男が男を好きだなんて、どこかおかしいんじゃないか。
そんな風に言われたのは、もうずっと昔のことだ。
生まれ育った島を離れて、あちこちを回ってみても結局おれの目をひくのは男ばかりだ。
今だってそうだった。
「また変なもんくってんのかよい」
「マルコ」
ひょいとやってきてはおれのつまみに手を伸ばしてくる奴が、今日もおれの傍へとやってきた。
時刻は真夜中。見上げた月は残念ながら薄雲を被った朧月。
夜が明ける頃には島につくと聞いたので、楽しみになって甲板へ出てきた。
あちこちで似たように酒盛りをする連中がいて、それらから少し離れたところに座っていたおれの傍に、マルコがどすりと腰を落ち着ける。
何を食っているんだと聞かれたので、ふたを開けたままの缶詰を傾けて見せた。
「アルム蛇の卵の塩漬け」
「…………また、わけのわからねェもんを食ってるねい」
呆れたようなそんな声を零しつつ、マルコの手がこちらへと伸ばされた。
止める間もなく缶詰の中身をつまみ上げ、ぽいとそれを口へ放り込み、マルコの舌が濡れた指を舐める。
そのまま、サイズはうずらの卵ほどの大きさのそれを噛み締めたのか、ぴたりと動きを止めた相手が盛大に顔を顰めた。
ぱっと片手がその口元を覆う。
「かなりからいから気を付けろよ」
「……はやく言え……」
塩漬けならしょっぱいのが相場だと思うのだが、強烈なからみを放つ卵だったのだ。
片手で口を覆って唸るマルコに人のもんを勝手につまむからだと笑って、おれは持ってきていた酒瓶のうちの片方を差し出した。
封も切っていなかったそれを見やり、マルコの手がすぐに瓶を受け取る。
度数の低いそれを水のように口へと注ぎ、ごくごくと飲み込んで口の中身を流したらしいマルコが、瓶の半分を減らしたところでようやく手をおろした。
「っあ〜……口に火ィでも突っ込んだかと思ったよい」
きつかったのか少し顔まで赤くしながら舌を出して、それから唇の端を舐めるようにしてひっこめたマルコに、おれは肩を竦めた。
缶詰の中身に手を入れて、摘まみ上げた卵を口に運ぶ。
そのままぽいと口へ放り込み、マルコと同じように噛み締めると、強烈なからみが口の中に広がった。
唐辛子を炒って齧っても、ここまでのからさは出ないだろう。何度か咀嚼すると、からみに隠れた苦みがじわりと喉の奥へ届き、鳥の卵にはないくさみが鼻腔へ抜ける。
じんじんと舌が痛むほどのからさを噛み締め、それから飲み込むと、喉の奥までじりじりと熱い。
「からいなァ」
「顔が変わってねェんだよい」
本当にそう思ってるのか、とじとりと睨んで言われ、おれは少しばかり首を傾げた。
手元の酒を呷ってからみを流したが、ひりりとした痛みは消えない。
先ほどから味わうからさを舐めとるように舌を動かしてから、缶詰をひょいと持ち上げた。
小さな缶詰だったから、中身はもうそろそろ半分ほど無くなっている。
「あといくつか買っておくんだったな」
「本気かよい……」
信じられねェと言葉を寄こされ、見やれば胡坐を組みなおしたマルコの手が、自分の口元を軽く撫でているところだった。
「唇までひりひりしてんだが」
「前歯で噛んだのか」
「驚いて出しかけたんだよい」
言いつつ、自分の唇が腫れている気がするのか、マルコの舌が自分の唇を舐めた。
厚めの唇の隙間から現れた舌先が、猫の気を引く道具のようにちらちらと動く。
誘われるようにそれをじっと見ていたら、気付いたらしいマルコの視線がこちらを向いた。
「なんだよい」
「いや……舐めたら、口の中に残っていた成分が塗られて余計痛くなるんじゃねェか?」
「……」
寄こされた視線に誤魔化すような言葉を返すと、マルコの眉間の皺が深くなった。
そんなことは早く言えと言いながら、まだ覗いていた舌が引っ込む。
残念だとそれを見送って、おれは手元の缶詰を揺らした。
灼熱の味を持つ卵が、ころりと缶の底で揺れる。
おれは好きな味だが、万人受けしないことは分かり切った品だ。
おれのつまみは大体そんな極端なもので、新入りはともかく、それを知っている家族達はおれが食べているものに手を出さないのが常だった。
極端な味を好きな家族は他にもいるが、おれはどの方向に突き抜けていても構わないので、趣味が合わないらしい。
けれども、好奇心が強いのか、マルコはおれを見かけると毎回寄ってきて、おれが食べているものをつまむ。
大体は最初の一口で終わるが、それからも酒がなくなるまでは隣に座っていることが殆どだ。
だからおれも、マルコがおれを見かけやすい場所で、酒を飲むことにしている。
何故ならそうすれば、マルコが寄ってくるからだ。
「そういや聞いたかよい、明日の島」
「あァ、秋島なんだってな。うまい食い物があるといいなァ」
「そうだねい、ナマエだけじゃなくておれ達にも食えるもんがあればいいが」
「失礼な野郎だな」
これだって食えただろうと缶詰を差し出すと、もういらないという意思表示かマルコの手が酒瓶を握り直して口へと当てがった。
中身を少し飲み、熱をはらむ舌を冷やすように口を離しながら瓶を舐める。
その様子を見やり、やっぱりもう少し缶詰を買っておくんだった、とおれは少しばかりの後悔をした。
同じつまみでも、別の日だったら『今度は平気だ』なんておかしな理屈をこねて、マルコは手を出してくるからだ。
本人はまるで気にしていないし、きっと他の『家族』が見ても気にならないだろうが、無防備に舌を出して唇や瓶を舐めるマルコは、随分とおれの目の保養になる。
何せおれは、傍らの誰かさんに惚れているのだ。
「島についたらあちこち回りたいなァ」
「楽しそうだな。海賊に慣れちゃいねェ島だから、お行儀よく過ごせよい」
「ガキ扱いかよ。マルコは?」
「おれァ、最初の一日は船番だ」
「可哀想に。お土産買ってやろうな」
「ガキ扱いするんじゃねェよい」
優しさを見せたつもりが唸られて、軽く笑って酒瓶を傾ける。
こちらを睨みつけたマルコがぐいと缶詰を押しやったので、おれは大人しくつまみを自分の傍へ置いた。
※
「ナマエっていつもマルコの方見てるよなァ」
そう言えば、という言葉の後ろに寄こされた爆弾発言に、呷った酒が変なところへ入った。
思わずごほごほとせき込んで、それから酒でぬれた口元を拭う。
どういう意味だと睨めば、久しぶりにコックコートを脱いだサッチが、しかしいつもと同じくばっちり決めた髪のままで肩を竦めた。
たどり着いた秋島は、実りの秋を迎えていた。
なんともおあつらえ向きな季節に喜んで、あちこちで家族達が食料品を買い込んでいる。
おれも同じようにあちこちを回っていて、夕方頃になったので酒場へと足を延ばしたのだ。
酒を飲んでいたら同じ店を選んだらしいサッチがやってきて、おれの横で酒を飲み始めた。
あれこれと酒の席で話をしていたうえでの酷い発言に、とりあえずどうにか咳を落ち着かせる。
