意馬心猿
※らいちさんより/佐かす/戦国

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大将から命じられていた織田の偵察。

今日も無事に任務を終えて、織田の居城、安土城を後にする。


敵に一切気配を察しられることもなく、完璧にこなす事が出来た。

さて、情報も幾らか入手し、あとは大将へ偵察の報告を済ませるだけだ。






ようやく帰路についた俺の足取りは軽やかだ。

やっと任務から解放されるんだからな。

早々に帰って体を休めたいものだ。



俺は道具の一つも落としていない事を改めて確認し、装束を整え、背負ったかすがをもう一度よっこらと背負い直して――――



「………。」



背にだらりと凭れ掛かったかすがは、目も閉じたまま、ぴくりとも動かない。



「………。」



…さて、何故このような状況になっているか、少し説明をさせてもらおうか。




まず織田の城に忍び入った俺だが、まぁ城への侵入は手慣れたものでね、難なく入る事が出来た。


天井裏からこっそりと城内の様子を窺っていたところ、隅に薄らと人影が見えたので、そっと近付いて見たらかすがだったと。


何故か特に何も無い場所で倒れていたので不審に思いつつも声を掛けるが反応なし。

肩を揺すってみてもびくともしない。

ますますワケが分からずに首を捻るが、とにかくこのまま置いて行くと危険だと思い、かすがを背負って城から出てきたという所だ。





かすがを発見してからしばらく経つが、まだ目を覚まそうとしない。

脈は正常だったので、おそらく気を失っているだけだとは思うが……。


詳しい事はかすがが目を覚ましてから聞くとして、今は帰路につく事だけを考えよう。





しかし困った事に、何度笛を吹いても俺様の愛しの鴉ちゃんが来てくれません!

あらら、困ったねェ。



仕方ないから徒歩で林の中を移動。

このままだと日が暮れてしまいそうだ。

早く帰りたいのにと溜息をつくも、成す術無し。


木々に覆われた空を仰ぎ見れば、夕陽によって染められた橙色の空。

これに雲が入り混じって、何とも言えない奇妙な色がつくり出されている。





不意に、風になびいたかすがの横髪が俺の視界に入る。

それが夕陽に照らされ眩く輝いたのを見て、俺ははたと足を止めた。



俺の肩に垂れさがってきている、透き通るように綺麗な長い横髪の一本一本が、夕陽によってさらに輝きを増して、きらきら華やかに煌めいている。

月から振り撒かれた光の粉でも舞っている様に感じて、俺は思わず見とれてしまった。



(綺麗、だな)



思わず触れたくなるそれをさり気なく手で梳いてみると、きめ細かな絹糸のように、指の間をさらりとすり抜けていった。


幻想的とも言える金色の髪を見ていると何だか時間を忘れてしまうようで、俺は何度も髪を掬っては流れるようにすり抜けていく糸に見惚れていた。


絡め取る度に、指を手のひらをくすぐる繊細な糸。

何時までも触れていたい、愛おしい金糸を弄ぶ程に、それに魅了されていくようだった。









――瞬時、冷たい風が俺の体を吹きつけていく。


現実に戻される様な冷風にぞわりと鳥肌が立ち、俺ははっと空を見上げた。


先ほどよりも暗がり始めた空。

雲が多いせいだろうか、日が隠れて一層暗く感じる。



夜が近いのだろう―――。

急がないと日が落ちてしまう。




いつの間にか止まっていた足を、再び前へと踏み出す。

静かな林中の空間に響くのは、地を踏み締める俺の足音と吹き抜ける風、ざわめく木の葉の擦れ合う音だけ。


北の方角から吹きつける冷たい風がひゅうひゅうと音を立てて幾度通り抜けていく。

こんな風にいつまでも当たっていると、体の芯から底冷えてしまいそうだ。


早く武田屋敷に戻らないと。

一刻でも、早く。





(それにしても…今日は一段と綺麗だな)



夕陽に染まった金色の美しさが頭から離れない。

…いつも見慣れている筈のかすがの髪が、これまでにないほど愛おしく感じたのである。


それは何故か?

単に夕陽の力だけではないような気もする。

では今の状況が関係してるのか?

こうやって背中ごしに密着してるからとか?

そんな馬鹿な。

…ま、確かに美味い状況だけどね――――…


おっと、今はこんな事を考えている場合ではないんだった。日が落ちてしまう。




俺の足取りは次第に早足へと変わっていく。


時間に急き立てられて落ち着きのない歩み。

容赦なく吹きつける冷たい風によって起こされる冷痛。

そして背中には吸い付くように柔らかな――――柔らかな――――――………えっ。




えっ?


