※東京喰種:re×ONE PIECEのクロスオーバー
※苗字固定
※死ネタ注意ここは俺がいた東京じゃない。
それはすぐに分かった。
やけに豪勢な屋敷ある景色だとか気候だとか服装だとか、違うと確信した理由はいくつもある。
場所だけじゃなく世界すら違うのだと知ったのは、俺が、俺たちが毎日必死になって戦っていた怪物が一匹もいないことだった。
感覚全てを研ぎ澄ませても喰種に染み付いた血の悪臭を感じない。見知らぬ街のどこを探してもそうだ。
拾ってくれた人にも仲良くなった相手にも誰にも何にも言わず、この世界で常識だという知識を知らない理由を記憶障害で片付けた。
世界が違うなんて、ここじゃないどこかから来たなんて、そんな荒唐無稽なことを口に出せばキチガイ扱いされるに決まってる。誰も信じやしないだろう。俺が逆の立場だったらそうする。だから俺はこのことを誰にも話していない。
幸い俺の体には記憶障害で周囲を納得させられるだけの傷がある。痛々しい傷跡や治療中のものまで、喰種捜査官になってからというもの絶えたことがない生傷が。化け物につけられた不名誉な傷。頭を冷やせ、猪突猛進に突っ込むな、周りを見ろ。上司には何度もそう言われていた。
酷い扱いを受けて記憶を失った可哀想な男、周囲からの俺の認識はそんなところだ。
あとはボロを出さない慎重さと周囲を欺き続けられるだけの演技力があればいい。
見知らぬ場所に来て数ヶ月も経つと自分の異常性が顕著になってくる。この世界のやつらは人型の化け物が人を喰うなんて想像もしない。
夢かもしれないと何度も頬をつねった。自分の体を刺したこともある。それでも一向に目は覚めない。
もしかしておかしいのは俺かと、あの世界での記憶は自分の脳みそが勝手に作り出したものかとそう思ったが、力を入れれば簡単に芽を出すモノが異常な思考をする脳を殴りつけて揺さぶった。
俺は正常だ。狂ってなんかいない。
確かに喰種は存在していたんだ。
俺の両親や兄を殺した喰種の記憶も頭の中にあるし、喰種の赫包を埋め込んだフレームだって体の中にある。適正者だと分かったときのあの感覚を今でも覚えている。
埋め込まれた赫包があの世界は確かにあったのだと教えてくれる。あの世界こそが自分の居場所なのだと、帰ってこいと、強く願われている気がした。
やつれ気味の人が好意で貸してくれた空き家で、今は1人で暮らしている。
交流が盛んな街だったから、どこから来たのか、どうやって来たのか、記憶障害のことを抜きにしても追及されることはなかった。
喰種のいない世界。どうやって来たのか、いつ帰れるかもわからない。
なら俺は何を駆逐して生きればいい。
なんのために憎い喰種の赫包を体に埋め込んだと思ってる。
誓ったじゃないか。あの時。
手術をするための同意書にサインをする時に。
この世の全ての喰種を駆逐するまで止まらないと、決めたじゃないか。
なのに俺は何故こんなわけのわからないところにいるんだ。何をしているんだ俺は。何ヶ月無駄にした。
こんな生温い場所じゃ自分の存在意義すら曖昧になっていく。
戻りたい。帰りたい。帰らなきゃいけない。俺が俺を見失う前に、早く。
でも帰り方なんて誰に聞いてもどこを探しても見つからないんだ。
いつまで。
いつまでここにいればいい。
いつになったら戻れる。
────誰か助けてくれ。
戦うすべを持たない弱い人間を蹂躙する海賊を殺した。どうやらこの世界では喰種ではなく海賊というものが悪らしい。悪である海賊に対して海軍という軍隊は正義である。それが世間の認識だ。
ところが正義に与する海賊も悪に染まる海軍もいるそうだ。矛盾。悪は全て悪なのだと判別をつけて断罪してしまえばいいのに。
この街にしたってそうだ。
領主の豪勢な屋敷を中心にしてそびえ立つ家々は外側に向かうにつれ寂れていく。どうやら領主の屋敷がある周辺は貴族街らしい。苦労もしていないやつらが豪華絢爛な家に住み煌びやかな服を着て肥え太っている。
貴族街と平民の町は大きな壁で隔たれ、扱いも天と地ほどの差がある。貴族と平民だと平民のほうが税が高い。不満を訴えれば大弾圧。そのせいで何人もの平民が死んだ。この国から出て行った者もいる。
数少ない貴族を支えるのは平民だっていうのに、貴族は、この国は平民を軽視する。遠くに見える城には見たこともない王様が木偶の坊のように玉座に鎮座しているらしい。
水害や冷害がおこっても国は一切手を差し伸べない。重税に喘ぐ平民の声には耳を塞ぎ何も見えないと目を閉じる。なまじ他の島との交流が盛んなだけにそれだけで乗り切ろうとしている。
貴族だけしか必要としないのか。今ここに生きている平民が、国民が見えないのか。誰のおかげで飯が食えると思ってる。誰のおかげで交流品があると思ってる。
何度も聞いた。この世界に来てから何度も。
苦しい、悲しい、助けてくれ、誰か、と。
悪政に喘ぐ弱者たち。彼らを苦しめているのは何も国だけじゃない。
国の玄関口である港があるこの場所は海賊が悪の刃を振りかざす。奪われるのはいつだって弱い者ばかりだ。
海兵も権力を振りかざして好き勝手に暴れまわるし、気に食わなければ暴力だってふるった。
──これが正義の海兵だなんて笑わせる!正義を背負う資格もないくせに!