「あんだけ見てて、気付かれないと思う方が不思議だぜ」
「……そんなに見てねェだろ」
寄こされた言葉に、何を言ってるんだ、という気持ちを込めて言い返した。
しかしサッチは、まさか無自覚ってこたァねェだろ、と呆れたような声まで出す。
確かによくマルコはおれの視界に入るが、意識して探した覚えは無い。
近くに寄ってきたときは思わず見つめてしまうがそんなもの、近くに寄ってきた奴が悪い。
おれの無言の回答を受け取って、サッチの口がため息を零した。
「マジかよ、無意識か」
「だから、そんなに見てねェって」
「何人か捕まえて聞いてみるか? みんな頷くと思うけどよ」
そんな風に言ってきょろりと周囲を見回したサッチに、おいやめろ、と思わず声を出してしまった。
しかし気にせず周囲を見やり、しかしそこに家族を見つけられなかったらしいサッチが、運ばれてきた酒入りのグラスを掴む。
舌を焼く酒をちらりと舐める相手に肩を竦めて、おれはサッチから目を逸らした。
テーブルに置かれた皿には、いくつかつまみが並んでいる。
どれもうまいが、昨夜の缶詰のようなものはメニューには載っていなかった。残念だ。
そんなことを考えて、昨晩マルコと共に飲んだことを思い出し、グラスの中身を飲み干す。
昨晩よりも強い酒が喉から落ちて、じわりと胃を温めた。
「相変わらず、ナマエの好みはわかんねェなァ」
横からしみじみそんな風に言われて、グラスを下ろしてため息を零した。
よく言われる言葉だ。
けれども人間には好みがあるし、おれが好きなものをみんなが好きである必要はない。
むしろマルコに関しては、慕う人間の方が多いので、おれと同じ目を向ける兄弟分まで増えてはおれが気に食わない。
「分かってくれなくて結構だ」
だからこそのおれの言葉に、何故だかサッチが笑い声を零す。
何故笑われたのかを考えて、自分の言葉が失言だったことに気が付いた。おれがいつでもマルコばかりを見ているなんていう言いがかりを、まるで肯定したかのようだ。
なんと言って弁解したらいいものかと考えたところで、隣に座った相手の手がグラスを置き、代わりに皿の上の料理をつまんだ。
「まァ、あれだな。好きなんだろ」
あんまりとあっさりそう言われたので、おれは眉間の皺を深くした。
家族であり同じ男であるマルコを『好きなんだろう』と言われて、果たして今ここで頷いて良いのか。
けれどもおれの迷いをよそに、おれは別に構わねェんだが、となんとも懐の深いことを言ったサッチが、軽く指を揺らす。
「マルコだって気付いてるだろうによ、手ェ出したりしねェのか、ナマエ」
「……いや、マルコは気付いてないだろ」
横から言われて、おれは答えた。
そもそもそんなにマルコを見ていた覚えは無いし、いつだって見つめられていると思ったら、さすがのマルコも気持ち悪いに決まっている。
いくら海の上での話とは言え、おれもマルコも男だ。同じ船長を親にした兄弟分で、家族としてのつながりを持っている。
そんな相手から向けられる感情が親愛でないと気付いてしまったら、それはもう困るに違いない。
「そこまでニブいかァ?」
「ニブいな。とてもニブい」
だというのにわざわざ自分から横に寄ってくるような奴だ。おれの心に気付いているとは到底思えない。
言葉を重ねて肯定したおれに、そうか? とサッチが首を横に傾ける。
それを横目にとりあえずつまみと酒の追加を注文したおれは、やってきたものを対価に横の男を口止めすることにした。
※
島特有だという見知らぬ酒を随分口にして、おれが酒場を出たのはまだ夜が始まったばかりのことだった。
強い酒ばかりを引き当てたせいか、このままでは潰れてしまうと判断したが為の賢い逃亡だ。
サッチはまだまだ飲む予定らしい。他にも何人か家族がやってきて宴のように盛り上がってきたから、こっそりとその傍から抜けてきた。
「……ふー……」
吹き抜ける風が、酔いで火照った体にちょうど良い。
港町を過る夜風からは潮の匂いがした。
嗅ぎ慣れたそれをたどるように、鼻歌を零しながらふわふわと揺れる大地を踏んで歩く。
酒場はこれから稼ぎ時だが、あちこちの店は閉まっている。
「ん〜……もっと早く出るんだったなァ」
そんな風に呟きつつ、いくつかの店を見やった。
いつもだったらもっと酒場にいるこの時間、おれが店を抜け出してきたのは、船で居残る連中への土産を買っていなかったからだ。
酒の席ではあったが、マルコには『土産を買ってくる』とも言った。
食い物が良いだろうと思って、帰りしなに買っていくつもりだったのだが、どうもこの島は酒場以外の店じまいが早い時刻に行われる習慣らしい。
「肉か、魚か……あ〜……」
どうにも酒で鈍る頭を動かし、酔っ払いらしく歩きながら、ふうと熱を逃がすように息を零す。
肉か魚料理ならどこかで買えそうだが、せっかくだしもっと変わったものの方がいい。そう考えながら視線を巡らせた先で、おれはぴょんぴょんと飛び跳ねる小柄な人影を見つけた。
上へあげた雨戸を引き下ろしたいようだが、手が届いていない。
上下に飛び跳ねる人影は、どうやら女のようだ。動くたび揺れる髪は、おれの知っている色をしている。
「……よォーう、嬢ちゃん、大丈夫かァ?」
気付けばおれの足はそちらへ誘われたように移動しており、伸ばした手で雨戸の一つを掴んで引き下ろしてやりながら声を掛けると、驚いた小動物さながらに飛びのいた人影が、慌てたようにこちらを見た。
夜闇でも分かる少し日に焼けた金髪に、怯えの目立つ顔をした女が、身を守るように両手を前に出している。年の頃は、おれよりもいくらか下だろうか。胸がでかい。
「あ、あの、あの……」
「まァ、まァ。届かねェんだろ。これでいいかァ?」
酔いの混じる口が間延びした声を出すのを感じながら、中途半端に引き下ろしていた雨戸を完全に閉じる。
三枚に分かれた雨戸はどれも入り口を覆い隠すためのもののようで、格子状に区切られたそれからまだ明かりのついている店内がわずかに見えた。品揃えからして、どうやら菓子屋のようだ。
すん、と吸い込んだ空気に甘い香りが混じっていて、土産にいいかもな、とひらめいたおれの手が、もう一枚の雨戸も引き下ろす。
「え、ええっと……」
「なァ嬢ちゃん、店閉めちまう前に、ちっと中見てもいいか?」
「え!?」
慌てたように声を出され、何かと思えばさらに怯えた顔をした女が、売上金は片付けました、と口にした。
酷い言いように少し笑って、物取りじゃねェよ、と言葉を落とす。
見た目からどう見ても海賊のおれを警戒するのは、まあ仕方のないことだ。
「船に戻るんだが、家族に土産を買ってくって約束をしててよォ。みんな早寝だな、あらかた閉まっちまってるじゃねェか」
「きょ、今日は海賊が来てるから早めの店じまいをって回覧板が……あっ」
