『ダイジにするから、おれとケッコンして!』

 もう、ずっと昔の話だ。
 崖から落っこちて死ぬところだったガキの頃のおれを、助けてくれた人がいる。
 まさかおれみたいなやつを助けてくれる人がいるなんて思わなくて、だからとんでもなく驚いて、さらには体を心配してくれたのが嬉しくてたまらなかった。
 ずっと一緒にいたいと、誰かを強く望んだのは、思えばあの日が初めてだったかもしれない。
 けれども、小さなガキだったおれが望みを言っても笑っただけのその人は、すぐにおれの目の前から姿を消した。

「それがおれの初恋かなァ」

 酒の肴に言葉を零すと、命の恩人じゃあ仕方ねェなァ、とすぐ傍らでラクヨウが頷いた。

「しかしお前、初対面の相手にプロポーズって、どんだけマセガキだったんだ」

 にやにやと笑って顔を酒で赤らめた『兄弟』に、おれは軽く肩を竦めた。
 確かに、あの時はきちんとわかっていなかったとはいえ、ガキだったおれが言った言葉は間違いなくプロポーズだ。
 ガキの頃からずっと家族が欲しかったし、一緒にいてくれる相手が欲しかった。真剣にはとってもらえなかったが、あれはガキだったおれの精一杯の望みだった。
 おれの横でだばだばと口へ酒を注いで、のどを鳴らして飲むなんていう行儀の悪い行動を行ったサッチが、口の端から零れた酒を片腕でぬぐう。
 月明かりの下でこちらを向いた酔っ払いが、それで、と言葉を放った。

「その姉ちゃんはどんな美人だったんだよ?」

 おれの『初恋』の相手を『女』だと決めつけたサッチの口ぶりに、ははは、と軽く笑った。
 さすがに、顔も声も覚えていなくても、相手が男だったことくらいは覚えている。
 子供だったおれにそんな分別はまだなかったし、今になって思い返してみても、あの日以上の気持ちを誰かに抱いたことがない。
 ナースや島の女達に目を引かれたことだってほとんどないし、かといって『家族』や島の男達を前に変な感情を抱いたことだってなかった。
 しかし、『初恋の相手』が男だなんてわざわざ言ってやる必要性も感じられず、サッチの問いにだけ返事をすることにする。

「さすがに、もう覚えてねェなァ」
「いやいや、ちっとは覚えてんだろ? 胸がでかかったとか、髪は何色だったかとか」

 聞かせろよとにやにや笑う酔っ払い達に、だから覚えてねェよ、と軽く肩を竦めた。
 もう十五年は前のことだ。
 絶対に忘れないと胸に誓ったはずなのに、時がたてば記憶はどんどん薄れていく。
 声も顔も無くしてしまったおれが覚えている『あの人』のことなんて、本当に少しだけだった。
 自分より大きな手と、優しかったことと、おれの渾身の願いを笑って流したこと。それからおれを助けてくれたときのこと。
 けれどもその『覚えている』ことを、家族に話すわけにはいかない。

「よし、次はサッチの番だな」
「おー、おれか。おれァなァ……」

 酒を片手に促すと、意識の逸れたらしい酔っ払いが酒瓶の中身を呷る。
 それから思い出話を始めた兄弟の向かいで、ラクヨウの傍に座りながら、おれはちらりとすぐ近くで酒を飲んでいる相手を見やった。
 いつも通りの宴の最中、おれ達からは少し離れたところでイゾウと酒を飲んでいる『家族』が、おれの視線に気付いたのかちらりとこちらを見る。
 それを受けてひらひらと手を振ると、ただの酔っ払いだと思ったのか、呆れた顔をしたマルコはすぐにこちらから目を逸らした。
 それを残念に思いながら、そっと片手を首に巻いた飾りに触れる。
 首からつるしたペンダントの青い石が、内側に入った白い模様を浮き上がらせながら、あちこちに置かれたカンテラや松明の明かりを反射していた。
 おれが自分で作ったネックレスを飾るその石は、あの日『あの人』が落としていったものだった。
 石を削りたくなくて、金具に閉じ込めてしまったがために少々厚みのあるそれの中には、あの日拾ったものがそのまま入っている。
 絶対に忘れたくなくてわざわざ身に着けられるものを作ったのに、結局、もうほとんど覚えていない。
 それでも少しだけ残っている記憶の中で一番鮮やかなのは、おれが今触れている青い石と同じ色の、青い炎をまとった大きな鳥だ。
 崖から落ちたおれを助けてくれたのは、炎に包まれた生き物だった。
 不思議と熱を感じさせないその炎の美しさに目を奪われた小さなおれは、その鳥が『人間』になったことにとても驚いた。
 とても驚いて、そのせいでか顔も声ももはやまるで覚えていない。
 つまり、あの日ガキだったおれを助けてくれたあの大人は、悪魔の実の能力者だった。
 多分、食べた実は動物系の幻獣種で、モデルの名前は不死鳥だろう。
 そしてその悪魔は今、おれの『家族』が身に宿している。
 この世に、同じ能力を宿した悪魔の実は存在しない。
 声も姿も覚えていないのだから再会できる可能性は低かったとは言え、それが意味することに気付いた時には、寂しさと悲しさを感じたものだった。

『……ひょっとしてこの実が食いたかったのかよい。悪かった』

 少し落ち込んだおれに、マルコが申し訳なさそうな顔をしたことまで思い出して、おれはそっとペンダントに触れていた手を酒瓶へ戻した。
 きつい酒を舐めるために口元へ引き寄せて、サッチの方へ顔を向ける。

「でよォ、その時に会った美人が」
「美人が?」

 話が盛り上がってきたらしいサッチへ相槌を打ちつつ、話を聞く姿勢に戻す。
 サッチの話は随分長かったが、おれより何とも感動に満ちた話だった。





 偉大なる航路の大海原で、おれ達は久しぶりに資源の豊富そうな島へとたどり着いた。
 いつもだったら四番隊として隊長のサッチと連れ立って降りているところだが、今日はそうもいかない。
 何せ、昨晩盛り上がって浴びるように酒を飲むのを見過ごしてしまったせいで、誰かさんは船の上で二日酔いのまま倒れている。

