※攻主、微裏注意


ありきたりなベターエンドより、黄金色の腹上死。
だからおれたちは海に生きる。深い海の愛に溺れても。

たぶん、おれは本当に溺れたんじゃないかと思う。
思い出したのはもう何年か前で、同級生と海へ行って、足がつって塩辛い海を飲んで、すぐに異変を察知して飛んできたライフセーバーに助けられ、海から上がった瞬間だった。足の裏に焼けた砂と貝殻が刺さって痛かった。黒く日焼けした逞しい肩に支えられて、頭には真夏の太陽が真上から突き刺さっていた。遅れて海から上がってくる同級生たち。そうだ、おれにはもう一つ別の記憶がある。全ての一瞬が楽しくて、焼け付くような熱い海の記憶。会いたい。

それから日に日に、海賊船の上での賑やかで楽しい出来事ばかりが思い出されていく。こんなの病気かもな。乖離性同一障害を検索してみたりしたけど、おれは特にこれといったトラウマやストレスもなく、のうのうと生きてきている。なのに確かに、間違いなく体感した目まぐるしい日々の記憶がある。その携帯端末から顔を上げると見えた、昼間の芸能ニュースに映る歌舞伎界の売れっ子が背中に16って刺青入れてるって事実のほうが重要に思えた。あれ、イゾウ隊長だよな。経歴を紹介する女形の映像が少し流れて、映画に出演するってインタビューが流れた。この数字は一生背負うって話す薄い唇と、真剣な目と、映画の宣伝としてカメラに向けた二丁拳銃の構えが射抜くようで、今も綺麗だ。
週末に自慢の鼻を頼りに、自宅前で待ち伏せた。本当はネットの情報を頼りに山を張った。ファンの女の子達の情報収集能力はものすごい。残念ながら今のおれは能力者じゃない。
「"番犬"か、"忠犬"か?」
深夜23時の道路に立ちつくしたおれの数歩手前で立ち止まって、イゾウ隊長はサングラスを外し不敵に笑ってそう言った。おれの知ってる隊長より少し若い。
「ナマエ」
切れ長の目を細めた、背の高い男はかつて16番を担っていた。
「背が高いな、モデルみたいだ」
「う、わーーー!隊長!!」
「ハハ、久しぶりだな」
感極まって飛びつくとしっかりと受け止めてくれた。そうだ、隊長は白粉を叩いたような綺麗な肌をして男の肩で、体幹も強くて、それにバキバキの腹筋なんだ。なんたって、おれの隊長だ。
イゾウ隊長と電話番号を交換すると、記憶の中の人物から次々と電話がかかってきた。年齢も、思い出したタイミングも、みんなめちゃくちゃだった。会うとどうやっても宴会になって、船の上みたいだった。この間なんか、おっさんになったナミュールがミシュランの星がつく店の板前やってて、最高のネタを振る舞ってくれた。ハルタはまだ小学生で今のところ最年少だけど、かなり小さな頃から自覚していたらしい。サッチは今フランスで料理の修行中。来月みんなに逢いに帰国する。コックコート姿が目に浮かぶ。ビスタも外国で、比較的サッチの近くにいるらしいけど何処だっけ。随分な大所帯だったから、イゾウ隊長のアドレス帳にいるのもきっとひとつかみだ。まだ思い出せない奴らも多い。顔を見て初めて口が勝手に名前を呼ぶことだってあった。それに、探しても聞いても、一番隊の隊長の姿がなかった。あいつはお前の鼻に任せるよ、とイゾウ隊長は笑った。ああそうだ、この人はそういっていつもおれを危険地帯の偵察に放り出すんだ。