ぽろりと言葉を落とし、そして慌てて両手で口を閉ざした女に、おれは目を丸くした。
それから、なるほど、と一人で納得する。
ひょっとしたらこの店だって、いつもは雨戸を閉めていないのかもしれない。それにしたって、自分の背丈を考えて行動すべきだとは思うが。
「そいつァ悪かったなァ。売り上げに響くだろうに」
白ひげ海賊団は、ただの民間人からは基本的に奪わない。
抵抗も出来ないような弱いものを虐げて、ただただ奪いつくすというのは、親父が嫌う行為の一つだ。
小さなこの島へ寄ったのは物資の補給とログの回収が目的で、あと数日もすれば島を出ていく。
その間だけのこととは言え、島民にはどうにも迷惑をかけてしまうらしい。
とりあえず、せめて今日はこの店の売り上げに貢献することにしよう。
ごそりとポケットを探り、折りたたんだままの紙幣を引き抜く。
片手に金を持ったままで空いていた戸口からそのまま店内へ入ると、あの、と慌てたように声が寄越された。
気にせず侵入した店先で、きょろりと周囲を見回す。
こんな時間に戸締りをしているという割に、店内は甘ったるく、子供が好みそうな食べ物であふれていた。
書かれている値段を見て、手元の紙幣から適当に数枚抜く。
「ん〜……わかんねェや。嬢ちゃん、この金額分、何か適当に包んでくれ」
「え、えっと……は、はい……!」
抜いたベリー紙幣をそのまま追いかけてきた相手へ差し出すと、困った顔をしながらも紙幣を受け取った女は、そのままそっとおれの傍を通り抜けた。
がさがさと袋を取り出して、食べられない食べ物はありますか、と問いが来る。
「誰かが食えなきゃ別の誰かが食うからなァ。大丈夫、大丈夫」
「あ、たくさんいますもんね……じゃ、じゃあ、このベリーパイとかは……」
「パイ?」
言われて視線を向ければ、カウンターの傍にショーケースが置かれていた。
中には確かに女の言うパイが入っている。切られていて、一部が欠けている様子からして、バラで売られているんだろう。いくつもあるが、日持ちはしそうにない。
「あァ、じゃあ、それは全部」
「はい!」
明日に回せそうにないそれを指さすと、何やら女が嬉しそうな声を出した。どうやら、ベリーパイは全部売ってしまいたかったらしい。
せっせと詰めだした女から視線を外して、おれは改めて店内を眺めた。
天井まであれこれと物が置かれた店内には、様々なにおいがしている。
駄菓子特有の甘い匂いが一番強く、食ったことのない食べ物も多かった。
子供が手を出しやすい額の値札が付いたものを眺めていき、たどるように店の奥まで足を進めたところで、ふと一つの菓子に目が行く。
炭のように真っ黒で小さいそれが瓶の中に詰められていて、その瓶がいくつも並んでいる。
明らかに売れ残っているものだ。
「嬢ちゃん嬢ちゃん、こりゃァ飴か?」
なんとなく目をひかれたそれを手に取って振り向くと、意気揚々と駄菓子を詰める作業に入っていたらしい女店主が、おれの問いに答えるべく顔を上げる。
そしてそれから、あ、と声を漏らして、なんだかすごく困った顔をした。
「飴ですけど、あの……すごく人気が無くて」
「人気がない?」
「珍しいものだと聞いて入荷したんですが、お……おいしくなくて……」
最初のひと瓶ですらなかなか無くならず、今はまるで売れていない商品だと、店主が言う。
へえ、と思わず声を漏らして、おれは小さなその瓶を持ったまま女の方へと近寄った。
「じゃあ、これも一つな」
「え!!?」
思わずと言った風に声を出した女に瓶を渡すと、片手でそれを受け取った女が慌てた様子でおれと瓶を見比べた。
「私の話聞いてましたか? 本当にまず……おいしくないんですよ!?」
「まァ、試してみるのも悪かねェだろ」
「だ、だったらバラで売りますから! ひと瓶なんてそんな、そんな……!」
「どうしても無理なもんだったら、兄弟たちの口に一つずつ突っ込んで終わらせるって」
おれ達が大所帯なのは知っているだろうと、安心させるように微笑みを浮かべたのに、何故だか女がひきつった悲鳴を零す。
「そんなたくさんの人にまずいものを食べさせたら、うちの店じゃ慰謝料払えません……!」
「……」
どうやら、この店主は白ひげ海賊団を誤解しているようだと、おれはようやく理解した。
※
「うめェ……」
少しは酔いの醒めてきた足で帰路を辿りながら、おれはころりと口の中の物を転がした。
ひし形のそれが舌の上を滑り、わずかな刺激臭と共に塩からさと苦さと甘みを混ぜて一つも減らさなかったような味が口に広がる。
確かにこれは、万人受けはしない味だろう。
噛んでみればばりばりと砕け、ざらつく欠片たちをまた舌で撫でる。
染み出た唾液と共に飲み込んでしまい、そのことに眉を寄せて次を口に入れようとしたおれは、片手に持っていた紙包みの中が空なのに気が付いた。
「……ぜェんぶ食っちまった」
何度覗き込んでも何もないそれをぐしゃりと握りしめ、仕方なくごみをポケットへ片付ける。
泣きそうな顔で嫌がる店主の女に、仕方なくバラ売りを頼んで買い込んだのだが、やはりひと瓶買うべきだった。
小脇に抱えた土産の品を持ち直し、明日も行くか、なんてことを考えたところで、港と大きな船が現れた。
歌いだしそうな鯨の船首が月光に照らされ、美しい白が光に生える。
見上げるとそのうえでひらりと青い炎が舞っていて、マルコはどうやら甲板にいたらしい、とおれは知った。
見張りでもしていたのかと見上げた先で、炎がゆるゆると回り、そしてこちらへと落ちてくる。
「なんだ、帰ってきたのかよい」
ばさりと炎をまき散らすように羽ばたいて、言葉を寄こしながらおれの目の前へ振ってきたのは、体の半分を火の鳥に変えたままのマルコだった。
「土産買ってくるって言っただろォ?」
酷い台詞におれが答えると、そういやそんなことも言ってたな、と相槌が寄越される。
すん、とマルコの鼻が何かを確かめるように動き、酒くせェと顔まで顰められた。
「どんだけ飲んできたんだ。住民に迷惑かけちゃいねェだろうな」
「盛り上がってる連中はいたが、暴れちゃいなかったぜ。おれァ人助けもしてきた!」
「何してきたんだよい」
「店じまいの手伝い!」
「迷惑かけてるじゃねェか」
海賊に慣れてない島だと言っただろうと言いながら、マルコの足が軽くおれの足を蹴る。
攻撃を受けたせいで体が傾き、たたらを踏んで持ち直した。
「こんだけ酔ってる酔っ払いになんてことすんだ、マルコ」
「自覚してんなら、もうちっと加減して飲めよい」
表情は変わらねえのに顔真っ赤じゃねェか、とこちらを見やって唸られて、誤魔化すようにへらりと笑った。
おれのそれを見やり、何やら舌打ちを零したマルコがため息まで落とす。
それを見ながら紙袋を持ち直すと、おれの仕草に気付いたマルコの両腕が、改めて炎に包まれた。