どこの世界でも同じだ。
平穏は突然に奪われる。なら俺はその平穏を取り戻す手伝いをしようと決めた。
元の世界と同じように、あるべき姿に、歪みのない正しい世界にするために。
悪を駆逐する俺を英雄だとたたえる人もいたし、 化け物だと、なんてことをしてくれたんだと罵る人もいた。奪われたことのない貴族が思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てる。
喰種の赫包を埋め込むことにより得た治癒能力はここでも有効のようで、振るわれた剣を素手で受けても流れた血はすぐに止まるし、一日経てば傷は塞がった。
俺はまだ戦える。俺まだ腐ってなんかない。
明らかに重症な傷が1日で治るのは喰種か俺のような半喰種だけ。喰種と半喰種の違いは赫眼が出現する目が両目か片目か、人を喰うか喰わないかだ。俺は後者。
赫眼が発現するのは右目。人なんか喰いたいとも思わない。
記憶は徐々に戻っている。そんな曖昧なことを話せば、よかったと喜んでくれる人もいたし眉をひそめる人もいた。後者は思い出した記憶を疑念を持って聞きたがる。疑り深いのは悪いことじゃない。狡猾に生きるにはそのほうがずっといい。
ある日、この世界に来て何度目になるかもわからない理不尽なことが起こった。
貴族のように肥えた体に顔を覆う四角い箱。それに付き従う黒服の男たち。この国の軍隊も並んでいる。
住人を左右に並べてひれ伏せさせ、偉そうに街中を闊歩しては気に入った女を妻にするとのたまって細い腕を引っ張る。やめろと割って入った若い男が銃殺される。街に常駐している警察や住人達はずっと頭を下げてそいつの顔を見ないようにしていた。いつも以上に異様な光景だ。
国が保有している軍は一向にやってくる気配がない。いつもそうだ。
この国の王はどれだけ嘆願しても国民のためには決して兵を動かさない。自分の保身にしか興味がない愚かな王。
誰も動かないなら俺がやる。相手が悪なら動かない理由はない。
脂肪を蓄えた腹を貫くと悲鳴が上がった。
黒服の男たちが俺に向けて発砲する。この時ばかりは頑丈な皮膚に感謝した。
どこを撃たれても倒れない俺に男たちは青ざめた顔で化け物だと呟く。また発砲。脂肪を盾にすると男たちの動きが鈍る。そこを追撃。
大将を呼べ、そう叫ぶ男を一人残らず潰して、出来上がったのは悪が滅びた光景だ。
脂肪から腕を引き抜いて地面に転がす。
なんてことを。
そう、誰かが震える声で吐き出した。
相手は天竜人だ。どんな報復があるか。取り返しがつかない。
なんて、まるでしてはいけないことのように責められる。
何故だ。
こいつも弱者を虐げる悪だろう。悪なのに。
この国の軍服を着た兵隊に槍や剣を向けられた。悪を守るかのように配置されていた無能な兵士たちが、お前の首を差し出すのだと怒りと恐怖に震えている。
時間が経つごとに兵隊の数は増えていった。今まで何度訴えても出てこなかった兵隊がアリのようにうじゃうじゃと。
それらを見回して、兵隊の奥にいる住人の顔を見る。英雄だとたたえたあの時の表情は誰一人として浮かべていない。
住人の大部分が陰で俺のことを気味が悪いヤツだと囁いていたのを知っている。悪意を宿した声は減るどころか増える一方だった。
元の世界では同じ捜査官に。この世界では守るべき人間に。どこにいてもいい顔をされない。気持ち悪い、不気味だ、化け物め。そう何度も何度も。悪を滅ぼすたびに増えていく軽蔑と恐怖の眼差し。何故だ。
──俺をそんな目で見るな。
俺のこと何にも知らないくせに。
憎い喰種の赫包を埋め込んだ理由も決意も覚悟もあの時誓ったことも全部何も。何も知らないくせに。
あいつらがいなければ俺の家族が死ななければ。
あいつらさえ。あいつらさえいなければ。あいつらさえいなければ!!
