ゆらゆらと揺れる頼りないそれは、先ほどからちらちらと俺の視界に入り込み、意識を散漫にさせる。
少しでも動くたびに、それこそ呼吸ひとつで揺らめくそれは、ちろちろと赤く見える舌を連想させて、どこか誘っているようにも見えた。


「おい」
「ん?」
「やれよ、勉強」


折角訪れた自習の時間は、まったくもってありがたいことに、教師お手製のワークプリントが配られた。各々席を移動したり、互いに助け合ったりはしているものの、終わらなければ残りは宿題とあって、みな真剣に取り組んでいる。
それは俺達も外れず、野球部3人に混ざり、4人で(実質、8割を泉が解いていたが。もちろん、残りの2割は俺だ)プリントに並んだ奇怪な数列を解いていた。


ぼんやりと意識を飛ばしていた俺に注意を促したのが泉だ。
それもそうだろう、たとえ2割であっても、10割と8割の差を考えればないよりましだ。泉だって俺が大して役に立たないことはわかっていたが、1対3の10割対応はしかねたのだろう。


「ああ、うん…ごめん…」


生返事を返すものの、依然、目の前のそれは俺の視界をちらついて仕方ない。振り子のようにも、まるで生き物のようにも見える。


ゆらーり、ゆらり、ゆらゆらり。


伏せられた長い睫毛の延長で、からかうかのように揺れ続ける。それこそほんの僅かな仕草だって見逃さないとでも主張しているようだ。
難解な数列に小さなため息を吐いたとき、ほんの少し首を傾げたとき、呼吸でそっと胸が上下したとき。ぷらぷらとそれは絶えず宙を遊び続ける。
まるで空中ブランコだ。重力などないかのように、自由に宙を飛び続ける。けれど、どこまでも自由であるように見えて、いつまでも解放されることはない。矛盾している。


「おい浜田。やれっつってんだろ。オレに全部やらす気か」


またしても意識を飛ばしていた俺に、泉が不機嫌さ前回の顔と声音で俺を咎めた。自習とはいえ仮にも授業時間中だから控えめな声量だが、眉間にきつく皺をよせ唇を尖らせている。結構なレベルでご立腹らしい。
泉のプリントを覗くと、既に半分が解き終わっていた。俺はと言えば、まだ頭の3問。情けない作り笑いを浮かべて、終わりから解くと告げれば、渋々納得したようにまた泉の視線はプリントへと戻る。
半透明の白いそれが、俺を嘲笑うかのようにころりと揺れた。


いつまでも俺の意識を捕えて放さない。それは、



気になるあの人の第2ボタン。





〜〜〜おまけ〜〜〜


「ねえ泉」
「なんだよ」
「あのさ」
「なに」
「その」
「早く言えよ!」


先程から目の前のプリントには全く意識を注がない浜田にいらついていたというのに、何とも歯切れの悪い喋り方をされてついに堪忍袋の緒が切れた。思わずドンと拳で机を鳴らせば、びくっと三橋が肩をすくめた。その横で何ともないようにただひたすらに俺の回答を写しているのは田島だ。
まるでそれが当然とでもいうように俺の回答を丸写しているこの問題児2人を抱えているというのに、目の前の金髪まで問題児の仲間入りなんてごめんだ。仮にもコイツは一度同じことをしているのだから。


痺れを切らした俺に少し驚いたのか、きょとんと目を丸くしていた浜田だったが、すぐにへにゃりといつもの情けない笑みを浮かべた。


「だから何なんだよ」
「いや、それが、気になっちゃって」
「は?」
「それ」


そう浜田が指差す先には俺。…の、首元というか胸元というか。ちょうど境目の鎖骨のあたり。
まさか先日の名残がまだ残っているのかと、思わずがばりとワイシャツを掴んで、その意味を知る。


「…あ?」
「ね、取れそうでしょ」


指の合間に絡まる細い糸と揺れるプラスチックの感触。ああ浜田は取れそうで取れないこのボタンが気になって仕方なかったのだ。
そう理解すると、まったく違う方向へ心配してしまった自分が恥ずかしくなり、カッと顔が熱くなった。


「それさ、次の休み時間に直してもいい?」
「いいけど…どうやって直すんだよ」
「え、脱いで?」
「ふざけんな」


当然と言わんばかりに言ってのけたその唇を縫い閉じてやりたい。それじゃあ公然わいせつ罪だ。そうさせる浜田も、そうしてしまう自分も。そんなのいい被害者だ。やってられるわけがない。


「じゃーボタン1つ余分に開けてくれればいいからさ。もーさっきから気になって気になって仕方ねーの」
「はいはい。終わったらな。お前ちゃんと解けよ」
「へーい」
「…お前ほんとに解く気あんの」


都合が悪くなると生返事を返す浜田に呆れながらも、どうしようもないお節介にくすりと笑みが漏れた。


(ほんっとに貧乏性っつうかなんつうか…)


そうやって他人のことばかり気にかけて他人を気遣って他人のためにばかり動く浜田は、嫌いじゃない。
誰にでも気を配る浜田が、誰よりも一番自分を気にかけてくれていることも、そんな浜田が自分にだけ気を抜く瞬間を見せることも、くすぐったい嬉しさがこみ上げる。
それだから、どうしようもないと思っていても結局、愛おしく思ってしまうのだ。


カリカリとわら半紙の上を亜鉛を走らせる。
きっと乾いたチャイムの音が響くと同時に、どこからともなく携帯裁縫セットを取り出し、つけなおし始めるのだ。それを想像するとまた口元に笑みがこぼれた。


"ね、泉"


声帯を震わせることなくそっと、浜田が耳元に囁いた。声にならないそれは吐息ばかりが鼓膜を掠めてくすぐったい。思わず肩をすくめてしまった。


"さっきの、こないだのアレだと思っちゃった?"


でれたやらしい笑みを満面に浮かべた頬を、容赦なくひっぱたいてやった。




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