ばさりと羽ばたき、それから浮かび上がった相手の両足に、がしりと両肩を掴まれる。
そのままさらに羽ばたかれ、おれの足が大地を離れた。
本来なら縄梯子を使って上る距離を、ほんの数秒で移動する。相変わらず、なんとも便利な能力だ。
「おおー…………いでっ」
「ちゃんと着地しろよい」
感嘆の声を零していたら甲板の上で放され、盛大にしりもちをついて悲鳴を上げると、酔っ払いに無茶を言いながらマルコも降りてきた。
甲板の上には何人かの家族がいて、おかえり、とこちらへ挨拶を寄こす。
甲板の上に座り込む格好のまま、ただいまとそちらへ返事をして、おれは持っていた紙袋を掲げた。
「土産、お前らの分も買ってきたぞォ」
「げっ ナマエの土産かよ」
どこからともなく酷い台詞が聞こえてくる。
「大丈夫だ、安心しろ、店の人間に選ばせた」
そちらへ向けて胸を張って言いながら、おれは紙袋をすぐそばのマルコへ差し出した。
まずはお前からなと言葉を向けると、マルコの両手が紙袋を受け取る。
そしてそのまま袋の中身を検めて、怪訝そうな顔で首を傾げた。
「確かに……まともなもんに見えるよい」
「失礼な野郎だな!」
抗議の声を上げると、笑ったマルコが紙袋の中からひょいと一つを取り出してから口を丁寧に閉じ、紙袋をそのまま近くの家族へ向けて投げた。
「パイが入ってっから、丁重に扱えよい」
「じゃあまずは投げるなよ」
理不尽なことをやる相手にやれやれとそれにため息を零したおれの横に、どかりとマルコが座り込んだ。
その手が持っているのは、店主の女が一番上に入れると言っていたベリーパイだ。ふわりと甘酸っぱい匂いがこちらまで届く。
一口分噛みついたマルコが、おや、と眉を動かした。
「うめェよい」
「なァんでそんなに意外そうなんだよ」
「ナマエの土産だってのに」
言葉は明らかにふざけて寄こされたもので、にやりと笑みまで向けられてしまった。
口の端にパイのソースを付けてそんな顔されても、ただ可愛いだけだ。
ため息を零しつつ伸ばした手でマルコの口元をぐいと擦ると、ソースが口を汚していると気付いたらしいマルコが少しばかり身を引く。
しかしすでにおれの手にはベリーパイのソースが付いており、手を引き寄せたおれは、指についたそれをぺろりと舐めた。
「……あめェ……ような気がする」
「…………酔って味までわかんなくなってんのかよい」
少しばかりあっけにとられたようにこちらを見やって、それから仕方なさそうに声を零したマルコが、さらにもう一口、二口とパイを噛む。
また口の端にソースがついたが、それをぬぐい取ったのは唇から出てきたマルコの舌先だった。
月明かりとあちこちに置いたカンテラで照らされた甲板はそれなりに明るく、ちらりと見えた舌の柔らかそうな色味まできちんとわかる。
ソースを舐めとった舌が引っ込んでいった先の唇も合わせて柔らかそうに見えて、触って確かめたい気分になったおれが手を伸ばそうとしたところで、ちょうどパイを半分ほど食い終えたマルコの視線がこちらを向いた。
「新しい島ァ、どうだったんだよい? 朝から出かけてたじゃねェか」
情報収集をするためか、そんな風に尋ねられて、うーん、と声を漏らしたおれは、今日一日歩いた街並みを思い浮かべた。
ふんわりぼやけた脳裏にはっきりとした記憶が浮かばないが、しかし嫌な目には遭った覚えがない。
「なかなかよかったなァ。飯もいろいろあったし」
「ナマエの食えるもんもみつかったかい」
半分になっているパイをさらに半分にしたマルコの言葉に、別に好き嫌いはねェよ、と笑う。
おれは基本、なんだって食べる。
むしろ、マルコや他の家族達の方が、食べないものが多いだろう。
そう言って見やった先ではマルコが早々にベリーパイを平らげたところで、指についたソースまで舐めていた。
土産を買ってきたことは何度もあるが、こんなに早く食べ終わられたのは初めてかもしれない。
そんなに気に入ったのかと眺めてから、そういえば、と思い出す。
「そのパイ買った店の店主な、女なんだけどよォ」
「なんだよい、急に」
「海賊に慣れてねェ島だとしても、『そりゃねェだろ』ってくらい怯えられちまったなァと」
小動物か何かかと言うほどびくびくしていた女店主を思い浮かべて、やれやれと肩を竦めた。
おれのすぐそばに座っているマルコを思い出させるような髪色なのに、まるで度胸のない奴だった。しかし、民間人のしかも女となれば、大体あんなものだろうか。
おれの横で、へェ、と声を漏らしたマルコが、軽く頭を傾ける。
「まァ、ナマエは顔が怖ェから仕方ねェ」
「ひでェ言いよう」
「事実だよい」
「さらにひでェ!」
またもニヤニヤ笑いながら寄こされたふざけた台詞に、おれは非難の声を上げた。
しかしこちらの顔も笑っているに違いないので、マルコの方には気にした様子もない。
そのまましばらく話をして、おれ達が甲板を引き上げたのは、酔っ払い連中がふらふらとおぼつかない足取りで帰ってきた頃のことだった。
※
あれこれと酒を飲んだせいか、翌朝の二日酔いはそれは酷いものだった。
記憶はあるが、その分自分が随分酔っていたという事実も分かって苦しい。
しかし少なくとも、酔いに任せてマルコに触りまくったりしなくてよかった、と思うべきだろう。急に口や舌に触ってしまうなんてことがあったら、なんと言い訳したものかまるで浮かばない。
「う、うう……」
水や薬を飲み、死んだ顔をしてのたうちまわり、どうにか回復したおれが島へ繰り出したのは、もはや夜と呼ぶにふさわしい時間だった。
船にはマルコの姿もない。恐らく酒場にでも行っているのだ。腹も減ったことだし、おれも参加しよう。
そう考えながら、しかしおれが足を向けたのは、昨晩訪れたあの駄菓子屋だった。
今日は昨日よりもまだ少し早いからか、店じまいの準備は行われておらず、おれの手が昨日と同じく扉を押しやる。
「よう嬢ちゃん、また買いに来たぜ」
「い! いら、いらっしゃいませ、ナマエさん……」
ひょいと手をあげて挨拶を投げると、店の奥で昨日と同じ顔が返事をした。昨日名乗って帰ったおれの名前を、しっかり覚えてくれていたようだ。
しかし、昨日とまるで違う格好をしている相手に、おや、とおれは目を瞬かせる。
片手に箒を持ち、頭に鍋を乗せて、でかい胸を押しつぶすようにして鉄板を胴体に括り付けている店主の女は、昨日と同じくわずかに怯えた顔をしていた。
片手の箒だけなら掃除でもしていたのかと思うところだが、他の格好は誰がどう見ても、幼稚な武装だ。
「なんでそんな恰好してんだ?」
「お! お礼参り対策です……!」
「しねェって」
何を警戒してるんだと呆れ交じりに笑って、すたすたと近寄って頭に乗っていた鍋兜を持ち上げる。
マルコとよく似た色味の髪がわずかに揺れて、これでもう少し堂々としていて瞼が厚けりゃなァ、と女の顔を見下ろして思った。