「マルコ」
「"隊長"」
「海賊船だ」
隣で頭の後ろに手を組んで寝ていたマルコが体を起こした。夜の海の上で麻布を肩からすっぽりと掛けたおれに対して、腹を出して寝ていられるのは鍛えられているからだけじゃなく自身が炎だかららしい。寒さをあまり感じないから大丈夫だと言うその男の体だけが死んでいるようで心配だった。
「八時の方角」
望遠鏡から顔を離してそう言うと、もう見張り台の縁を大鳥の鉤爪が掴んでいた。暗闇だった見張り台がぼうっと明るくなる。
「行くよい」
言うが早いが、眩い青い炎が暗闇を燃やしながら一直線に檣楼から離れていく。緊急事態だから最短距離で一番隊隊長が自ら出る。一瞬見えた横顔は、眠そうな目が真っ直ぐに海を見据えていた。由々しき事態、そう、酒のストックが切れそうなのだ。
「頼んだぞぉ」
相手が応戦し始めたらしくチカチカと時折点滅する遠くの船に向かって声援を送る。と、青い鳥が敵船の上を大きく旋回してからこちらに戻ってきた。いくら何でも早すぎる。
「何かあった」
立ち上がって聞くと、見張り台には降りずにそのまま空中からおれの腕を鉤爪でしっかりと掴む。
「ああ、ナマエも来いよい」
「え!うわーーーっ」

撮影のカメラフラッシュで思い出した。1人で十分なのに、気まぐれにおれを連れて行く。荷物持ちだったり雑用だったり、マルコはそれを自然にやってのけるからズルいし、それがおれは密かに嬉しかった。
会いたい。覚えているだろうか。まだ思い出していないのだろうか。まだ生まれていないのだろうか。
あの青の暖かさも冷たさも思い出せるのに、不思議と嫌なことは思い出さない。自分がどうやって死んだのかも浮かばない。きっと向こうのおれたちには辛いことも楽しいことも多すぎて、どちらかしか持ってこれなかったんだ。おれ、格好良く死んでるといいなぁ。
カメラマンさんとアシスタントさんにお疲れ様ですを言って、スタジオにお辞儀をして出る。暦上は春なのに、新しいライダースではまだ寒い。クリーニングに出したピーコートが今すぐ欲しい。尻が寒い。階段を下りてオフィス街の道路沿いを、左にドトールを見ながら地下鉄の駅まで歩き出した。

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ドトールから出たところで、歩いてた180以上はあるだろう男と目が合った気がした。ジャニ専がほっとかねェ顔してるやつだ。プリッとした肌はまだ未成年さが残ってる。おれのことを二度見した感じだったが、こんな犬っころみてぇなのに首輪つけて飼いたいもんだねい。煩悩を巻きながら本社に戻ろうとしたそのジャケットのサイドベンツを、そいつが掴んだ。
「マルコ」
聞き取れなかったがおれの名前じゃない名前を呼んだ。ぎょっとして反射的にジャケットが引っ張られた方向に顔を向けると、ずっと近くに嬉しそうな瞳があった。
「だっ、れだよい」
「いっで、あっ、おれ体が先に動いちゃって」
肘で距離を取ると、胸を押さえてよろけた後、言い慣れてないように最後に小さくすいませんと言った。そして真っ向からじっと見てくる。黒目が大きくて潤んでるようにみえる。左右の対称と均整取れた顔のやつは卑怯だねい。唯一それを望むように見える。人違いらしいので特に何も言うこと無くそのまま去ろうとすると、おれは大声で呼び止められるのだった。
「あの!!今日の夜会えませんか!!」
間抜けにも振り返ってしまったおれを、光をたくさん集めた瞳がじっと見ていた。掲示板でもアプリでもめったにお目にかかれないぐらいの上玉。それっぽい感じはしなかったんだが。まさかな人違い、と回りを視線だけで浚うがグレーのスーツの男が足早に道路端を歩いているくらいで人通りがない。新しそうな黒のスニーカーから、黒の細身のパンツ、真っ赤なロングシャツと黒のレザーのライダースを順に見上げてくと、今日ダメなら明日でも、とダメ押しで叫ばれる。会議10分前にゲート通過する羽目になった。
「どうした、遅かったな」
「ナンパされてたんだよい」
「グララララ、そりゃ良かったじゃねぇか」