「キャアアァ!!!」
女の甲高い叫び声にはっとして顔を上げる。大きく見開かれた無数の目。酷く青ざめて、恐怖に塗り潰された顔。
一体何が。
びしゃり。どん。
地面に何かが落ちる音。
ゆっくり、ゆっくりそちらを向く。
「………あ…」
脈動するように鈍く色を変える赫子が兵隊の首を飛ばしていた。
俺の腰のあたりから生えるあいつの赫子。あいつの赫子を伝って滑り落ちる赤。目で追えない速さで吹き飛ばされた首から噴出される大量の血液。地面に転がった顔。
現実逃避をしたがった思考のどこか別の場所に冷静な自分を据える。視線が突き刺さって痛い。
「見ろ!!」
尻餅をついていた貴族の男が俺を指差して震えた声で言う。目が。そう叫んだ顔には恐怖が浮かんでいた。
赫子。が、出たのなら、赫眼。赤い目に黒い白目。目を中心にして血管が伸びるように周囲に広がる赤い筋。通常ではありえない色。
思わず手のひらで右目を覆う。
気味が悪い。
人間じゃない。
化け物。
周囲から叩きつけられる悪意の言葉。
そんなはずない。だって俺は人間だ。喰種じゃない。今までずっと助けてきたじゃないか。守ってきたじゃないか。
なのになんだ、その目は。悪意と嫌悪と恐怖の塊。まるで喰種を見るような目で。
そんな目で、そんな目で見るな。
俺は人間だ。人間なんだ。
赫眼だって片目にしか出ないし傷も喰種のようにはすぐに治らない。人間だって喰いたいとも思わない!
なのになんでそんな目でそんな顔で俺を見る。
守ってきたのに。俺は俺なりの正義を貫いてきたのに。なのになんで。
お前らに危害を加えたことなんて一度もない!!
嫌な汗が流れる。呼吸だって荒い。気付けば走り出していた。
あれは喰種を見る目だ。
自分とは違うものを恐れて蔑む目。
あいつらの中で俺は化け物になった。
英雄だなんだともてはやしてたくせに結局こうだ。どこに行ってもいい顔をされない。向こうでも、ここでもそうだ。俺と同じように半喰種になったやつがいるだけ向こうのほうがまだマシだった。実力のある人は俺を認めてくれていたから。
戻りたい。帰りたい。なのにまだ帰れない。帰り方も分からない。どうやって。いつになったら。
なんで俺はこんなところにいるんだ。なんで。
守る意味と理由を失った。
俺が固く誓ったことも決意も覚悟も元の世界でのことだ。
あいつらを駆逐するために全てがあった。一匹残らず駆逐して、人間の世界を、平和と安寧を取り戻すために生きてきたんだ。もう何も、誰も失うことがないように、誰も悲しまなくてすむように。
なのに。
なんでその全てをなくした世界で生きなきゃいけないんだ。
早く帰りたい。あの場所に。
あの世界にはちゃんと居場所があった。目標があった。でも、今は。
この世界は。
向けられる目は悪に対するそれと大差ない。
あの目は。全員が俺を悪だと認識していた。
不特定多数に悪だと判断されれば悪になる。
喰種はいないのに。悪はいないのに。喰種がいない世界でも悪は存在する。悪は簡単に作られる。
元の世界でもそうなのだろうか。
喰種を一匹残らず駆逐しても悪はなくならない?次は人間同士で争うのか?誰かが悪になって弱い人々を蹂躙していくのか。この世界のように。
世界が暗い。
ここにいる意味、守っていた理由、元の世界のこと、家族のこと、そして駆逐するべき悪。忘れられないあの日の記憶が滴る血のようにどろりと腹の底へ流れていく。
失望、憎悪、焦燥、怒り。
「──誰だ」
世界は暗い。
「あんたらは…海賊か、それとも、海兵か?」
俺に近付いてきたのは男と女の2人だ。歳は若い。どちらも帽子にゴーグルをつけている。見たことのない顔だ。
目は。あいつらとは違う。人間を見る目だった。
「革命軍だ」
悪か正義か、それとも弱者か。
そのどれとも違う回答に眉を寄せる。また聞いたことのないものが。
「…革命軍?」
「まあ簡単に言えば、反世界政府組織ってところだ」
「世界政府…」
革命。過去の歴史で繰り返していたこと。元の世界でもどこかで繰り返されていた。