いや、出来ればもっと筋肉質な方がいいし、胸はもっと平らでいいし、身長も足りないし、足は惜しげもなく晒してほしい。どうせなら胸に大きく誇りを刺して、それを見せびらかして歩くような堂々とした姿がいい。
そこまで考えたところで、脳裏に浮かんでいた姿が丸ごとマルコに変わっていたのに気付き、ふ、とため息を零した。
おれのそれに女店主が震え上がったが、気にせず鍋をカウンターへ置き直す。
「嬢ちゃん、昨日の飴なんだけどな」
「は……はい……」
「やっぱりひと瓶買いてェんだが」
「…………え?」
いいか、と尋ねた先で、何故だか女店主が目を瞬かせた。
それから、何やら顔に焦りが滲んだのを見て、おや、とこちらも目を瞬かせる。
そのまま視線を動かしたおれが見やったのは、昨日あの飴が置かれていた場所だった。
「ん?」
しかし、そこにあったはずの飴が、忽然と姿を消している。
そこにあったという形跡すら残していないそれに驚いて、それから店主の方を見やると、いやあの、と声を漏らした女が目を逸らした。
「在庫含めて倉庫に片付けちゃってて、その……」
まさか買いに来ると思わなくて、と言葉を続けられて、なるほど、と把握する。
どうやら、本気でこのお嬢ちゃんは『お礼参り』を警戒したらしい。もしかしたら『当店とは無関係』で押し通すつもりだったのかもしれない。
それだけまずいと自信のある品を店頭に並べていたのはどうかと思うが、置かれていなかったらおれは出会えなかったわけだから、なんとも複雑な心境だ。
明らかに残念だという気持ちを顔に浮かべてしまったのか、こちらを見た店主が、あの、と声を漏らした。
「た、食べたんですよね?」
「ん? あァ」
「ナマエさんがですか……?」
「そうそう、気に入っちまったんだよ。倉庫から出してくれねェか?」
「気に……?」
伺うように寄こされた言葉に答えると、店主は何やら怪訝そうな顔をした。
小さな手で強く箒を握りしめて、その、と小さく声が漏れる。
「ナマエさんって、変わってるって言われませんか?」
「客にそれはどうなんだ、嬢ちゃん」
「ご、ごめんなさい!」
思わずと言った風に寄こされた言葉に呆れて返すと、慌てたように謝罪が寄越された。
まるでこっちがいじめてるかのような反応だが、おれは決していじめたりしていないと、声を大きくして言いたい。
※
「ナマエ?」
「ん? お、マルコ。お帰り」
モビーディック号の一室、よく人の集まる大部屋の端の席に座っていたら、ひょいと現れた相手に声を掛けられた。
昨日とは逆に、今度は相手が酔っているらしい。しかし、昨日のおれほどじゃない。
顔の赤みのわりにしっかりとした足取りで近寄ってくる相手を見やると、不思議そうに首を傾げたマルコが、普段よりさらに眠たげになった視線をこちらへ向けながらおれの向かいの椅子へ腰を下ろす。
「島にはおりねェのかよい」
「そう、ちっと明日の昼に予定が入っちまってなァ」
別に一杯ひっかけるだけならいいかと思いもしたのだが、今朝二日酔いで苦しみ、結局出かけられたのが夜になってからだったことを考えると、控えた方が良いかもしれない。
そう考えて船に戻ったのだが、あいにくと食事のための食材を買うことを忘れていた。
今日も買い込んだ土産品の一部は、本日のおれの夕食である。
「年齢には勝てねェな。昔だったらぴんぴんしてたのによ」
「何言ってんだよい、じじいじゃあるまいし」
やれやれとため息を零したおれの向かいで呆れたような声を出し、それからマルコの手がこちらへと伸びる。
触れたのはおれがテーブルへ広げてあった菓子の一つで、安物のチョコレートがまといついた小さなドーナツを口へ運んでから、その目がちらりとこちらを見た。
「……ナマエ、おかしくなっちまったのかよい」
「いや、ひでェ言われようだな、昨日から」
「食えるもんばっかり食ってるからだよい。しかもこれ、昨日と同じ店のもんだろい」
同じのが紙袋に入っていたのを見たと告げて、マルコの舌が指についたチョコレートを軽く舐めた。
ついでに少し厚みのある唇まで擦って消えていった舌先が、珍しいこともあるもんだと言葉を紡ぐ。
「いつもなら、続けて同じ店には行かねェじゃねェか」
「ついでだったから今日も店じまい手伝ってきたぜ。どうも、海賊が来るからって時間を早めてんだとよ」
今日は踏み台を用意していた女店主を思い浮かべて、おれはそう答えた。
今日は別に酒が入っていたわけでもないが、明日サービスをしてくれるというから、今日の手伝いはその礼だった。
なんと、店主はあの飴をすべて売ってくれると言ったのだ。
在庫を確認して箱に詰めて寄こすというから、明日の昼に受け取りに行くと約束してある。
礼を言って、ついでに残っていたものから駄菓子を選んで買ってきて、店じまいまで手伝い、おれは明日の楽しみに備えている真っ最中なのである。
あのベリーパイは今日に限って売り切れていたので、明日あったらそれも買っておこうかと思う。冷蔵庫にでも突っ込んでおけば、マルコに食べさせることだって出来るだろう。
「なるほど、そいつァ悪いことしたねい。あと数日、辛抱してもらうしかねェが……」
いくつかの店が早い時間から閉まっていたところを見たのか、納得したように声を漏らしたマルコは少しばかり眉を寄せて、それからこちらをじっと見た。
なんだと思って見返せば、酔いが回っているらしいマルコが、また駄菓子に手を伸ばした。
先ほどとは違うものを掴まえて口へ運びながら、それにしても、と声が漏れる。
「昨日言ってた女、気に入ったのかよい」
「ん?」
「……同じ店に二日も通ってんだ。気に入ったに決まってるか」
何故だか言い聞かせるような声音が落ちて、おれは首を傾げた。
一番最初はあの金髪に目をひかれたが、しかし別に、あの女店主を気に入った覚えはない。
何故なら、誰がどう見てもか弱い民間人である彼女は、決してマルコにはならないからだ。
「小さい動物みてェだなとは思うけどな」
びくびくして騒がしい様子を思い出して言い放ったおれに、へェ、とマルコが声を零す。
その手がまた動き、おれの前から駄菓子を奪って、広げてあったものの半分ほどはマルコの口に吸い込まれていった。
※
真昼から駄菓子屋に足を運ぶ海賊と言うのもどうなのか。
店の前まで来てからふとそんなことに思い至ったが、気にせず扉を開くことにする。
「よう、嬢ちゃん」
「い! いらっしゃいませ、ナマエさん……!」
相変わらずの挨拶が寄越されたが、今日の女店主は武装していなかった。
信頼されたようでうれしい限りだとそちらを見やって目を細めたら、何故かびくりと震えられてしまった。おれはそんなに怖い顔をしているだろうか。
「こ、こちら! ご用意しました!」
振り切るように声を振り絞り、言い放った店主の手が大きな箱を持ち上げる。