「さて、と」

 仕方なく島へと降り立ったおれは、彼方から上陸したクルー達を見守っている白鯨へと視線を向けて、それからそのまま側へと顔を向けた。

「ま、今日はよろしくな、マルコ」
「ああ」

 おれの言葉に、すぐそばにいた相手が軽く頷く。
 おれと同じくいつもの相棒を酒に奪われたらしいマルコが、『お前もだろう』と少し困った顔をしながら声を掛けてきたのは今朝のことだった。

「加減して飲めってんだよい」

 うんざりした様子で唸るマルコに、ははは、と軽く笑う。

「まあ、正午までは周辺の探索だけだろ? 食料集める時にはきりきり働いてもらおうぜ」
「そうだねい」

 軽く伸びをしながら言葉を放つと、マルコはそんな風に呟いた。
 その手がひょいと持ち込んできた棒を捕まえて、軽く払う。
 見やればおれ達と同じように島へ降りた数人も同じく棒を準備していて、それぞれがお互いに間隔を持ちながら島の大部分を占める森林へと足を踏み込んでいくところだった。
 普通の海賊団なら島を探索するのに時間がかかるだろうが、さすがにおれ達くらいの規模ともなるとそうでもない。
 それほど広いとは思えないが、一応念のために持ってきたビブルカードの破片が入ったガラス瓶を腰布へ押し込む。
 そのうえで行くか、と声を掛けると、頷いたマルコがおれより先に歩き出した。
 ざくざくと茂みを踏みしめて、先へ進む。
 途中に出てくる虫や爬虫類は臆病なようで、おれ達を見つけてすぐに塒へと引っ込んでしまっているようだ。

「お、果物だ」

 マルコがくぐった枝を同じくくぐって、見上げた先にあった赤い塊に手を伸ばす。
 もぎ取ったそれは見たことのない形と色をしていて、くん、と軽く匂いを嗅いだ。
 片手で簡単に握れる程度の大きさだが、甘酸っぱい匂いがする。リンゴの仲間だろうか。

「食うんじゃねェよい」

 軽く口を開けて果物へ顔を近づけたおれの頭が、ごちりと何やら硬いもので叩かれる。
 肩を竦めて視線を向けると、おれの方を振り向いたマルコが、持っていた棒でおれの頭を小突いたようだった。
 伸びてきた手がおれから果物を奪い取り、追いかけたおれの腕を掴んで無理矢理降ろさせる。

「おいマルコ、見つけたお宝は見つけたやつのもんだろう」
「船に戻って、異常の無ェもんだとわかりゃあ返してやる」
「横暴だぞ」
「自分の胸に手を当てて考えてみろい」

 寄越された言葉に眉を寄せたおれをよそに、人の『宝』を奪って自分の腰布へと仕舞ったマルコはどことなく厳しい顔をしている。
 言われた意味が分からず軽く胸に手を当ててみるが、思い当たらないのだから反省のしようもない。
 なんの話だと首を傾げたおれを見て、マルコが失礼にもため息を零した。

「この間、毒を食らって三日も腹抱えて唸ってたのはどこのどいつだよい」
「あれは! ……運が悪かった」

 どうにも先月の失敗を引き合いに出されて、声が小さくなってしまう。
 先月も似たような島へと上陸したとき、食料の調達役にはおれも含まれていた。
 家族が安全に食えるものを探さないと、なんていう名目で見たことのないものを口にしたのは、確かにおれだ。
 同行していたサッチには『図鑑で見た気がするからやめろ』と言われていたのだが、本当か証拠を見せろうまそうだ食うぞ、なんて言ったのもおれだった。
 うんうん苦しむおれの横で呆れた顔をしていたサッチを思い出して、軽く頭を掻く。

「その前も魚を釣って食ってひっくり返ってたろい」
「あれは、刺身にしようかとだな……」
「貝にあたったのは? その前はおかしな鳥で、蛇で、鰐で」
「……もうやめてくれ」

 なんだかおれがとんでもない食いしん坊みたいだ。
 人の恥ずかしい失敗を指折り数えだしたマルコに、顔が熱くなっている気がしながら言葉を絞り出した。
 ついでに動かした手でその手を掴んで、数え上げるように曲げられた指を無理やり開かせる。
 それ以上ひどいことをされないように伸ばした指をまとめて捕まえるようにすると、すぐにマルコの手がおれの掌から逃げ出した。
 気付いて視線を向けると、どことなくばつの悪そうな顔で、マルコがこちらから視線を外す。
 気にしてないと示すために笑みを向けてから、おれもマルコの方から顔を逸らした。

「とりあえず、島の真ん中目指すんだろ。行くぞ」
「おい、もうちっと注意して歩けよい」

 先ほどとは逆の形になるように、先に歩き出したおれにマルコが文句を言う。
 それでもおれが速度を落とさないでいると、仕方なさそうにため息を零して、マルコはおれの少しだけ後ろにぴったりとついて歩いた。
 何かがあればすぐに対処できるように、と配慮しているような位置取りで、目の前の茂みへ棒を突き入れている。
 がさがさと叢を触ったり長い枝や蔦を避けたりしながら、自分達が歩いてきた方向が分かるように時折小枝を折っていく。
 森林はいつまでも続いているかのようで、歩いていくうちに少し飽きてきたおれは、自分が持参した棒でマルコがあまり触っていないほうに探りを入れながら、それにしても、と声を漏らした。

「お前、案外おれのこと見てるんだな」

 『白ひげ海賊団』は大所帯だ。
 やれ風邪を引いただの熱中症だのといった話はよく聞くし、おれの食あたりだってそんなに騒ぎになった覚えもない。
 わざわざ覚えてくれていて嬉しいやら恥ずかしいやらだ。

「……まァ、ねい」

 おれの呟きが聞こえたのか、少しの沈黙の後でそんな風に声を漏らしたマルコの手が、おれの視界で軽く動く。
 それに気付いて視線を向けると、棒を持っていない手で軽く首裏を押さえてから、マルコは言葉を紡いだ。