歯ブラシは青と、少し選んでから緑を買い物かごに入れる。青が好きだって言ってたけど青はおれんだからねい。
鍵を開けても反応がなく、上着を脱がずにそのままダイニングキッチンへ顔を出すと、何人前かわからない分量の調理済みの鶏肉と携帯端末を見つめる青年がエプロンを締めて立っていた。
「そりゃなんて料理だい」
「わっおかえりー!鶏肉に甘酢タレをかけてマヨもかけたやつ!」
皿に乗りきらなくて気付いたように見える。作り始めた時点で気付けよい。
「ちゃんと仕事行ってきたのかよい」
「行ってきたよ」
「おーえらいえらい」
おれよりも上にある焦茶の髪を掻き混ぜる。首だけ前に屈んで、笑う動物の画像みたいに目を瞑る。絶対的な信頼と絆、出会ってすぐにそれを出せるのは天賦の才か、ペテンの指か。悪事を働くには嘘が下手すぎる。自分の免許も定期も携帯も財布もテーブルに放りっぱなしで眠るし、寝た男の名前さえ聞かない。
初めて会った日の夜に22時過ぎラーメンに誘うと飛んできて、前に会ったことがあると宣い、考えるふりをするとジムで見かけたんだと言った。記憶力には自信がある。ジムの名称を一つ挙げるとたぶんそれと言って、おれが割り箸を割りながら黙ってるとすぐに手を合わせてごめんなさいと頭を下げた。どうやら初対面で本物のナンパだったらしい。しかしこんなおっさんによくまぁ食指が働いたねい。そう言うと怒られるんだがね。
その日は、おれがしますからなんて生意気言って煽るからもう出ないですってぐずぐずに泣き出すまで絞ってやった。抱きつかれてた腕を退かして、大型犬をベッドに放ったまま出社して帰宅すると、まだいた。
「帰ったらもう会ってくれない気がして」
あたりだ。帰って居なかったらそれまでにしようと昼飯食いながら考えてた。深追い厳禁な世界だ。居るわけないってのと、居るはずだって確信が半々だった。
「ほら!!あっあの!料理はできないんですけど風呂入れるの得意です!」
大振りな動きでおれの図星に指を突きつけ咎めた次の瞬間に何とかフォローしようとバスルームの方を指差した。晩飯は用意されて無さそうだがバスルームに灯りが付いてる。
「熱めかい」
「熱め!」
「でかしたよい」
ネクタイを解いて鞄を渡すと嬉しそうに尻尾を振った。次の朝に名前を聞くと、ナマエ、と何処か浮ついた名前を言うからまた少し疑った。その後駅前のコンビニで発売日のヘアカタログみたいな雑誌をあちこち捲って、これおれ、と開いた頁には確かに目の前の青年だった。芸名か。前髪が鬱陶しいほど用意され、眼鏡まで掛けてるから分かり辛い。今は全部それを後ろにやっておれの帽子を被ってる。額が見えてる今の方がいい。
駆け出しのモデルに経済的後援者くらいいたっていいだろう。

「不死鳥マルコだ!」
「うわ本物!?初めて見る」
「馬鹿野郎おれだって初めてだ!シャキッとしろ!」
狼狽える小規模な海軍支部の上を低空で飛び、特筆すべき脅威がないことを確認する。警戒が手薄になっているだろう建屋の高い窓から獣が運動場の方へ飛び降りたのが見えた。見つけるまで戻るなと言っておいたから、無事エターナルポースを手に入れたらしい。それを見とめて運動場へ降りる。海兵たちの銃口が一斉に此方へ火を吹いた。下手くそがいるらしく、足元の地面にも何発か撃ち込まれた。後ろを庇って全部受けると、号令で銃声が止んで、低い唸り声が後ろからする。まだだよい。前列の海兵が気付いたな。
「エルドラの首取ったのがコイツだ、手配書出しといたほうがいい」
危険性を説明してやってると海兵がざわつき始める。右の翼の下から筋肉質な四脚獣がおれの前に一歩出て止まった。頭を下げてゆっくりと歩いて周囲を睨む獣の、剥いた牙の隙間から憤怒が漏れている。左耳が許可を今かと待っている。まだだ。
「海兵は殺していいって躾けてある」
殺すな。海兵が息を呑み、おれと何方に向けるか銃口に迷いが出る。この体格なら体当たりでも5人吹っ飛ばすところが容易に想像出来るだろう。垂れた耳が了解と僅かに動いた。
「噛むよい」
噛むな。耳がまた動く。よし、蹴散らしてきな。指先でサインを出すと同時に太い後ろ脚が地面を蹴った。