軍と称するなら規模は大きなものなのだろう。
悪を悪と糾弾せず正義のベールを被せて容認する世界政府を相手取った革命。きっと悪いのはそれだけじゃない。その体制を崩して救われる人間も確かにいる。この国もそうだろう。だからここにいるのか。
世界を変えるために戦う、のは、俺と同じ。俺は喰種を一匹残らず駆逐して誰も何も失わないように泣かないように何からも脅かされる必要のないよう平穏な世界にしたかった。
何かの犠牲なしに革命は成せない。達成できるのなら命だって差し出す気だ。それが俺の覚悟だった。
「戦うか?」
どこか楽しそうにも見える男。
ちょっとサボくん、なんて、怒った様子の女。
「…民間人に危害を加えないのなら俺が戦う理由はない」
金髪の奥には隠しきれない火傷痕。痛々しい左目。
こいつも何かを奪われたのだろうか。隣にいる女も。何かを奪われる立場だったのだろうか。元の世界にいる誰かのように、この世界の弱者のように。
──俺みたいに。世の理不尽さを嘆いて世界を、そして自分を、変える決意をしたのか。変えるだけの力を欲したのか。
じとりと睨みつける俺に「そうか」と軽い調子で返してきた男。最初から戦わないと分かっていたんだろう。
「革命軍、が、何をしに来た」
感情が高ぶる。息苦しい。赫子は出てないのに赫眼が消えない。右目が熱い。
「クーデターだ」
色の違う目で睨んでもあいつらみたいな表情を浮かべない。男がニッと笑った。クーデター。その意味を噛み砕く。
国家への一撃。暴力的な手段で引き起こされる政変。弱者へ手を差し伸べる行為。救世主にもなりえる行動だ。それには多くの犠牲が必要になる。
「…戦うか?」
ニヤリと、男が笑う。意味深な顔で。
それは、どっちの、意味で。
クーデターを止めるために目の前の男と戦うか、それとも、共に戦うか──どっちの、意味だ。
「それ、は」
共に戦う選択が俺の中にあることに気づいてはっとする。
「どっちの意味だ」
共に。昔のように。誰かと一緒に?
──人は“それ”を仲間と呼んだ。
『ナマエくん』
思い出す。
許されていた居場所。そこでしか見出せなかった肯定。必要とされていた事実。
みんなに会いたい。けれど会えない。帰れない。
「私たちはキミを誘いに来たんだ」
なんで。
「革命軍に来ない?」
なんで。
伸ばされる手。俺に向かって。
──必要と、されている?
「…見てたんだろ」
あの光景を。
赫子が人間を貫く様を。
恐ろしいものを見る無数の目を。
「見ていてもか」
皮膚を突き破って生えてくる赫子と色の違う赫眼を見せても相手の目は揺らがない。女の手は真っ直ぐ俺に伸ばされたまま。
「だからだよ」
肯定。
この目。この体。
覚悟も決意も、認めて受け入れてくれるのか。
「私達の最終目標は天竜人。キミはその天竜人に牙を剥いた。誰も逆らおうとしない、できない天竜人に…」
てんりゅうびと。聞きなれない。大層な護衛をつけた脂肪の塊だろうか。弱者を蹂躙する肉の塊。
「──……」
目を閉じる。フレームの中に赫子をしまう。
革命軍。
ああいう脂肪の塊を排除して、世を正すために、自分が理想とする世界を目指して活動するのか。
「まあ、考えてみてくれ。その気になったら来てくれればいい。強制はしないさ」
「早く逃げないと大将が来ちゃうから、どっちを選ぶにしてもここから早く出たほうがいいよ」
目を開けた。
あんなにも熱かった右目が嘘のように落ち着いている。
正常な色に戻った目で見つめても相手の表情は変わらない。
「…行く」
一歩踏み出す。
そのじきにやってくる大将とやらも、悪を容認するなら悪なのだろう。
「じゃあ、もう仲間だね。私の名前はコアラ」
「おれはサボだ」
男は笑みを深めて、女は少しだけ驚いたあと笑って手を差し出した。握手なんていつぶりだろう。
手を離してから同じように差し出された男の手を握り返す。
仲間。かくめいぐん。歪むことなく正義を遂行できる場所?