「ナマエはよく騒ぎを起こしてっから、そりゃあ覚えてるよい」

「なんだそりゃ」

 まるで人をトラブルメーカーのように言い放つ相手に顔をしかめると、わずかな笑みを唇に乗せたマルコが、ちらりとこちらを見た。

「昨日も騒がしかったよい。何を盛り上がってたんだ」
「昨日?」
「サッチ達と騒いでたじゃねェかよい。おいおい泣いて」
「そうだったか……?」

 寄越された言葉に、軽く首を傾げる。
 確かに最後の方の記憶はあいまいだが、そんなに簡単に泣くほど涙腺が弱いつもりもない。
 しかしそういえば、横にいたラクヨウはとんでもなく泣いていた気がする。
 語り部たるサッチに責任を取らせようと、サッチのスカーフで顔を擦ってやったら二人から怒られたのまで思い出して、おれは足を踏み出しながら言葉を紡いだ。

「初恋の話で盛り上がった覚えはあるな」
「なんだそりゃあ」
「サッチの初恋がなー、そりゃあもう感動巨編で」

 ラクヨウが感動しちまって大変だったなァとしみじみ呟くと、へェ、とマルコの方から適当な相槌が寄越された。
 興味のなさそうなそれに視線を戻すと、マルコの目がこちらを見つめているのにかち合う。

「それで?」
「ん?」
「お前のはどうだったんだよい」

 尋ねながら、探るような視線を向けられていることに気付いて、少しばかり瞬きをした。
 おれの初恋なんて、そんなに気になることだろうか。

「別に、どうってことない普通の話だぜ」
「普通?」
「しいて言うんなら、初めて会った日に『結婚してくれ』って頼んだことくらいだな」
「……とんだマセガキだよい」

 ラクヨウと同じことを言うマルコに笑って、そういうマルコはどうなんだよ、と尋ねる。
 おれの言葉に少しばかり考えてから、マルコは口を動かした。

「…………おれを親父のところまで連れてっちゃあくれたねい」
「へえ?」

 そうなると、親父の知り合いなんだろうか。

「随分年上が好みなんだな。美人だったのか?」
「……いや、あとは置いてかれたことしか覚えてねェよい」
「…………切ねェ!」

 何とも不愉快そうに寄越された思い出に、思わず声をあげる。
 可哀想な奴だと振り向いて抱き着くと、ウザったそうにマルコの手がおれの頭を掴んで押しやった。

「あつっくるしいんだよい、離れろ!」
「うちのマルコを置き去りにするなんて、その女は見る目がないな。ヤなことを思い出させて悪かった、おれが慰めてやるぞ!」
「は・な・れ・ろ!」

 言葉と共に腕の中で青い炎が立ちのぼり、おれの腕から掴めなくなった体がするりと逃れた。
 鬱蒼と木々の茂る森林の中を照らす青い炎に、思わず目を奪われる。
 ばさ、と一度羽ばたいて飛び上がった大きな鳥は、いらだったような眼差しをこちらへ向けた後、どか、とその足で軽くおれの肩口を蹴りつけてから、すぐにその体の炎を溶かした。
 元通りの姿で茂みへ降り立ったマルコが、全く、と声を漏らしておれから少しばかり距離をとる。

「今度くっついたらぶっ飛ばしてやるよい」
「相変わらずスキンシップが嫌いだなァ、マルコ」

 遅い思春期なのか何なのか、マルコは抱きつかれるのを拒絶するようになってしまった。
 手を掴んだり、肩を組むのも出来れば遠慮したいというのだから相当だ。
 男同士でべたべたしたって気色悪いのは分かるが、ちょっとの愛情表現すら拒絶されるのは地味に寂しい。
 嫌われているのかとしょげてサッチに慰められた在りし日のおれは、まだまだガキだった。
 しかしまあ、他の連中の接触も嫌がるマルコがサッチに問い詰められたせいで、嫌がるその理由が『気持ち悪い』じゃなくて妙に照れてしまうからだということはすでに古株の中では周知の事実なので、おれは微笑みをマルコへ向けた。

「……男にくっつかれて嬉しい奴がいるかよい」

 眉間にしわを寄せてそんな風に呟きながらも、おれが微笑む理由がわかっているのか、舌打ちを零したマルコの顔が少しだけ赤い。
 海賊がそんなんでいいのかと少しばかり思ったが、ひとまずは言わないでおいた心優しいおれは、先へ進もうとマルコを促した。
 そして先ほどと同じように、マルコと二人で繁みをかき分ける。
 蛇や虫を追い払いつつ、大きめの獣でも出てこねえかな、なんて軽口を叩いたおれとマルコが二人でたどり着いたのは、そびえる崖だった。

「たっけェ」

 さすがに登っていくには面倒そうなそれを見上げてから、ちらりとマルコを見やる。
 おれの視線を受けて、見てくるかい、とマルコの手が炎を零した。
 おれが何とも答えない間に、ばさりとその両手が大きく羽ばたき、見る見るうちに青い火の鳥に変貌したおれの『家族』が崖の上を目指して飛んでいく。

「……速ェなァ、相変わらず」

 思わず片手を目の上にかざして呟きながら、おれはマルコが放り出していった木の棒を拾い上げた。
 おれが使っているものより少し軽いのは、材料が違うからだろう。おれが使っているのは水にすら沈む黒檀だが、何かあっての万が一を考えると、悪魔の実の能力者であるマルコが持ち歩くのは水に浮かぶ材質のものであるべきだ。
 新しく作った様子のそれに、見たことねェ木材だなァなんて考えながら指を這わせる。
 削りが甘いから、新入りが作ったものかもしれない。今度もっと丁寧なやすり掛けの仕方を教えてやろう。
 そんなことを考えていたおれは、ふと視界の端でちかりと輝くものに気が付いた。

「ん?」

 声を漏らして視線を向けると、すぐ目の前の岩壁の隙間で、何かが光っている。
 しばらくそれを見つめてから、おれは自分の使っていた棒をそこへ差し入れて、手前の石をどかすように動かした。
 ごろりと石が壁を外れ、隙間から見えた輝きが目の前に現れる。
 黒い土に埋もれながらこちらを見返すそれは、何とも美しい青色だ。
 見たことのあるその色に、思わず棒を二本とも手放して、それへと手を伸ばす。
 土に埋もれていたそれを引っ張ると、埋もれていたはずのそれは妙にあっさりとおれの手により引き抜かれ、おれの手元へとやってきた。