細い腕がふるりと震え、それからカウンターにどかりと置かれた木箱の中には緩衝材のおが屑と、それから瓶が入っていた。
あの飴が入った瓶だが、その数は店頭に置かれていたものの倍ほどあるように見える。
「……これ、全部か?」
「はい! どうぞ、お収めください!」
近寄り、箱の中を見下ろしながら尋ねたおれの方へ少しばかり木箱を押して、店主が言う。
緊張した面持ちを見やり、おれは少しばかり目の前の相手が心配になってしまった。
「あのな嬢ちゃん、おれが言うのもなんだが、もうちっと考えて仕入れるようにしような」
木箱の中の瓶は、どうにも大勢の人間にあの飴を売りつけるつもりだったのではないかと思わせる数だった。
おれは好きな味だが、自分が少数派であることは知っている。何より本人も不人気商品だということを認めていたのだから、仕入れてからずっと、減らない在庫を抱えていたということだ。
おれからの忠告に、分かってます、と答えた女店主が眉を下げる。
「これ入荷したあと、すごく後悔しました……」
珍しい飴だとは聞いていたけどこんな味なんて知らなくて、と続いた言葉に、なるほど卸業者が悪かったのか、とおれは一つ頷いた。
経験を積んだからには、もうこう言う品を掴まされることもなくなるだろう。おれとしては残念だが、店の安泰のためには必要な能力だ。
「まァ、おれにとっちゃありがたい量だけどな」
「そうですか……?」
「おう。じゃ、全部買うとして……そこのベリーパイも一台足したら、大体いくらになるんだ?」
ちらりとショーケースに鎮座するパイを見やり、木箱に触れながら尋ねると、彼女は木箱の中身の値段を口にした。
おれが自分でなんとなく想像していたよりも安い金額だ。ひょっとしたら、割引もしているのかもしれない。
ポケットから取り出した紙幣を捲り、それを相手へ差し出す。
「はい、確かに」
小さな手で受けとり、数を数えた女店主が釣銭を用意しようとしている様子を見やりながら、おれは木箱の横に置かれていたふたを手に取った。
木箱の上からふたをして、閉じられないか確認する。
おれの仕草に気付いた店主がこちらへ釣銭を渡して、そのまま素早く細めの縄を取り出し、くるくると木箱を巻いて閉じてしまった。
縄を結んで両手の自由を取り戻した店主は、次はおれが頼んだ丸いベリーパイを薄い箱へと詰めていく。
「手際いいなァ」
「え、そうですか?」
木箱の上で丁寧に固く結ばれた縄を褒めると、女店主の顔がぱっと輝いた。
木箱へパイの箱を重ねながら嬉しそうに口元まで緩ませた相手に、なんだか微笑ましい気持ちになる。
心のままに動いた手が相手の頭まで伸びかけたところで、おれの真後ろにあった扉が開いた。
「あ、いらっしゃいませ! ……え、ええ、っと……」
元気よく挨拶を投げながら、おれの体をよけるように体を逸らして入店客を見やった女店主が、何故だかみるみるうちに元気を失っていく。
またも顔に緊張を走らせた相手を見て首を傾げたおれは、そのままくるりと自分も入店客の方を見やった。
「あれ? マルコ?」
「……よう、奇遇だねい」
そこに立っていて、おれの言葉へ返事を寄こしたのは、誰がどう見てもマルコだった。
首裏に手を当てて、何故だか少し微妙な顔をしている。
女店主の方へ伸ばしていた手をおろし、どうしたんだと首を傾げたおれの方へとやってきたマルコは、そのままきょろりと店内を見回した。
「昨日の菓子はここの店のかよい」
「ん? あァ」
寄こされた言葉に頷くと、へえ、と声を漏らしたマルコの視線がおれの前に佇む店主の方へと向けられる。
昨日の酒が残っているのか、目つきがいつもより鋭いせいで可哀想な店主がびくりと震えたのが視界に入った。
「なんだ、昨日の菓子で気に入ったもんがあったか?」
そんな風に尋ねつつ、昨日買って帰った商品を思い出す。
昨日も金額分を適当に見繕ってもらっただけだったが、店主の方は覚えているだろうから、同じものを買いたいなら用意できるだろう。
そんなおれの考えをよそに、いや、と声を漏らしたマルコの視線が、小さなショーケースへ向けられる。
そこにはベリーパイがいくつか並んでおり、こいつを買いに来た、という言葉と共にマルコの指がショーケースを指さした。
「あ、おれも買ったぜ」
寄こされた言葉に、木箱の上にある一台入りの箱を示す。
おれの言葉にちらりとこちらを見てから、マルコは軽く肩を竦めた。
「オヤジに食わせてェんだよい。たりねえ」
「オヤジに……なるほど」
大男であるおれ達の船長には、確かに足りない量だろう。
納得してしまったおれをよそに、全部包んでくれ、とマルコが店主へ声を掛ける。
「買い占めるのはよくねェんじゃねェか? うまかったんだろ、他にも買いに来る奴いるだろうし」
「あ、大丈夫です! 追加で焼くので!」
注文を受けて箱を広げ始めながら、店主がそんな風に言葉を寄こした。
言われてようやく、そこに並ぶベリーパイが彼女の手作りなんだと気がついて、目を丸くする。
「嬢ちゃん……やるなァ……」
「そ、そうですか?」
マルコが親父に食べさせたいと思うほど気に入るものを作り出した魔法の手の持ち主へ言うと、またも彼女が嬉しそうに笑った。
そうやって笑うと、やっぱり小さな子供のようだ。
微笑ましいそれに軽く目を細めたところで、何か視線が突き刺さったのを感じる。
「ん?」
たどるように傍らを見ると、マルコがこちらから目を逸らしたところだった。
働く店主を眺める目つきは、やっぱり二日酔いで気分が悪いんだなと思わせる鋭さをしている。
昨日はそんなに酔っていなかったように見えたのだが、マルコには島の酒が合わないのかもしれない。
「マルコ、気分が悪いのか?」
「胸は悪ィが、どうってこたァねェよい」
「ここ食い物の店だってのにお前」
吐いたら片付けてやるが、一般人にまで迷惑をかけてしまうだろう。それは、マルコにとっても不本意に違いないことだ。
まずそうなら外へ連れ出してやらなくては、とマルコの方を見やっていたおれは気付かなかったが、おれ達の会話が聞こえていたらしい店主は迅速にパイを詰めあげたらしく、ほんの数分で会計が終わった。
「そんじゃ、帰るかねい。ナマエはどうするんだよい」
「おれも戻る。大荷物だしな」
重ねられたパイ入りの箱を抱えなおしたマルコの問いに答えると、軽く頷いたマルコが先に店を出た。
両手でパイの乗った木箱を持ち上げ、しっかりとした重さを支えながら、ちらりとカウンターの方を見やる。
「じゃあな、嬢ちゃん」
「はい! ……あ、あの」
元気よく返事をして、それから恐る恐ると口を開いたのが聞こえたので、進みかけた足を止めた。
どうしたんだと見やれば、カウンターの内側にいる店主が、こちらへ向けて言葉を紡ぐ。
「さ……さっきの方、なんだか怒ってませんでしたか……?」
