感心された。おれだってまだ完成してないし、たぶん最初の方からやり直す。でも出来ると思う。六色のモザイクの立方体を見てるとまだ話しかけられた。
「仲がいいんだな」
名前こそ出なかったが、おれのほうがナマエと仲がいいって認められたみたいで悪い気はしなかった。
「ヒヒヒ、どうだかな、教えねェ」

最初に一面を揃えるのはあってるはずだ。手元の立方体を捻りながら廊下の真ん中を歩いてくとおれを避けていくザコに医療班が多くなってきた。途中処置室の中を窺うと姉貴はまだ眠って回復してる最中のようだった。一度目を覚まして安定はしているらしい。よかった。ナマエのデスクがある部屋の扉を足で開けると、予想通りこっちも寝ていた。ソファの背を倒してベッドみたいにして、何もかけずに仰向けに倒れて動いてない。処置中のマスクしたまま、白衣も着たまま。背中ついたら秒で落ちたスタイルだ。
「あ」
わかったかも。かちかちと頭の中で立方体が回って、完成すると確信して最後の方は現実が追い抜いた。入り口で立ち止まったまま完成させた。人差し指と親指で立方体を摘んで目線の高さに持ってくる。全ての面が揃ってる。やった。ナマエが起きたら驚くぞ。
足早に近づくと、ソファの手前に落ちてたバインダーと書類を踏んだ。

思い切り突っ込んだからベッドが少しズレた。なんとか顔面は回避したが腹は完全に膝で踏んだと思った。向こうが片足上げて回避してくれて助かった。
「ンア、何、なんだページワンか」
「悪いごめんすまん」
意識が遅れて覚醒した声に被せるように溜息と一緒に一気に言って、項垂れつつ顔の横にもう片方も肘ついた。脇腹にはラプトルの鋭い爪の獣脚が蹴り飛ばす寸前で止められていて、下げられた。完全に寝込み襲った体勢だ。そりゃあ反射で足も出るだろう。
「転ンだのか、どけ」
「うるせェ」
カッコ悪。オマエの見聞色が麻痺ってンのそのうち検査しねーとな、と前にも言われてる。
「ん」
どけって言ったくせに、短めのタイの剣先を白い指が挟んでる。強い力じゃない。でも、おれを動けなくするには十分な力だ。タイを掴んだ自分の指を見ていた双眸が何秒も何秒もかけて見上げてきて、おれの両目を射抜いた。ナマエが肘をついて軽く上体を起こすのがスローモーションに見える。彼方の水平線へ焦がれるブルーグレーとオリーブの瞳の奥に自分が初めて映りこんだと感じたのと同時に、それをするには、マスクが邪魔だと思った。
咄嗟に目を瞑ってしまう。でも鼻とか口とかじゃない。顎だった。
二枚のマスク越しにはっきりと、肉食恐竜の尖った歯が顎の骨を噛んできたのがわかった。離れていく白いマスクの下で大きく開かれていただろう口が閉じられて、お互いに目元しか見えない中で、ナマエの二色の瞳が細くなる。ネクタイはまだ離されてない。いつマスク下ろす?もう今だろこれ。齧られたんだぞ。やり返せ。いけページワン。
「オマエは嫌かもしれないが」
「嫌、じゃな」
「あとでササキにお礼言っとけヨ」
「ハァ?」
白黒バイカラーのマスクを指で顎に下げると、皮膚の表面にピリッと感じて顔を右へ向ける。覇気同士の打つかり合い。
入り口のドアの隙間から、楽しくて仕方なさそうなササキに口を塞がれ装甲部隊に手足を取り押さえられている、点滴のチューブを引き摺った実姉が見えた。か弱く素敵で可愛いはずの姉の周囲で荒ぶる感情が空気を裂きバリバリと音を立て始めてる。今にも獣化するだろう。
「あと30秒はいけるぞ、早くヤれ」
「っ、し、にも、私にも、しろォッ!!お姉ちゃんにもォ!!」
扉枠から、限界を迎えた扉が断末魔を響かせて此方へ倒れた。顔を覆った。
「しねェよ……最悪だ」


//


ページワンが医務室の壁諸共に何部屋か向こうへ吹き飛ばされていって、ササキが笑いながら手を貸してくれるまで動けなかった。素直に起こしてもらうとデコまで赤いぞと言われ手を離して再び後ろに倒れた。左手の側に落ちてるルービックキューブが完成していた。
「おいおいおい本当に事故だったか?もっと早くリリースしてやりゃよかったな」
うるティがササキの巨体を投げ飛ばす数秒前。しないのか?とタイを離して挑発すると、ページワンは火照った頬を隠すようにマスクを引き上げるのを途中で止め、声に出さずに「あとで」と言ったのだ。

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