「……鉱石?」

 自然にできたようにしか見えない小さな塊を見つめて、指先で土を払い落とす。
 きちんと眺めてみると、青いそれには白い模様が入っていた。
 そのコントラストと、見覚えのある色に数秒目を瞬かせてから、あ、と声を漏らす。

「どうしたんだよい」

 思わず手を胸元へやったところで、ばさりと羽ばたく音がした。
 それと共に落ちてきた声を追いかけて顔を向ければ、崖の上からお帰りになったおれの『家族』が、少し不思議そうな顔をしている。

「おうお帰り、無事だったか。何かあったか?」
「いや、向こうにも森だけだ。行くんなら島を迂回してった方が良いかもしれねェよい」

 おれへそう言い返して、それで、とマルコがもう一度呟く。

「それどうしたんだよい、ナマエ」

 尋ねつつ手元を覗き込むようにされて、おれは崖の方へと視線を向けた。

「そこの壁から出てきた。きれいだな」
「へェ、この島の鉱石かねい」

 おれの言葉に頷いて、マルコの目がこちらから離れる。
 同じように鉱石を見つけたのか、少しばかりその手が動いて、切り立った崖の端から青い塊を引き抜いた。
 よく見れば、崖のあちこちに似たようなものが見える。

「きれいだなァ、売れっかな? 掘ってみるか?」
「加工すんのかい、面倒だよい」

 せっかく取ったものを放りながら寄越された言葉に、それもそうかと軽く頷く。
 おれは趣味で小さな装飾品を作ったりもするが、売り物にするとなると話は別だろう。
 『家族』総出でやってもいいかもしれないが、石に価値がなければただ手間がかかるだけだ。

「金だったら話が早かったんだけどなァ」

 呟きつつ、もう一度丁寧に手元の石から土を払い落とす。
 先ほどよりきれいに見えるようになった白い模様に、やっぱり、と軽く頷いた。

「ナマエ?」
「これ、おれが持ってるやつに似てらァ」

 呟いて、ほら、と声を掛けながらマルコの方へ手元の石と、それから胸から下げているペンダントを掲げて見せる。
 きちんと金具に収められた石と、それからおれの手元の原石を見比べてたマルコが、ああ、と声を漏らした。

「同じ石かもな」

 今まで、どこの島でも見かけたことの無かったものだ。
 ひょっとしたら、おれの『初恋の人』はこの島に来たことがあったのかもしれない。
 だとすればやっぱりこれは珍しい石なのか、ともう一度採掘について考え直したおれの横で、マルコが軽く首を傾げた。

「そういや、それいつも着けてるやつだねい」
「昔拾ったんだ。おれが初めてプロポーズした相手が落としてったから」

 『あの人』と同じ色をしていたそれを肌身離さず持っていたはずなのに、結局その顔すらも覚えていない。
 おれの言葉に、マルコが少しばかりの間をあけてから、そうかよい、と呟いた。
 どことなくつまらなそうに聞こえた響きに、どうやらあまり興味がないらしいと分かって軽く笑う。
 目の前の絶壁から見えるいくつかの青い石を確認して、それから手元に視線を戻したおれは、土を落としたそれを軽く服にこすりつけてから、それをそのままマルコの方へと差し出した。

「ほら、こっから見える奴ではこれが一番きれいだと思うぜ」

 受け取れ、と笑いかけたおれに、マルコが怪訝そうな顔をする。

「……『見つけた宝は見つけたやつのもん』じゃなかったのかよい」
「だから、見つけたおれがお前にやるって言ってんだろ」

 どういう風の吹き回しだ、と言いたげな顔を見やって、おれは無理やり手元のものをマルコの手へと押し付けた。

「マルコの火にも似てるよな、この色」

 先ほど見上げた青い炎にそっくりな青い石から、そっと手を離す。
 それから、その石ほどではないけどきれいだったいくつかの鉱石をひょいひょいと崖から引き剥がして、それらは自分の腰布へと押し込んだ。

「持って帰るのかよい」
「鑑定できる奴いただろ。見てもらおうぜ」

 いいもんだったらまた採掘に来たらいいだろうと言ってから、視線をマルコの方へと戻す。
 おれの視線を受け止めて、なるほどねい、と呟いたマルコが手の上の鉱石をひょいとつまみ上げた。

「おれに原石を寄越されても、おれァどうすりゃいいんだよい」
「器用な奴にでも頼んで加工すりゃいいだろ。なんだよ、戻ったらやってやろうか?」

 どことなく困って聞こえた声音に、軽く首を傾げる。
 頼めばやってくれる奴なんて、いくらでもいるだろう。
 もちろんおれもそのうちの一人だが、細工ならもっと上手にできる奴もいる。
 それともおれからあいつに頼んでやろうか、と家族の名前を出しながら尋ねると、マルコの口からどうしてかため息が漏れた。
 その手が鉱石を握り直して、そのまま腰布へ適当に押し込む。
 あんな入れ方をしたら、さっき入れた果物が落ちるんじゃないだろうか。
 そう思って見ていたが、案外大丈夫なようだ。

「あいつは、この間イゾウに頼まれた細工がまだ終わってねえって言ったろい。見つけておれに寄越したのはお前だ、お前が何とかしろよい」
「何だおい、偉そうだな」

 寄越された言葉に顔をしかめると、ふふん、とマルコが鼻を鳴らして笑う。
 どうやら少し機嫌がいいらしい相手に、変な奴だなとこちらも少しばかり笑ってから、おれは先ほど放った棒を拾い上げた。
 持ち上げる途中で何かに引っかかったのを感じて、ぐい、と引っ張りながら視線を向ける。

「あ」

 視線の先で、おれが持参してきた方の棒がすぐそばの大岩の隙間に挟まり、そしておれが動かしたことで大岩がごろりと崖を作り上げている壁から転がり出たのが見えた。
 親父が能力を使った時のような地響きがわずかに足元を揺らして、うわ、と声を漏らしつつ棒を持って崖から離れる。

「おい馬鹿ナマエ、今度は何をやったんだよい」
「いやおれは何も」
「嘘つけ!」

 慌てた様な声を漏らしたマルコが、おれの腕を掴んでぐいと引っ張った。
 人をその背中に庇うようにした相手に、思わず目を丸くする。
 地響きは数秒続いて、やがてごろごろと岩が転がる音や何かが崩れるような音が聞こえ、もうもうと土煙が上がった。
 やがて音と共に収まっていくそれに目を眇めて、ひとまずはマルコの後ろから崖の方を見やる。