私が何かしたなら謝っていたと伝えてほしいと、必死な顔で頼まれて、分かったと請け負う。
決してそんなはずはないのだが、二日酔いと言うのは何とも恐ろしいものだ。
※
店を出ると、少しだけ離れたところでマルコが佇んでいた。
待っていてくれたらしい相手へ近寄ると、木箱の中でガチャリと揺れた瓶の音が聞こえたのか、マルコの視線がこちらを向く。
「それにしても、随分な荷物だねい」
「在庫全部引き取ったからな」
「在庫?」
「すげェ飴があるんだ」
マルコの方へ近寄りながら答えると、マルコがぱちりと目を瞬かせた。
それから首を傾げて、すげェってのは、とその口が音を紡ぐ。
「いつものやつかい」
「初めて食った飴だったけどな」
「そうじゃねェ」
「分かってるって、そうそう、『いつも』の」
茶化そうと思ったら眉を寄せられたので、あっさりと答えを口にした。
木箱の上にはパイまで乗っているし、しっかりと縄で結ばれているので見せてやることは不可能だ。
船に戻ったら開けるよと告げたおれに、こちらを確かめるように見つめた後、それはいらねェ、と呟いたマルコが歩き出す。
「それじゃあ何か、何度も通ってたのは、その飴とやらを買い占める交渉でもしてたのかよい」
「いや、結果として買い占めたけどな、昨日はひと瓶買うつもりだったんだよ」
最初に買った分は帰りながら食っちまったからと答えると、歩きながら食ってんじゃねェと唸られた。
確かにそれはそうなのだが、食べたいと思った時が食べ退きだ。大体、海賊に行儀の良し悪しもないだろう。
「だけど買えなかったから頼み込んだら、あの飴を食ってくれるんならって在庫全部出してきてたってとこだ」
「ナマエが気に入ったってことァ、そりゃもう随分な味なんだろうねい」
そりゃあ在庫も残るだろうと頷かれて、酷い言い草だなとわずかに笑う。
「どんな味がするんだよい」
「そうだなァ……しょっぱくて、にがくて、甘いような」
「地獄じゃねェか」
よくそんなもんをそれだけ仕入れたなと呟いたマルコが視線を寄こしたので、おかげでこれだけ買い占められた、と木箱を揺らした。
その拍子に上のパイ入りの箱が位置をずらして、落ちかけたそれに慌てて両手を動かす。
「おっと、と」
「何してんだ」
呆れた声を漏らしつつ、マルコがおれの木箱の上からひょいとパイ入りの箱を取り上げる。
それをそのまま自分が持っていた箱の山の上にのせてしまい、見送ったおれは改めて、木箱を引き寄せた。
「悪ィな」
「いや、落としちまったら形が崩れてもったいねェからねい」
味は変わらないだろうが、見た目も食べ物の重要な要素だ。
そう言いたげに言葉を紡いだマルコに、そうだなァと相槌を打つ。
そう言えば、一昨日は結局一切れも食べていなかった。ソースを舐めた覚えは確かにあるのだが、そこについては深く考えないようにする。
好きな男と近い距離でなんでもなく過ごすことのコツは、自分がやらかした時のことを一緒にいる時に出来るだけ思い出さないでいることだ。
「おれが買った分はマルコが一人占めしてもいいぜ」
「なんだ、みんなへの土産じゃねェのかい」
「みんなの分はお前が買っただろ?」
「こりゃあオヤジの分だ」
きっぱりとした発言に、はは、と軽く笑い声を零した。
しかしきっと親父は、酒でもないものは他に分けてしまうことだろう。得る宝をなんでもすべて一人占めしてしまうような男だったなら、おれ達だって慕わないし、あの隠れ村だって存在しない。
「サッチにも食わせて、同じ物を作れるか試させてェところだねい」
「あァ、そりゃあいいなァ」
そうしたら親父に合わせた大きさのものも焼けるかもな、なんて言いつつ見やったマルコの横顔は、普段と殆ど変わらなかった。
青ざめていたり、調子が悪そうにも見えないその顔を見やって、なァ、と声を掛ける。
「二日酔いはもう大丈夫か?」
「なんだって?」
「さっき、すげェ目付きになってただろ」
酒できついんじゃねェか、と尋ねつつ横に並んで歩くと、マルコは少しばかり怪訝そうな顔をした。
それから、何かを思い返すようにわずかに視線が彷徨い、そしてなぜだか顔が逸らされる。
「別に、どうってことねェよい」
「ん? そうか?」
「あァ……そんな目付きしてたんなら、さっきの姉ちゃんには悪ィことしたねい」
臆病だって言ってたろうと続いた言葉に、そうなんだよな、とおれは答える。
「昨日なんて武装してたぜ」
「へェ、海賊相手にまた気の強ェこった」
「それがお前、頭の兜は鍋でな……」
「ままごとかよい」
そんな風に話をしながら、おれ達はそのままモビーディック号へと帰って行った。
※
数日が経ち、おれ達白ひげ海賊団は、無事に島を後にした。
食料品や日用品も買い込み、船首のくじらも腹が満たされて満足げに見える。
次は冬島だと噂を聞いたので準備もしていかなくてはならないが、ともあれ無事の出航を祝った宴が甲板で行われた。
飲めや歌えや踊れや食えの騒ぎはいつもと変わらず、夜中を過ぎればだんだんと落ち着いてくる。
真上に広がる空は雲を取り払った星空で、輝く月も随分と明るい。
それを浴び、甲板の端に座って酒を舐めていたおれは、ちらりと側を見やった。
「おーい、起きろォ」
言葉と共につんとつついてみても、酔っ払いは目を覚まさない。
中身が少しだけ残っている酒瓶を小脇に抱え、仰向けになって伸びているのはマルコだ。
いつもならそんな風に寝てしまうほど飲まない筈だというのに、秋島の酒がよほどうまかったらしい。明日はきっと酷い二日酔いに悩まされるだろう。
酔いの回った体をすぐ後ろの大樽へもたれかからせつつ、おれは転がるマルコを見下ろした。
ここは甲板の端で、おれ達の周りに他の家族はいない。
親父はまだ酒を飲んでいて、その周りでは家族が何人も潰れている。マルコもあの一段に加わっていた筈が、ふらりとこちらまで近寄ってきたのだ。
『何隠れてんだよい』
『いいじゃねェか』
大樽の裏にいたおれを見下ろして笑い、それからすぐそばに座り込んだ。
そしておれの本日の相棒となっている飴を舐めて、すごい顔をしてから酒を流し込んでいた。
その後少し話をしていた筈が、気付けばこの有様だ。
酒のせいで顔が赤らみ、暑かったのか服がはだけていて、鍛えられた腹の横の筋肉どころか、入れ墨の端と肌の境までちらりと見える。
目の毒ってこういうのに言うんだなとまじまじと見つめてから考えて、おれはかける物を周りから探した。
しかし、残念ながらモビーディック号の甲板に、毛布やタオルケットと言った分かりやすいものは転がっていない。
大皿ならいくつもあるが、皿を腹に乗せても意味がないだろう。
仕方なく、重ねて着ていた上着を一枚脱ぐ。
広げたそれをマルコの上にかけてやったら、ぺらりと裾がめくれてしまった。
仕方なく体を傾け、手を伸ばして、めくれたところを直してやる。