「キミの名前は?」
「……橘…ナマエ」
「タチバナくん?これからよろしくね」
声は出なかった。喉に何かがつっかえて声が出なかったから、代わりに頷く。相手の笑顔を直視した。笑いかけられることすら久しぶりのように思える。
目を伏せ、目まぐるしく過ぎていったなんの意味もない日々を思い出す。
前を見据え、笑顔の相手に向かってもう一度頷いた。
「行くぞ!早くしないと収拾がつかなくなる」
サボ…さんが帽子のつばを親指と人差し指で挟みながら行動を促す。そういえばこの人たちは、この国にクーデターを起こしに来たと言っていた。
日本で育った俺には馴染みのない言葉。
具体的には何をするのか、何をすればいいのかを尋ねるとサボさんがニッと笑う。
「言っただろ。クーデターだ」
もっと具体的に教えてくれ。
どうやら表情に呆れが滲んでいたらしく、コアラさんがきちんと説明してくれた。
結果的に革命軍の活躍により腐った国の体制は崩れ去り、貴族だけが自国の国民だと思い込んでいた馬鹿な王族もいなくなった。悪政に苦しめられていた平民は大いに喜んだが、王族と共に甘い汁ばかりを吸っていた貴族たちは反発し、王族が失脚すればここぞとばかりに自分が新たな王になるのだと空席の玉座を狙った。
また同じことを繰り返すのかとも思ったが、どうやら貴族の中にも正義を抱くまともな者がいたらしい。
その者を中心として革命活動が行われた結果、数ヶ月かけて王政は廃止され、国家は解体された。
「おれ達はちょっとしたきっかけを作るだけだ」とサボさんは言っていたけど、ちょっとどころではない。引き金を引いたのはキミだよ、と言ったのはコアラさんだ。
ひとつ正義を貫けた。ひとつ、あるべき姿に、正しい姿にできたのだ。──これが革命。
頑健な皮膚。腰に埋め込まれたフレーム。人間よりも研ぎ澄まされた鋭い五感で知覚する。
ようやく、意味を持てた気がした。この世界に来てようやく、俺は俺の正義を、何に疑問を抱くこともなく遂行できる。
悪政。貧困。暴虐。
悪を悪と認識せず、悪に正義の皮を被らせて蛮行を容認する世界政府。
世界を正すために。
自分を酷使し続けろ。
革命軍に入ってから二年。
元の世界では定期的に行なっていた検査ができない以上、どこかしら異常が出るのはわかっていた。異常がでた時にどうすることもできないのもわかっていた。わかっている、つもりだった。
「ゲホッ…、う、」
変化は徐々に現れた。
好物をおいしいと思えなくなった。最初は好みが変わっただけかと思っていたが日が経つにつれ味覚が変わっていく。
これが異常なことだと自覚した時には遅すぎた。
何を食べても美味しいと思えない。それだけならまだよかった。味が気に食わなくても食べられたから。
しばらくすると何を食べても不味いと思うようになった。いつか食べたいとも思わなくなって。
『舌のつくりが我々と違うから』
自称喰種研究家の男がテレビで語っていたうんちくを思い出す。
『食べ物がメチャクチャ不味く感じる』
無理やり胃におさめた朝食を吐き出した。
そんな。まさか。だって、それじゃあ。
──喰種そのものじゃないか。
酷使した赫子。傷つくたびに行われる超再生。フレームの内部にある喰種の細胞が人間の体に影響しているのか?