「どうなった?」

 尋ねつつ見やった先で、おれはそこに大きな穴が口を開けているのを見つけた。
 今崩れてできたとは考えにくいような、深く深く続く洞窟だ。
 なんだこれ、と呟いて、そろりとマルコの後ろから離れて崖へと近付く。

「おい、ナマエ」

 危険を感じてか声を掛けてくるマルコをよそに、注意深く大きな洞穴を観察して、ふむ、と声を漏らした。

「隠し洞窟か」

 入り口には土砂や岩がいくらか転がっているものの、大きく口を開けて真っ暗な喉奥を晒している洞窟の内側には、落石などほとんどない。
 どう考えても、誰かが何かの目的で隠した場所だと考えるのが常識だ。
 そうなるとこの島は無人島ではなかったか、それともどこぞの海賊の『宝島』か。
 おれが考えたことをマルコも考えたのか、ちらりと見やった先でマルコが同じくこちらを見る。
 数秒のあとにお互いに頷いて、おれとマルコはそろって洞窟の中へと足を踏み入れた。
 封じられていた洞穴は、しっとりとかびた匂いが充満している。
 松明を持っていないが、少し暗くなったところでマルコの片手が炎を零して、おれ達の足元を照らし始めた。

「お前のそれ、便利だよな」
「こういう使い方するもんじゃねェだろい」

 おれの好きな青い炎を零す掌を見つめて言うと、マルコがため息を零す。
 マルコの片手に持ってきた棒のうちの一本を押し付けて、おれ達は周囲を軽く検めながらさらに奥へと進んだ。
 洞穴は深い。曲がっている感覚は無いが、島の反対側まで続いているのだろうか。

「こういうのは、どこかに宝箱があるとか、罠があるってのがセオリーだよなァ」
「宝箱はともかく、罠は遠慮したいねい」

 面倒くさそうに声を漏らしながらも、マルコは周囲の注意を怠っていない。
 青い炎がおれとマルコを照らしていて、それに助けられて足を運びながら、なんだよ、とおれは軽く笑った。

「この間罠の外し方を習ったんだよ。おれの腕前を見せるいい機会じゃねェか」
「いらねェから、あぶねえことはするなよい。お前はすぐに何かやらかすから、毎回心臓に悪ィ」

 どうやらおれのことを心配してくれているらしい相手に、はは、と笑い声を零す。
 心配性だな、なんて笑いながら言葉を放ったところで、不意にふっと青い灯りが消えた。

「え?」

 驚いて足を止め、後ろを振り向く。
 しかしあたりは真っ暗で、一緒に歩いてきたはずの相手の姿はどこにも見えない。

「マルコ?」

 戸惑い名前を呼びかけてみても、気配すら感じなかった。
 どく、と心臓が嫌な音を立てて、背中が冷え切っていくのを感じる。
 何かあったのか。どうして返事をしないのか。

「マルコ!」

 焦りに上ずった声でその名前を呼ぶと、唐突に真っ暗だった視界が明るくなった。

「…………っ!?」

 あまりの唐突さに瞳がついていかず、目を眇めて片手で目元を隠す。
 しんと静まり返っているはずの洞窟の中で、わずかに草のこすれる音が聞こえて、おれは恐る恐る目元から手を外した。
 そして、どうしてか目の前に広がっている鬱蒼とした森に、目を丸くする。

「……は?」

 口からは間抜けな声しか出てこない。
 思わず周囲を見回したが、おれはどうやら鬱蒼と生い茂る森の中に佇んでいるようだった。
 おれ達があの崖にたどり着くまでの間に通った森に似ているようだが、違うような気もする。
 空を飛べたら俯瞰から確認できたかもしれないが、おれにそんな能力は無い。
 冷や汗が頬を伝うのを軽く拭って、手元の棒を握りしめる。
 意味が分からないが、とにかく今は、はぐれた相手を探さなくてはならないだろう。
 来た道を戻るというのが通常かもしれないが、振り向いた後ろにあの洞穴は存在していない。
 迷子は動かないでいるのが一番だが、この場合は目印でもつけながら動いた方がいいに違いない。
 一度息を吸って、そして吐いて深呼吸をしてから、ひとまず足を踏み出す。
 繁みを確かめて、危ない生き物がいないことを確認しながら、少しずつ、少しずつ。途中で木の枝を折り、同じように木の枝が折られている箇所がないかを確認する。
 ほんの三十分前にしていたように周囲を確認しながら歩みを進めていたおれは、遠くで獣が放った遠吠えに身を竦めた。
 狼か何かがいるんだろうか。

「群れに遭遇しねェよう、気を付けるか」

 呟いて、さらに足を動かす。
 しかし、その途中で何かが走ってくることに気付いて、おれは迷わずすぐそばの木に登った。
 太い枝に腰を落ち着け、注意深く下を観察する。
 おれが見ている先で、がさがさと茂みをかき分けていく小さな何かがいた。
 あまりにも小さいせいで、茂みからはほとんどその姿が確認できない。
 少し離れたところからはけたたましく吠える動物の鳴き声がする。どうやら、茂みの中を行く小さな生き物を追いかけているようだ。
 これは動物達の狩りに遭遇してしまったらしい、と把握して、おれはため息を零した。
 何匹いるか分かったものじゃないし、相手をして体力を消耗したくない。できれば、群れには気付かれずに済ませたいものだ。
 そんな考えは、茂みの途中でどか、と木にぶつかったらしい小さな何かが上げた悲鳴で、見事に吹き飛んでしまった。

「いた……っ!」

 何せ、それは人間の声だったのだ。





 狩りをしていた獣達は、それはもう凶暴だった。
 狼なのか虎なのかはっきりしてほしい風貌で、棒でどれだけ打ち据えてもとびかかってこようとする相手をどうにか全て弾き飛ばした時、あちこちをひっかかれたり軽く咬まれたりしたおれは、なかなかにボロボロの風貌になってしまっていた。