ちょっと待って。


これはまさか――――





今まで気がつかなかったのが不思議なくらいだ。


俺の背中にこれでもかと押しつけられているのはかすがの実り豊かな両胸に違いなかろう。

ただでさえ豊満なそれが、歩みを進める度、俺の背にぎゅうっと強く押しつけられてくるのだ。



「……。」



先程の件で気持ちが高まっていたのが仇となったようだ。


じわりと浮んでくる、額の嫌な汗。

真一文字に保っていた口元が緩んでくるのも分かった。

徐々にではあるが体温が上昇してきている様な気もする。



――これは、まずい。



無言でのっしと歩みを進めるものの、打って変わって心中穏やかでない。

俺は深く深呼吸をすると、自分の胸にそっと手を添え、自身を落ち着かせるために頭の中で言葉を並べた。



(――だめだ落ち着け。そうだ、煩悩退散だ。頭で常に唱えとけ。煩悩退散、煩悩退散――――……)



自分に何度も言い聞かせてみるが、まるで煩悩と言う名の悪魔に唆されているかのように、俺の頭はよろしくない方向に働いて行く。



…ああ、頭の中で天使と悪魔が戦ってる。


ガチガチ槍でやりあって―――


あ、はい、悪魔が勝ちましたね。こんちきしょう!




煩悩の勝利。

俺の心拍数急上昇。

もうどうにでもなれ。




そうこうして意識し出すと、誘惑にさらなる誘惑が重なる。


突如耳元に飛び込んできたのは、薄く開かれたかすがの口から零れる、心地よさそうな寝息。

それが首筋当たりにふわりと当たって刺激される。


俺の背に身を任せて安心しきったように寝息立ててくれるのは嬉しい。

だが、この追い打ちはかなり効いた。



(…やべ、なんだこれ)



額から顎へと滑り落ちる汗が滴り落ちる。

先程まで冷風によって冷やされていた筈の体は、周囲の気温までもが上昇しているように錯覚するくらいの熱を帯びていた。

ひたすら前を見つめ続けていた目は泳ぎ始めて落ち着かず挙動不審。

背に柔らかな感触が伝わる度に上がっていく体温。首筋に寝息が掛かる度に飛び跳ねる心の臓の鼓動が鳴り止まない。

もう頭の中がかっかと熱されて(伊達から聞いた南蛮語で言うオーバーヒートという奴か)何だかワケが分からなくなってきた。

爆発する勢いだ。誰か助けてくれ。



(嗚呼…俺はどうすれば…)



辺りは次第に闇に包まれていく。

周囲には俺ら以外誰もいない。


美味い状況?