俺の、今の、Rc値は。どのくらいなんだ。
1000を超えたら喰種になる。戻れなくなる。喰種になってしまう。
極力赫子を使わないように戦えば余計な怪我が増え、結果的に喰種の超回復に頼ることになった。これじゃ何も変わらない。
怪我をせずにすむよう回避に専念する。それでいて直接相手を崩せるような攻撃方法が必要だ。サボさんやコアラさん、時にはドラゴンさんからも指導を受けて戦い方を学ぶ。
赫子を使わなくなってから数ヶ月経っても食べ物は相変わらず不味いままだ。一向に味覚は回復しない。何を食べても満足しない。赫子を使わなくなっても変わらない。
人間を喰えば満足するのか?喰種のように?誰かの平穏を幸せを奪ってまで?悪に手を染めてまで?
──そんなのは嫌だ。それは、それだけは絶対にやってはいけないことだ。
空腹感がひどい。赫眼が消えない。
俺が喰種に近づいていることを誰にも知られてはならない。
「少し休むか」
任務が終わってバルティゴに帰還する途中の船の中でサボさんにそう声をかけられた。
顔色が悪い自覚はある。まともに飯を食べていない。食べても胃が受け付けなくて吐いてしまう。栄養がとれない。赫眼だって消えない。赫子がうまく形成できない。
「メシもまともに食ってねェだろ?」
コーヒーの匂い。
お腹がすいた。サボさんの手にはサンドイッチとコーヒーが乗ったトレー。コーヒーに手を伸ばすとサボさんが屈んでくれた。
早く何か口に入れなければ。
カップの取っ手を持って口に運ぶ。芳醇な香り。カップを傾けて口内に流し込む。
「美味い…」
ぼろ、と涙が落ちた。
コーヒーだけは変わらない味。
水も飲める。お茶はダメだ。紅茶もジュースも、全て変な味がする。
「ほら」
そう言って差し出されたサンドイッチ。
おそるおそる手にとって口に運んだ。ほんの少しだけ齧っただけなのに異常を訴える味覚。
レタスもハムもチーズも妙ににちゃにちゃした、紙粘土のような、泥のような。こんなの人間が食べる味じゃない。こんなの。
喰種そのものだ。
「ナマエ」
丸まった背中に手が添えられる。
「ナマエ」
こらえきれない。涙が落ちた。
上下にゆっくりさすられる背中。
俺はこれから先人間の命を奪って生きていかなきゃいけないのか。
「ころしてくれ」
「馬鹿、そんなことできるわけねェだろ」
懇願も虚しくから回る。叶えられることのない願いだ。
誰か俺を殺してくれ。
人を喰いたくない。喰種になりたくない。喰種でいたくない。俺は人間だ。人間でいたいんだ。
泣いて喚いても現実は変わってはくれなかった。
はらがへった。肉。人。肉が喰いたい。新鮮な血が滴る、美味い肉。
「ああ」
貫いた人体から腕を引き抜く。肌の上を滑る赤。
革命軍は政府から見れば悪の組織だ。
けれど苦しめられている者にとっては正義。
弱者を苦しめる悪を懲らしめて何が悪い。正義を抱かない肉の塊を喰って、なにが。
「喰種」
それを口に入れる直前で止まる。ダメだ。
悪は悪だ。喰種も悪だ。俺は悪にはならない。
腹が減っておかしくなりそうなんだ。
人間でいたい。
でもこれでしか満腹になれないのなら。
喰種になるな。人間でいろ。正義であれ。間違うな。
まだ。
まだ戦える。世界が正しくなるまで、正しくするまで、間違えない。俺の誓いは、正義は、決意は、こんなところで挫けない。
そう──思っていたのに。
「ナマエ!」
喰った。
肉を噛みちぎって喉奥に押し込んで胃におさめた。食欲に理性が負けた。口に入れた瞬間の高揚が忘れられない。味覚を感じる舌がようやくの食事を離すのを惜しんでいた。
あの味。この味は、今まで食べてきたなによりも美味かった。
「ナマエ!!」
ぼやけた視界の中でサボさんが俺の名前を呼んでいる。
ああそういえばこのところサボさんにしか会ってない。任務は。任務を最後にこなしたのはいつだった?正気でいられたのはいつ?
いつ。
「サボ、さ、俺、おれ…っ」
サボさんの肩が血に濡れている。俺が噛んだからだ。噛みちぎったからだ。喰ったから。
よりによって。サボさんを。俺は。
おれは。
「──ああああァああああ!!!!」
人間でいられなかった。正義を貫けなかった。
あの日誓ったことも願ったことも全て無駄にした。
サボさん。
ごめんなさい。
形成された赫子で自分の首を穿つ。
正義でいられないなら、生きる意味なんてない。