「だ、だいじょーぶ?」

 しかしまあ、こちらを見上げて涙目の小さな子供が目の前で食われたかもしれないことを考えれば、このくらいどうってことないだろう。
 別におれは正義の味方なんて格好いいものじゃないが、子供を犠牲に自分だけ助かるような屑にはなれない。

「大丈夫だよ、坊主」

 それを見下ろして軽く笑い、手早く自分の手当てをする。
 歩けないほどじゃないし、あとは船に戻ってから治療してもらえばいいだろう。
 黒檀の杖を持ってきてよかったと、大活躍だった相棒をちらりと見下ろす。
 ひとまず動物達を追い払った後、おれは子供を連れて川沿いまで移動していた。
 この島はそれほど大きくなかったはずだ。
 あの崖のことを考えると、上るよりも下った方が海に近付けるだろう。
 島の端までいけば、後はのろしでもあげて発見を待つことができる。
 丁寧に手を洗ってから立ち上がると、おれの動きに気付いた子供が慌てたようにおれのズボンを掴んできた。
 怯えの目立つその顔を見下ろして、なに慌ててんだよ、と軽く笑う。
 形のいい丸い頭のてっぺんに柔らかな髪が乗っていて、滑らかな後頭部がそのまま地肌をあらわにしている、という少し特徴的な髪型をしている頭を軽く撫でると、子供はその強張った顔を少しだけやわらげた。
 眠たげなまなざしと言い、この髪型と言い、誰かに似ている。
 しかし誰に似ているんだったかなと、おれは軽く首を傾げた。
 頭の端に靄がかかっているような、奇妙な感覚だ。
 さっきまで誰かと一緒だったはずなのに、それもうまく思い出せない。
 とても大事な相手だったはずなのに、名前すらも出てこない。
 はぐれた相手を探したいが、呼ぶべき名前も出てこないとすれば、どうやって探せばいいんだろうか。

「んー……」

 声を漏らしたおれの傍で、こちらを見上げた子供が首を傾げる。
 可愛らしい仕草に軽く笑ってから、よし、と軽く頷いた。
 ひとまず手元の棒を使って、自分達が座っていた川沿いの土にがりがりと矢印を描く。
 はぐれた相手を今すぐ探したいが、やるならこの子供を船に預けてからの方が良いだろう。
 おれ一人で探した方が効率がいいし、何よりこんな小さな子供を付き合わせるのは可哀想だ。
 じわじわ迫る焦りを無視してそんな常識的なことを考えて、一つ深呼吸する。

「……よし、行くか」

 そう決めて促すと、子供がもう一度首を傾げた。

「どこいくのよい?」

 妙に特徴的な語尾がついているが、癖なんだろうか。
 子供を見下ろしてそんなことを考えつつ、川下だとそれに答える。
 おれの答えに眉を寄せて、子供が口を動かした。

「カワシモいって、どうすんだよい?」
「海沿いに出られたら、後はのろしを上げて助けを呼べるからな」

 言いつつ、持ってきていた道具を腰布から取り出して見せる。
 その途中でころりと落ちたガラスの小瓶を、子供の両手が受け止めた。
 中に入っている小さな紙を、その目が不思議そうに見つめている。

「……これ、なによい?」
「ん? そりゃあビブルカードだよ」

 寄越された言葉に答えて、おれは緩んだ腰布へ道具を戻しながら結び直した。
 見下ろした親父のビブルカードは、少しゆったりとした動きで一か所を示している。
 どうやら川下の方向へ行けば、そのままモビーに出会えそうだ。
 不思議そうな子供へと手を差し出すと、子供がぎゅっと小瓶を抱きしめた。

「これ、ダイジなもの?」
「おう。おれの親父がいる方向が分かるようになってる、大事なもんだ。返してくれ」

 頷いて催促すると、やだ、と何ともひどい言葉が子供の口から転がり出る。
 目を丸くしたおれの前で、子供はごそごそと自分の服の下に小瓶を隠してしまった。

「おい、坊主」
「やあよい」

 声を掛けたおれをよそに、子供が服の上からぎゅっと小瓶を抱きしめている。
 見知らぬ大海賊のビブルカードに何を執着しているのかと目を瞬かせたおれを前に、子供がその目をじっと向けてきた。

「……これ、かえしてほしかったら、ずっといっしょにいろよい」

 おずおずと、小さな声がこちらへ寄越される。
 放たれた言葉に、子供が何を言いたいのかに気付いたおれは、何言ってんだ、と軽く脱力した。
 伸ばした手を、びくりと怯えるように身を引いた子供の頭に乗せて、もう一度無理やりその頭を撫でる。

「言われなくても置いてかねェよ」

 こんな森の中に子供を放り出して、さっきのように獣に追いかけられてしまったら、今度こそこの子供は連中の腹の中だ。
 可哀想なことこの上ない想像をしてしまって身震いしたおれは、それからひょいと子供から手を離した。
 子供は信用できないとでもいうようにこちらを睨んでいて、その両手はまだしっかりと服の上から小瓶を抱え込んでいる。

「分かったよ……仕方ねえ奴だなァ」

 必死な様子に、おれは小瓶を今取り返すことを諦めた。
 この分では、『約束する』と言ったところで子供は小瓶を返しちゃくれないだろう。
 後で使うから見せてくれよな、と言葉を置いて、それから子供を促して歩き出す。
 子供はこちらをうかがうように見上げていて、歩き方がぎこちない。

「ちゃんと足元見ろって、転ぶぞー」

「ころばないよい! あっ!」

 おれの言葉に眉を寄せ、明らかに怒った顔で主張してきた子供は、まるでお約束事をなぞるかのようにその場で足を滑らせた。
 その体が川へと傾き、そのことに目を見開いたおれも手を伸ばす。
 しかし間に合わず、子供は先に川へと着水した。
 一瞬その体が見えないほど沈んだのは、川が予想外に深いからだ。

「おい、坊主!」

 慌てて声を掛けながら、川沿いを走る。
 流される子供は一度、二度と浮き沈みを繰り返して、助けを求める声すらも上げない。
 もしかしたら泳げないのかと思い至り、おれは手元の棒を放り出して川へと飛び込んだ。
 流されていく子供を追いかけるが、なかなか追いつかない。
 追いついたところでどうにかできるのかとか、そんなことを考える余裕すらもなかった。
 必死になって水を掻き、子供の方へと近寄る。
 手を伸ばして、あともう少しで子供の体に手が届く、と言ったところで、急に目の前に迫ってきた岩がおれの頭にぶち当たった。