いやいや今の俺にとっては最悪だ―――



歪み始める理性を踏ん張らせながら、力強く、重い足取りで、地面を踏み締める。

が、かすがの寝息によって支配された俺の聴覚は、足音も拾えずに上手く機能してくれない。

目の前が目まぐるしくぐるぐると混ざり合う様な錯覚が生み出されて、俺の脳内はひたすら混乱していった。


まるで馬と猿が頭の中でどかどかと暴れ回っているような―――



逆上せあがるように火照った体から吹き出す汗が半端ない。

おいおい今何月だと思ってやがる。

冬を目前に控えてるような季節だってのに、俺の周辺だけ真夏が広がってるみたいだ。


くそ、この程度でか。

自分が情けねぇ。

泣きたくなってきた。




そんな最中、背負ったかすがが僅かだが身じろぎするように動いたのが分かった。

横髪がはらりと揺れて俺の首をくすぐり、その感触が全身にぞわっと走る。

その後何かうわごとでも呟いているかのような籠った呻き声が聞こえた。



「ぅ……んぅ………。」



吐息と共に零れた熱っぽい呻き声に、俺の体中を一瞬にして悪寒が走った。



『もうやめてくれ!!』



と、俺の理性が叫ぶ。



俺の頭の中は真白だ。







「うぅ………っ…んぁ……?………っ!!?うっ、うわあああああああああああ!!!!?」




突然の絶叫。

俺の鼓膜に突き刺さる大轟音。

何が起こったのか、一瞬分からなかった。


静かだった林の中に、叫び声が轟々とこだました。



「さ、佐助ぇぇ!!!!?な、な、何故……っ何故っこんな事に……!!?」



背中でじたばた暴れて、背負い込んだ俺の腕から逃れようとするかすが。


…ああ、どうやらかすがが目を覚ましたようだ――――。



「ば、馬鹿!!早く下ろせ!!!」



正気に戻った俺がかすがに振り向くと、かすがは怒りで顔を真っ赤にしていた。

俺の背中に身を任せて気持ち良さそうに寝息を立てていたかすがは何処へやら、すっかりいつもの元気なかすがへと戻っていた。



…なんだか安心した様な、残念な様な、微妙な気分。



「…あははー、いいじゃないの。里に居た頃を思い出すでしょー?」

「む、昔の話を掘り返さなくてもいい!!さっさと下ろせ!!!」



あまりにしつこく暴れてくるので、俺は仕方なしにかすがを背中からおろしてやった。

地に足を付けると同時に、俺から大きく飛び退いて距離を置き、物騒な事にこちらに向かってクナイを構え出す。


うん…まぁ、元気そうでなによりです。



「お、お、お前…何故このような事を…!?」

「あー、ちょっと待ってくれ。勘違いはするなよ。俺はただ、お前が織田の城ん中で倒れてのを見つけて拾ってやっただけだから。」

「え?」



いや、本当だからな。






「んー…。とりあえず、なんであんな場所で倒れていたのか説明してもらおうかな。」



頭の後ろで手を組みながら、実はまだおさまりきっていない波打つ鼓動に静まれと指令を送りつつ表情だけ平然を保ち、かすがに問いかけた。

幸い、かすがに俺の心情の穏やかでない事は感づかれてはいないみたい。


良かった。

ほっとした。

危うく安堵の息とやらが出てしまいそうになった。



かすがは宙に目を留めながら、記憶の曖昧な頭を何とか働かせて、出来事を振り返る。



「…謙信様の命で織田の城の偵察に来ていた。」



うん、そこは俺と同じなんだね。



「城へ忍び込んだまでは良かったのだが…天井裏の板が一枚浮き上がっていたのに気付かず踏み込んでしまってな。」



あらら、どじっ子。



「あ、足元が暗かったせいなんだ!……その板に足を引っ掛けて前へつんのめって…よほど頭の打ちどころが悪かったのか、そのまま気絶してしまったんだろう。」

「…敵に見つからなかったのが幸いだねー。」



ボリボリと頭を掻きながら、俺は斜め上の方角に視線を注ぐ。


情けない事に、かすがの顔が直視できない。

顔を向けると心情を悟られてしまいそうで。



「…そうか、お前が城の外まで私を連れ出してくれたのだな。すまない、世話になったな。」

「いいって、俺とかすがの仲じゃないの。」



にっこりと笑顔で少しからかってやると、途端にかすがは声を荒げて、赤い顔をこちらに向けてきた。



「な、何を言う!!私はお前など――――」

「はいはい、分かったって。落ちつきなよ。」




俺もいい加減落ち着けよ!!なあ!!

自分でも笑える、この表と裏のギャップ。




「………ちっ。」



かすがは軽く舌打ちをかますと、空の方に向かってピュウッと笛を吹いた。

そのすぐ後、近くの木から飛び立ったのはかすがの連れの梟。

純白の羽を羽ばたかせてかすがの元へと降り立って来た。


…まさかこいつ、俺の様子をどこかの木からずっと見てたんじゃないだろうか。

そうだとすると少し恥ずかしい。



かすがの腕に梟がとまると、かすがはそいつの首の辺りを指先で撫でながら、ほんのり朱の差した頬のままこちらに目をくれた。



「…今回は助かった。感謝する。じゃあ、またな。」

「あ、ああ…じゃあな。」



ばさりと羽を広げた梟の足に掴まり、かすがは颯爽と俺の元から飛び去ってしまった。





だいぶ暗くなってしまった闇の中に、ひと際目立って輝く金色が、ゆっくりと姿を消していく。

俺は彼女の姿が闇の中に飲まれるまで、じっと見送った。





かすがの後姿が完全に見えなくなると、俺は力の抜けたように、近くの木にどっともたれ掛った。


未だ高い体温と、おさまりを知らない鼓動。


ついさっきまでかすがの立っていた辺りを見つめて、思わず込み上げる笑いを手で押さえ込んだ。



「はは…何てこった。まさに意馬心猿、ってか。」







夕陽に染まっていた空は、すっかり闇に染まって、薄く月も見え始めている。



溜息をつきながら、遥か上空を仰ぎ見て、暗闇目掛けてぽつり。




「…ところで俺の鴉さん、お迎えはまだですか。」






大将、もうしばらく帰れそうにないです。


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「神楽月」らいちさんより相互記念にいただきました^^
お預けくらった佐助ぇぇぇぇぇぇ!!!
すみません、叫んで(土下座)
とても素敵な作品ありがとうございます!!
今後共宜しくお願いしますね!!

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