片脚を担がれて、交差した中心で深く混ぜられて今しがたイッたところだった。
「ナマエか」
「ふ、ぁ?」
射精中のキツい締め付けに耐えられず恐らく出しちまってるだろうナマエの余韻に溺れる可愛い顔を見る。主人に忠実な獰猛。闇夜に光る瞳。短いビロードの毛並み。撫でられて喜ぶ表情豊かな口元。もっとしてと強請り顔を押し付けてくる仕草も。
「道理で具合がいいわけだよい」
「えっ、あ、マルッ」
イイとこばっか当ててくるわけだ。しっかりと抱かれた自分の脚を引き寄せて、踵で若い肩を蹴るとベッドに倒れた。十六番の遊撃部隊が不意を突かれてどうすんだよい。売りモンにしてる締まった下腹に掌を置いて股間を跨ぐ。ちっと年齢差が縮まったか?そういや、おれの脚がエロくて好きだって言ってたねい。
「マルコ!マルコうわー!やった!なぁ!皆と、」
全身が嬉しくて忙しい素っ裸の犬を人指し指の動きで黙らせる。飛び起きそうだったのにぴたりと喜びの溢れる口を閉じて、現状に帰って来た。主人の指から主人の目へ視線を移して、喉仏を上下させた。隊長の声と指が絶対。蜜が垂れるような速度で動くなの指令を出し、ケツの後ろに手を回してぷりぷりとしたそれを握って軽く扱いてやると、涎が止まらないのかまた唾液を飲み込んだ。上唇を舐める。おれァもう一口欲しいところなんだ。お前も欲しいだろ。指先で合図するとピクリと反応した。可愛いねい。
「覚悟しろよい」

芸能関係ならイゾウに仕事紹介してもらうとかしたらいいんじゃないかと言うと、箸を落として驚いて朝食そっちのけであたふたと携帯を探しだしたから叱って席につかせた。味噌汁に具が二種類入ってるから随分な進歩だよい。食べ終わると息子たちがどこにいるかの説明がいそいそと再開される。またこいつらの顔見れんのは嬉しいねい。今日は仕事になんか行ってらんねェと会社に電話を入れると、好きなだけ遊んで来やがれと大きく笑っていた。電話を切断して、うちの会長が間違いなくオヤジだと伝えると、ナマエがそうか、元気か、会いたい、と降り始めの雨のようにてんてんと言って一度腕で目元を覆った。おれだって、何度生まれ変わっても会いてェよい。
ナマエがおれのことを捕まえたとメッセージアプリでグループに報告して以来、おれの携帯に通知が鳴り止まねェ。返事し疲れてクッションの上へ放ってしまった。誰かが今日の夕方からどこかのレストランを急遽貸切手配したらしいからその時でいいだろう。いい金の使い方だねい。久々の宴だ。
「これ去年十六番隊で海行ったとき!」
「ほォ、泳げんのかい」
写真に写り慣れてるナマエの楽しそうな携帯の画面をソファで一緒に覗き込んでいると、ふと思い出された。
「エースは」
一度も話に出てきてない。おれ達の末の弟だ。ナマエも可愛がっていた。年齢が近いから一緒にうろついてることも多かった。別に妬いてねェよい。本気になって半獣化したナマエとの肉の取り合いでテーブルを丸焦げにする天才で、明るくて仲間思いで、誰もが友達になりたいと思う、太陽みたいな男だ。昼は太陽、夜は花火。無鉄砲で危なっかしい、何にでも火ィ付けちまう。人の心にも。アイツはどこにいる?
「エース?」
ナマエがおれの顔を見上げて、頬杖をついていたのを外す。携帯をテーブルに伏せて置いて立ち上がって、ベランダに出るガラス戸の側へ歩いていった。高層階で海までと街が見渡せて青い空が近い。嫌な予感に胃の辺りがざわついた。聞いてはいけなかった、ような。
「弟とそこの高校通ってるよ」
「近すぎる絶対おれんちの場所言うなよい」
この数秒後に授業開始時間はとっくに過ぎてるはずなのに、オートロックのインターフォンが連打され、笑いながら謝るナマエに卍固めを掛ける。

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