「……おい、ナマエ」

 ぺちぺちと、何かがおれの頬を叩いている。
 それに気付いてゆっくりと目を開けると、のんきに寝てんじゃねェよい、と真上から声が落ちた。
 ぼんやりとしていた視界がやがてはっきりとして、目の前にこちらを見下ろす男がいることに気付く。

「……あれ、マルコ」

 その顔を見上げて、ぼそりと名前を呼んだ。
 それからすぐに、慌てて起き上がる。

「坊主は!?」

 声をあげてきょろきょろと周囲を見回したが、薄暗い周囲に子供はいない。
 それどころか、すぐそばにあった壁に目を瞬かせてしまったおれは、それを辿るように天井を見上げ、そうして反対側まで続く壁を視線で辿った。

「……洞窟?」

 マルコが零す青い炎で照らされたそこは、まさしく洞窟だ。
 川も森も、どこにも見当たらない。

「お前も、変な夢を見たんだろい」

 言葉を落として、マルコが軽くため息を零す。
 さっさとここを出るぞと促されて、頷いたおれは立ち上がった。
 そうしながら少し体を触って確認してみるが、おれの体にはあの獣達と争った時の怪我も無ければ、濡れている感触もない。

「……夢、なのか」

 どうしようもなく現実感があったが、あれは、夢だったのか。
 そうだとすれば、川に落ちた可哀想な子供はいなかったということだ。
 そういえば、あの坊主は見た目といい口調といい、随分とマルコに似ていた。おれの頭が勝手に作り上げた幻だと考えれば、納得がいく。
 その事実にほっと息を吐いたところで、おい、と声が掛かった。
 視線を向ければ、先に歩き出したはずのマルコが、足を止めてこちらを見ている。

「何してんだ、さっさと行くよい」
「待てよ。奥にお宝があるんじゃねェのか」
「誰かさんが寝こけてる間に見てきたが、ただの行き止まりだったよい」
「えー」

 近寄りながらそんな会話を交わして、骨折り損じゃねェか、と声を漏らす。
 まったくだ、と頷いたマルコは、おれと並んで歩みを再開させながら、もう一度ため息を零した。

「二人そろって急に寝るなんて馬鹿な話があるとは思えねえし、後で調べに来るにしても何人か外で待機させた方がよさそうだよい」
「ああ、この苔とか、怪しいよなあ」

 マルコの照らす洞窟内に生えたものに手を伸ばして、軽くこそぐ。
 変なもんに触ってんじゃねェよいとすぐさまマルコから言葉が寄越されたが、おれは気にせずそれを瓶にでも収めようと腰布に触れて、そしてそれから首を傾げた。

「あれ? マルコ、ちょっと待ってくれ」
「ん?」

 おれの言葉に、マルコが怪訝そうな声を出す。
 それを見やり、立ち止まったおれはそのまま後ろを振り向いた。

「親父のビブルカードと棒、落としたみてェだ」

 相棒はともかく、親父のビブルカードは探したい。
 さっきのところかな、なんて言いながら戻ろうとするのを、伸びてきたマルコの手が人の服を掴んで引き留める。

「探すにしても後でだ。そろそろ探索の時間も終わりだよい」
「いや、でもな?」
「また急に寝ちまったらどうすんだよい」

 大事な小瓶を落としたおれへそう言いながら、マルコの手がぐいぐいとおれの服を引っ張る。
 後ろ向きに転びそうなほど引っ張られて、おれは仕方なく、捜索を後回しにすることにした。





 おれとマルコが船へと戻った時には、予定の時間を少し過ぎていた。
 鉱石の話もして、第二陣が食料調達に乗り出していくのを見送ってから、軽い昼食をとる。
 食べ終わったらさっさと食料調達がてら親父のビブルカードを探しに行きたいのだが、洞窟の中でぶっ倒れたという話をマルコが正直にしたために、その予定は却下されてしまった。
 船医に頭をぶつけていないか調べられ、おれがつまんだまま持ち帰った苔は詳しい奴の手元へと引き取られて、本日のおれとマルコはこのままモビーディック号に缶詰だ。
 一応、二日酔いから回復したらしいサッチに『探してきてくれ』とは頼んだが、見つけてきてくれるかはまた別の問題である。

「つまんねー」

 大人しくしてろと言い含められた昼下がり、昼食の後だらだらと過ごしていた船室の一つの中で、声を漏らしつつ伸びをしてから、ちゃり、と音を立てた首元の鎖に、もう一つ自分の予定があったことを思い出した。
 あ、と声を漏らして視線を向けると、すぐ傍らに座っていたマルコがこちらを見る。

「何だよい」

 軽く眉を寄せた相手に、ひょいと掌を差し出す。

「あの石、加工して暇つぶしするから貸してくれ」

 自分が持って帰った石は、鑑定が趣味の奴に渡してしまっていた。
 別に一つくらい取り返してきてもいいが、マルコが一番上等な奴を持っていた筈だ。
 おれの言葉に眉を動かしてから、思い出したらしいマルコがその手で自分の服をあさる。
 それからおれが言った鉱石を掴みだして、どうしてかその体が少しばかり強張った。

「マルコ?」

 どうしたんだ、と声を漏らしつつ傍らからその掌の上を覗き込んで、おや、と目を丸くする。
 何があったのか、マルコの手の上の鉱石は、おれが渡した時より少し欠けてしまっていた。
 おれの知らないところで転びでもして割ってしまったんだろうか。
 青に白の混じる断面図が、割れたことでキラキラと光を反射している。

「あーあ」

 声を漏らしつつひょいとマルコの手から石をつまみ上げると、マルコがちらりとこちらを見やってきた。
 失敗を見られたガキみたいな、気まずそうなその顔を見やって、にやりと笑ってやる。

