※浜田の切ないpossible worldです




















茜色に染まるグラウンドは、東から迫る濃紺に今にも飲み込まれそうだった。
秋の行事を終えてしまうと、日の落ちる速度は格段に早くなった。夕方の6時にもなってしまえば、あたりは見づらくなるほどの夕闇に包まれる。
夏大前には照明のあるところで行っていた身体作りも、オフシーズンを理由になくなっていた。つまり、野球部も他の部活と同じような時間に帰れるようになったのだ。
冬の間の短い期間ではあるけれど、俺にとってそれは大きな変化だ。なぜなら、教室で少し時間を潰せば泉と一緒に帰ることができるのだ。


今日付けで出された課題に手を出しつつ、迫り来る時刻をひたすらに待つこの瞬間は、わくわくと胸の弾むような心地と、今か今かと焦がれる心地とが入り交じる。
夕日の差し込む教室からでは、野球部の練習しているグラウンドは見えないけれど、それでもなんとなく落ち着かなくて何度も何度も窓の外を見てしまう。
ひたりひたりとゴムの擦れる音が聞こえれば、ガラリと手荒く扉を開けるいとおしい姿が見えるのではないかと期待してしまう。
つまり、泉のことが気になって気になって仕方ない。
もちろん、そんな状態で課題が進むはずもなく、申し訳程度に開いたノートにはたった数行の文字しか連ねられていない。これではまた泉に文句を言われるだろう。課題が進んでいないことを指摘される度に馬鹿だからわからなかったなどと答えているが、本当は泉を待ち望むあまりの結果なのだ。酷く冷めた目を向けられそうで、真実は告げていないが。


そう馬鹿なことを考えていると、遠くからゴムの擦れる音が聞こえてきた。頭のずっと後ろのほうから聞こえてきたそれは、次第に側頭部からこめかみ、耳元、そして鼓膜へと近づいてくる。
あと三歩、二歩、一歩。
カウントとぴったり同じにゴム擦れがやむと、かわりにガラリと車輪の軋む音がたった。言う迄もなく、音をたてたのは待ち焦がれた姿だ。
乱暴に引き戸を開けるその姿は仁王立ちにも似ていて、ただ扉を開けただけだと言うのに急いで従わなければならない気にさせる。


「お疲れ」
「帰るぞ」


相当ハードな練習をしたのだろうか、俺の課題に文句をつけることすらなく、疲れた様子で帰宅の合図を告げた。
普段であれば多少疲れていても、その大きなプライドが許さないようで、疲れた様子を見せようとはしない。歩くのがかったるくても、喋るのが鬱陶しくてもそれを表そうとはしない。いや、会話においては、日頃から鬱陶しさを全面に押し出しているために気付いていないだけかも知れないが。
そんな泉が疲れを隠さずにいることは大変珍しいことであり、何かあったのではないかと疑ってしまう。


「どしたの?体調悪い?」
「ちげーよ、ただ疲れてるだけ。今日、最後の最後にすげぇ走らされた」
「でも珍しいね、泉がそんな疲れるなんて」
「みんなボロッボロだぜ。あの田島ですら黙って着替えてたかんな」
「…それは相当お疲れのようで…」
「だろ」


返事一つするために口を開くのですらかったるい様子で重たい筋肉を動かす横顔は、意外にも上機嫌だった。前髪の隙間から覗いた瞳は瞬き、輝きに満ちている。疲れを隠せないほど練習でくたくたなのに、その瞳は楽しげに揺れていた。


その肉体とは相反する瞳の強さに違和感を覚える。疲れることが大嫌いなはずなのに、待ち遠しくてたまらない、楽しさが溢れてたまらないというような姿は、まるでおもちゃに夢中の子どものようだ。それは泉がその身体その気持ちすべてで、練習を楽しんでいることを表していた。


ふと少し前をゆくその背中が、霞んで見えた。疲れているにも関わらず次々と絶え間なくこぼれてくる言葉が、遠く耳に反響した。いつも暴言や辛辣な言葉ばかり投げ付けてくる泉が、弾むような声音で楽しげに、自分に向かって言葉を注いでくれているのに、心に留まることなくさらりと鼓膜を撫でて流れ出てしまう。
用語や状況がわからないわけではない。何年も自分も同じグラウンドの上にいたのだ。それにも関わらず流れゆくのは、その話題がフェンスの向こうの話だからであろう。


気が付けば爪先が向かうというほどに身近だったその空間は、今や遠い他人の世界へとなりかわっていた。
泉と再会して、こうしてまたその眩しい世界との繋がりを持つことにはなったものの、グラウンドの上とスタンドではまるで別世界だ。スタンドが不満なわけではない。スタンドにはスタンドでしか感じられない、心を揺さ振られるような感動がある。
しかしそれと同様に、グラウンドにはグラウンドの上でしか見られない、眩しい世界が存在しているのだ。


きっと、まったくグラウンドの上の世界を知らなければ、泉の口からこぼれる言葉より、やんわりと思い浮かべては夢を馳せることが出来たのだろう。けれど、一度でもこの目で、足で、耳で、全身で感じてしまった眩しさが、それを邪魔していた。
中途半端によみがえる記憶が苦く滲み出る。じわじわと全身に広がるそれは、感覚を鈍らせた。


「浜田?」


合いの手すら打たない俺を不思議に思ったのか、泉が心配そうな声とともに顔を覗き込んできた。その瞳には、純粋に不思議に思う気持ちと、疑う気持ちに混ざり、不安の色が見え隠れしている。
乱暴な口調とは裏腹に、その心はいつだって脆く弱い。負の感情には人一倍敏感なくせに、それを必死に隠そうとする。泉はそんな子だった。


何でもないよ、そう答えた顔は、ちゃんと笑えていただろうか。
楽しげにまた言葉を紡ぎだした泉の瞳は、変わらずキラキラと瞬いていた。ああ、眩しい。涙が出そうなほど、眩しかった。


真っ直ぐに向き合い、透明な気持ちで応えるその姿は、どこまでも遠い。振り向けばすぐ目に入り、囁けばそっと鼓膜を撫で、ほんの少し手を伸ばせば触れられるほど、すぐ近くにいるというのに、果てしなく遠かった。
フェンスの向こうへは、もう足を踏み入れられなかった。


「浜田」


透き通るほと純粋な声とともに振り返る姿は、逆光でよく見えなかった。ただ、赤く強く燃ゆる夕陽が、目に痛かった。


帰ろう、そう言って手を取る後ろ姿は、陽炎のようだった。



ああ、君は、


近くて遠い好きな人



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