満足のいく出来栄えになったところで体を起こしかけたおれは、たどるように見下ろした先にあったマルコの顔をさかさまに見つめた。
酔いに負けて目を閉じ、そのまま眠ってしまったマルコの顔は、とても無防備だ。
半開きの唇からわずかに舌先が覗いていて、猫の子供みたいだった。
幼いとは口が裂けても言えない男相手に『可愛い』なんて印象を持つのは、おれがマルコを好きだからか。
今更過ぎる考えにわずかに笑ってしまい、そしてそれから跳ね返った自分の呼気に、おれはいつの間にか自分がマルコに顔を近付けていたことに気付いた。
あともう少し体を傾がせれば、マルコの唇に触れることが出来る。
甲板にいる連中はほとんどが潰れていて、そうでなくてもここは大樽の影だ。誰にも見えないし、酔って眠っているマルコだって、きっと気付かない。
酔っ払いらしく何でもできるような気持ちになり、あともう少しの距離を詰めようとしたおれを止めたのは、遠くでガシャンと響いたガラスの割れる音だった。
家族の声もする。誰かが瓶を落としたのかもしれない。
「……馬鹿か」
は、と小さく息を吐いて、おれは改めてマルコの顔を見下ろす。
こうも無防備に横で寝てくれるのは、それだけおれがマルコに信頼されている証だ。
船に乗った頃から一緒で、いろんな馬鹿をやったし色んな話をした。
マルコにとってのおれは、信頼できる家族なのだ。
それをこんな形で裏切って、良いわけがあるか。
「立派な乳でもありゃあ懐柔できるかもしれねェがなァ」
女になりたかったなんてわけはないが、馬鹿な考えを振り払うように首を軽く横に振り、そして体を起こそうとしたおれは、しかしそれが出来なかった。
「!!」
何故なら、誰かに首裏を掴まれて、ぐいと下へ引き寄せられたからだ。
誰かと言えばそんなもの、この場には一人しかいない。
すこしあれた感触のある唇がおれの唇に触れて、ぬるりとしたものが口の中へと入り込んだ。
驚きに食いしばった歯をそれで撫でられ、唇まで吸われて、それからぐいと頭を押しやられる。
どっと耳の奥で大きな音が響き、驚きとそれ以外で心臓が忙しくしているのを感じながら体を起こすと、こちらを見上げるさかさまの顔を見つけた。
眉間に皺をよせ、とてつもなく嫌そうな顔をした相手が、こちらを睨んでいる。
「ま……マルコ……?」
「やりづれえし、不味ィ」
なんだ、どうしたと戸惑いを口にする前に唸ったマルコが起き上がり、自分が抱えていた酒瓶を口にする。
おれが食っていた飴の味がしたんだろう、中身を傾けて口の中を流してから、瓶を放ったマルコの手がこちらの胸倉を掴んだ。
ぐいと引き寄せられ、また口にぬくもりが押し付けられる。噛み合うように顔を傾けさせたマルコの唇が噛みついて、押し込まれたのは確かにマルコの舌だった。
ぬるりと滑る舌がおれの口の中を撫で、舌を重ねられて、ぞくりと体が震えた。
マルコの舌は、酒の味がする。
「んぶ、おい、マルコ、お前、酔って」
隙間ができるたびに切れ切れに声を零し、合間に聞き苦しい音を紡いだおれへ向けてのマルコの返答は、うるせェ、の一言だった。
ぐいぐいと体を押されて、背中が真後ろの大樽にあたる。もたれても倒れることのない酒樽だが、おかげでおれの体はマルコと大樽の間に挟まれて逃げ場がない。
酔っ払いの行動に困惑を拭えない。役得だが、しかしそろそろ引きはがさなくては取り返しのつかないことになりそうだ。主におれの下半身が暴走を始める。
両手でどうにかマルコの肩を掴まえ、ぐいと押しやる。
マルコはまだこちらの口に舌を突っ込んでいるところだったので、無理やり引きはがすと突き出された舌が現れた。
唾液でぬめり光るそれから目を逸らす努力をするおれの前で、するりと案外柔らかかった唇の中に舌を引き戻したマルコが、なんだよい、と低く唸る。
「なんだよい、は、こっちの台詞だ」
相手へ向けて放った自分の呼気から飲んでいないはずの銘柄の香りがして、わずかに眩暈がした。
状況を把握していくと、心臓がさらに騒がしくなり、もはやこのまま死ぬんじゃないかと思う。
胸倉を掴んでいるままのマルコの手を引きはがし、これ以上の攻撃をどうにか食い止めようとしながら、なんなんだ、とおれはマルコへ尋ねた。
「酔っぱらってるにしても、見境なさすぎるだろ」
こんな酔い方をする奴だなんて、今まで知らなかった。
泥酔するマルコの近くにいたことは多かったが、今までおれが知らなかったということは、他の誰かが今のおれと同じ目に遭ったりしていたんだろうか。
そう考えると途端に胃が重くなるが、おれは別にマルコを独占できる立場じゃないし、そこを追求するのはおかしな話だろう。
浮かんだ考えを吐き出すようにため息を零すと、酔ってねえ、と酔っ払いが言葉を放つ。
「色々考えてたが、面倒になっただけだよい」
「考えてたって、何を」
「家族になら、まだいい」
唸るような声音はおれの問いへの回答とは言えず、眉を寄せたおれの手から、マルコの腕が逃れた。
思わず追いかけたおれの手が、今度はマルコによって掴まれる。親指の付け根から手首にかけてを握り込まれて、拳を握ることすら難しくなった。酔っていて、力の加減が出来ないのかもしれない。
「だけど、よその人間をああやって見るのは、良くねェ」
「ああやって……?」
「いつも、おれを見てたじゃねェかよい」
はっきりと紡がれた言葉に、びくりと体が揺れた。
思わず身を引いたが、もとより体は大樽に押し付ける格好になっているので、逃げられるはずもない。
気付いていたのかと目を見開いたおれの前で、気付かねえ馬鹿がいるか、と呟いたマルコの口がにやりと笑んだ。
両手を押しやられて、近付いてきた顔が目の前に迫る。
「誘いにも乗らねェ、口にも出さねェから見逃してやってただけだ。だが他を向くんなら、許しゃしねェよい」
言われた言葉の意味が、よく理解できない。
これは、自分の都合の良いように解釈していいものなのか。
だってまるで、マルコは『よそを向くな』と言っているように聞こえる。
いや、酒の席での勢いだ。酔いが覚めた時に、マルコは後悔するんじゃないか。
思考が後ろを向いたおれの目の前で、マルコがぺろりと自分の唇を舐める。
挑発的な視線を向けられ、反射で動いたおれの口が、マルコの口元にかみついた。
けれども見つめあった先の瞳がゆるりと笑い、ついでにマルコの喉からくぐもった笑い声まで漏れたので、おれの行動は間違ってはいなかったらしい。
脳裏に、何度も見たマルコの舌先が浮かぶ。
舐めて、吸って、噛んで、つまんで、撫でて。
好きにしていいと思ったら、男なんて単純なものだ。
「……おれが上やりてェな」
「そいつァ相談が必要だよい」
何度かの口づけの合間に言葉を吐くと、マルコの口からそんな風に言葉が漏れる。
男を抱きたいなんて悪食だなと呟いたら、お前にはいわれたくねェと笑われた。