「仕方ねえなマルコくんは。おれがきれいに整えてやるから、そんな顔するなよ」

 そちらへ向けて言葉を放つと、おれのそれに少しだけ虚をつかれたような顔をしたマルコは、それからすぐにその口元に笑みを浮かべた。
 少しだけ安心したような、緩んだその顔は何度か見たことがある筈なのに、どうしてか初めて見たかのような気持ちになる。
 どきり、と胸が高鳴ったのを感じて、自分の変化に焦って手元の鉱石を握りしめた。
 マルコはそれに気付いた様子もなく、やれやれと言わんばかりに首を横に振る。

「何を偉そうに言ってんだよい、ナマエの癖に」
「うわ、すぐさま偉そうだな! そんな態度だと、ペンダントにしちまうぞコレ」

 おれとお揃いだからな、と言葉を投げると、好きにしろと肩を竦められる。
 そのまま椅子を立ち上がったマルコが部屋を出ていくのを見送ってから、おれは改めて手元のものを見下ろした。
 マルコはまるで興味なさそうだし、本当にペンダントにでもしてやろうか。
 しかし、胸の入れ墨を見せびらかしたいマルコが、それに重なるような装飾品を身に着けるとは思えない。
 いっそチョーカーか、なんて考えつつ手元の鉱石をくるくると回してから、あれ、とおれは声を漏らした。

「……やっぱり似てるな?」

 手元の石に入る模様が、やはりおれの持っているものに似ている。
 同じ石だからと言えばそれまでだが、それにしたって似すぎているんじゃないだろうか。
 不思議に思ってペンダントを外したおれは、両手に物を持ったままで部屋の端へと移動した。
 ほったらかされている工具の中から細かい作業に使うものを引っ張り出して、自分で作ったペンダントの裏側の金具を外す。
 拾ったそれをそのまま残しておきたかったおれは、石を肌身離さず持つためにそれをそのままペンダントの中に閉じ込めた。
 中に入っている石は拾った時とほとんど形が変わらず、ころりと出てきたそれを片手でつまみ上げる。
 それから、なんとなく手元のものをそっとくっつけたおれは、お互いがお互いの欠けた場所にぴったりとくっついたという事実に、目を大きく見開いた。

「…………は?」

 訳が分からず、一度離してからもう一度くっつけてみる。
 しかし事実は変わらず、まるで二つはもともと一つであったかのようだ。
 だが、そんな筈がない。
 おれの持っている石は何年も前におれが拾ったもので、マルコの鉱石は、おれが今日この手で手渡したものなのだ。
 その二つが、同じものだなんてこと、ある筈がない。
 非現実的にもほどがある。
 いったいどこで何が起こったらそんな馬鹿な話になるというのか。
 もしも本当にこの二つが一つの石だったというのなら、それはすなわちマルコが。

「ナマエ?」
「うわ!」

 ぐるぐると回った考えに没頭していたところに声を掛けられて、びくりと跳び上がった。
 持っていた石を片方落としかけて、慌てて握り込む。
 それからすぐに振り向くと、いつのまに戻ってきたのか、不思議そうにこちらを見下ろしたマルコが立っていた。
 その両手にはカップを持っていて、どうやら飲み物を持ってきたらしいということが分かる。
 椅子に座ればいいのに、わざわざおれの傍らに座り込んで、マルコの手がおれへとそれを差し出した。

「飲めよい」
「お、おう。ありがとな」

 ひとまず受け取り、引き寄せたそれを口に含む。
 熱い気がするが、今はそれどころじゃない。
 乾いていた喉を少しだけ潤して、カップを置いて工具の横の細工用の資材をいくつか適当に漁りながら、おれはマルコの方を見ずに問いを投げた。

「そ……そういや、マルコはどんな『夢』を見たんだ?」
「何だよい、急に」

 唐突すぎるだろうおれの問いに、マルコの方から怪訝そうな声が返る。
 それを聞いて、いやほら、おれが起きたとき言ってただろうとおれは言葉をそちらへ投げた。

「『お前も変な夢を』って言ってたからさ。おれは、動物に襲われてる子供を助けるっていう、正義の味方みたいな夢だったんだけど」
「なんだそりゃ、願望が現れてるねい」
「しかもおれが助けたガキはお前そっくりだった」
「ナマエに助けられるなんざ、ありえねえだろい」

 けらけらと笑い飛ばして、マルコの背中がおれの傍で壁へと押し付けられる。
 そしてそれから、確か、とその口が軽く動いた。

「おれも人助けをしてたよい。崖から落っこちてきたガキを助けて」
「へ、へえ」
「そういや、『大事にするから結婚して』とか言われたが……ありゃあナマエのせいだよい」
「えっ」

 言葉の途中でなじるような声を出されて、思わず身を竦める。
 慌てて視線を向けると、洞窟に入る前に変な話をしたからだと、マルコは眉を寄せて口を動かした。

「おかげで、どこの馬の骨とも知らねえ坊主にプロポーズされちまっただろい。男のおれが」
「いや……お前の夢の中身までは責任とれないだろ……」

 どうにか口から言葉を絞り出したが、震えていないという自信がない。
 マルコの言うことが、どんどんおれの『予想』を裏付けてしまっている気がする。
 まさか。そんな馬鹿な。
 そう叫びたいが、そんな常識的な言葉を一蹴してしまうのが偉大なる航路だということは、おれだってよく知っている。
 青い炎。おれを助けてくれた火の鳥。火の鳥から人の姿になった、命の恩人。
 もう顔も声も思い出せないはずの相手が、傍らの男と重なってしまう気がして仕方ない。
 そして何より、それが『嫌じゃない』というのは一体どういうことなんだろうか。
 おかしい。だって、相手はマルコだ。
 『家族』で、『兄弟』で、『仲間』だ。
 困惑と、それ以外がぐるぐると体の中に渦巻いている。
 どくどく跳ねる心臓には、もう少し落ち着いてほしい。

「……その、坊主。なんて名前だったんだ?」

 死刑を待つ囚人の気持ちで、ぽつりと相手へ問いかけを贈る。

「…………ああ、そういや聞き忘れたねい」

 なんつったんだろうねい、なんてのんきな言葉を零しておれの傍らで笑ったマルコに、名前くらい聞いとけよと拳を握ってしまったのは、間違いではない筈だ。
 もしやおれの『夢』も現実が入り混じっていたのか、と言うことにも思い当たってしまったが、どこぞの馬鹿なガキがプロポーズなんてした所為で、確かめるなんてことは出来そうになかった。

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